司はエレベーターから勢いよく飛び出し、廊下に立つ二人が状況を飲み込む暇もなく、鋭い拳が誠司の顔面に叩き込まれた。
一発で誠司のシャツの襟元をつかみ、美月の腕を引き寄せる手を強引に振りほどき、彼女のそばから引き離した。
美月は何が起こったのか、何も見えなかった。ただ自分が必死に振りほどこうとしても、手が離れなかった一瞬で、その力が急に失われた。
「お前、誰だよ!?」誠司は顔と手の痛みにうずくまり、目の前の男が誰なのか一瞬わからなかった。腰を伸ばすことができず、頭上から冷たく怒りのこもった声が降り注いだ。
「誰が彼女に触っていいと言った?」
誠司は口の中の血の味を感じながら、なんとか顔を上げた。目の前の男は黒いスーツをきっちりと着こなし、シャツのボタンを二つほど外している。その顔立ちは冷たく険しく、目には鋭い殺気が宿っていた。見つめられただけで、身がすくんだ。
誠司は思わず身震いした。この男がなぜ怖いのか、自分でもわからない。ただ、前回のパーティーで一度顔を合わせて以来、この男が現れるたび、言葉にできない圧力に押しつぶされそうな威圧感を感じていた。
地位や肩書きではなく、根本から溢れる、すべてを粉砕するような威圧感だった。
今、誠司はみっともなく前かがみになり、服も乱れている。一方の司は、スーツに一切の乱れもなく、まるで先ほどの一撃がなかったかのようだ。誠司のことを小さな動物でも持ち上げるかのように軽々と引き離していた。同じくらいの体格なのに、力の差は歴然だった。
誠司は美月の前でみっともない姿を見せたくなくて、必死にもがいた。「美月は俺の婚約者だ!彼女に会いに来て何が悪い!」
だが、後半の声は明らかに勢いがなく、司が美月のことなど気にしていないと思い込んでいた。
司は美月を自分の後ろにしっかりと庇い、ゆっくりと襟元を整えながら、氷のような視線で誠司を射抜いた。
「美月は俺の妻だ。深夜に俺の妻にしつこく付きまとうお前の行動が、関係ないとでも?」
誠司はごくりと唾を飲み込み、無理やり背筋を伸ばしたが、それでも司より少し低く、見上げる形になった。
「お前、本当に好きで結婚したわけじゃないだろ?何か弱みでも握られてるんじゃないか?困ってるなら俺が助けてやるよ!」
その言葉は妹の真美子の分析に基づいていた。司が美月を本気で愛するはずがない、きっと何か脅されているに違いない、と。誠司にとっては、美月がずる賢い手を使って九条家にしがみついたとしか思えなかった。
彼の言葉が終わると、反対側の頬に強烈なパンチが飛んだ。両頬が一瞬で腫れ上がる。昨日父親に殴られた痕もまだ消えていないのに、さらに傷が増え、顔は見るも無残な状態になった。
その一撃で誠司はよろめき、後ろに倒れそうになった。司はそれでも手を緩めず、時計を外してポケットにしまい、首を軽く回してから再び誠司の襟をつかんだ。拳は容赦なく振り下ろされ、誠司が血を吐いて崩れ落ちるまで続いた。
さらに、わざと痛めつけるかのように、ゆっくりと歩み寄り、倒れた誠司の腹を思いきり蹴りつけた。誠司は血を吐きながら苦しみの声をあげた。
美月は驚き、司の腕にしがみつき、必死に止めようと叫んだ。「司、やめて!これ以上やったら死んじゃう!」
司は振り返る。その目には血の色がにじみ、深い闇の中に凄まじい殺気が渦巻いていた。まるで本気で誠司を殺しかねないほどだった。
美月はその視線に圧倒され、掴んだ手が震え、思わず手を離してしまった。「司、あなた……」
しかし、ほんの一瞬で司の目から凶暴な光が引き、冷静な表情に戻った。彼は深く息を吐き、美月の手首をそっと両手で包み込んだ。
白い肌に、誠司に掴まれた赤黒い痣が痛々しく浮かび上がっていた。「痛くないか?」と低い声で、緊張を押し隠したような声音で尋ねる。
「だ、大丈夫……全然痛くない……」と美月は答えるが、まだ恐怖が消えず、手を引こうとした。しかし、司の手はしっかりと彼女を支え、離さなかった。
司は美月の手を引いて隣の部屋へ向かう。「俺の部屋で手当てをする。」
美月が返事をする前に、倒れた誠司が息を整え、叫んだ。「お前ら、これ犯罪だぞ!警察を呼ぶ、警察だ!」
震える手でポケットを探るが、携帯はさっきの揉み合いで遠くに飛んでしまっていた。必死で携帯に向かって這い寄ろうとする。
だが、少し進んだところで、ピカピカの革靴が誠司の手の甲を思いきり踏みつけた!激痛に誠司は悲鳴をあげる。
顔を上げると、見上げた先には再び司の冷たい視線が降り注いでいた。誠司は一瞬で身動きを止めてしまう。
司は見下ろすように冷たい声で言う。「警察を呼ぶのはお前だな。だが、深夜に不法侵入して俺の部屋に押し入り、妻を傷つけようとした。通報すべきはこっちの方だ。」
「違う!俺はそんなつもりじゃ……」と誠司は必死に弁解するが、「黙れ。」と、司はさらに力を込めて踏みつけ、誠司は声にならない呻き声しか出せなくなった。
司はすぐに電話をかけた。ほどなくして警備員が二人駆けつけ、誠司を両脇から抱え上げる。「九条様!こんな男を中に入れてしまい、申し訳ありません。今すぐ警察に引き渡します!」
廊下は静けさを取り戻す。
司は美月の手を引き、自分の部屋へ連れて行った。
「まずは手当てを。それから病院へ行こう。」
「そんな、大げさだよ……」と美月はソファに座り、落ち着かない様子だ。部屋を見渡すと、黒と白とグレーで統一されたミニマルなインテリアで、余計な物は何一つ置かれていない。生活感もなく、人が住んでいる気配さえ感じられなかった。
司は救急箱を取り出し、美月の前に静かに膝をつく。彼が丁寧に美月の手首を診ているその横顔を見ながらも、さっきの恐ろしい表情が脳裏から離れず、美月は体がこわばっていた。
その様子に気づいた司は、ふと手を止める。彼はソファの前で片膝をつき、美月の手首を優しく包み込み、まっすぐに彼女の瞳を見つめる。
「さっき俺が誠司を殴った時、あいつのことを心配してたのか?」