時間がなかったので、美月は階段を駆け上がり、息を切らしながら会議室のドアを開けた。髪は少し乱れている。
入ってすぐ、特等席に座っている星野夏が目に入った。全身黒の服に黒いマスク、見えるのは鋭い目元だけ。テレビで見る可愛らしいイメージとは大きく異なり、近寄りがたい雰囲気をまとっている。その姿に、美月は思わず緊張した。
慌てて服を整え、パワーポイントを開くわずかな時間で呼吸を整えた。この会議はデザインコンセプトを決めるだけで、ラフ案の詳細は後日決める予定だった。美月の提案は、白い胡蝶蘭をメインモチーフにし、清らかなホワイトを基調にしたデザインだった。
美月は星野夏の過去の作品や世間の評価を調べ、彼女の持つ明るさを抑えつつ、上品で落ち着いた雰囲気を引き出すジュエリーを目指していた。
説明が進むにつれて、美月も自信を取り戻していった。時折、星野夏の様子をうかがうが、相変わらず無表情で冷たい印象を与えている。ただ、最初の苛立ちは少し和らいだようだった。
説明が終わると、星野夏のマネージャーがすぐに彼女を連れて次の仕事に向かっていった。
二人が出ていった後、嵐がすぐに怒鳴った。
「みんな待ってたんだぞ!私が必死で引き止めなければ、もう帰ってたんだから!」
美月は額の汗をぬぐいながら、誠実な口調で答えた。
「嵐さん、本当に時間変更の連絡は受けていません!もしそのような連絡があれば、寝坊しているはずがありません」
嵐は眉をひそめて考え込んだ。美月は普段から真面目で、仕事にも情熱を持っている。こんな大事な案件を自ら逃すはずがない。嵐は首をひねりつつ、総務部の新人・武田由美に問いかけた。
「武田、時間変更のこと、美月に伝えなかったの?」
武田由美は、つい最近正社員になったばかりの若い女性だ。彼女はすぐにはっきりと答えた。
「伝えました!一昨日の夕方、4時半くらいに、嵐さんの指示通り、みんなに一人ずつ直接伝えました。美月さんにも『明日に変更です』って自分で言いました。伝えていないなんてありえません!」
美月はパソコンを片付けながら、じっと武田を見つめた。彼女が吉田のグループの一員だとは思っていたが、ここまで堂々と嘘をつくとは予想外だった。
「最近、あなたと顔を合わせていませんけど?」美月は冷静に問い返した。「一昨日の4時半に私に伝えたって?その時、誰か一緒にいましたか?」
すぐに誰かが話を挟んだ。
「そうそう、由美ちゃん、丁寧に私にも声をかけてくれたよ。新人なのに、あんなに責任感がある子はなかなかいないよ。」と吉田の友人が言う。
美月の目はさらに鋭くなった。すでに話がついているようだ。再度、武田に詰め寄った。
「私のところに来たなら、オフィスの誰かが見ているはず。証明できる人はいますか?」
武田は唇を舐め、苦しそうに言い張った。
「私が行った時、ちょうど誰もいなくて、誰にも見られていません。」
美月は思わず呆れた。4時半と言えば、オフィスが一番忙しい時間なのに、誰もいないなんて明らかにおかしい。
「誰も見ていないなら、あなたが私のところに来ていない証拠になるでしょ。」
「……」武田は一瞬で涙目になり、嗚咽混じりに声を震わせた。
「美月さん、そんな言い方はひどいです!やっと見つけた仕事なのに……どうして私が責められなきゃいけないんですか……」若さゆえか、泣き出し、周囲も同情的な目を向けた。
吉田がタイミングよくティッシュを差し出しながら、非難した。
「美月、由美ちゃんに何の恨みがあるの?わざと伝えなかったなんてありえないでしょう。遅刻の理由が見つからないからって、新人を責めるのはどうかと思うよ」
「そうだよ、由美ちゃんがかわいそうだよね」
「普段から責任感があるのに、こんな疑いをかけるなんて!」
数人が口々に騒ぎ、美月はまるで新人いじめをしている悪者にされてしまった。
美月は深く息をつき、冷静に言った。
「私はまだ何も決めつけていません。泣き出して先に被害者になるのはおかしいでしょう。通知した証拠はなく、私は全く知らされていません。それが納得できる話ですか?」
武田は嗚咽まじりに反論し、ついには半ば投げやりになった。
「私が行ったとき、誰もいなかったんです!証拠はないけど、私一人のせいにしないでください!」
さらに感情が高ぶり、「美月さんがどうしても私に責任を負わせるなら……私、仕事を辞めます!」と叫んだ。
会議室にはすぐに「辞めないで」「そこまでしなくていい」という慰めの声が広がった。
美月は呆れるしかなかった。相手が泣き喚いているうちに、自分が悪者にされていく。証拠のない水掛け論では、どうしようもない。
騒然とする中、嵐が机を叩いて制した。
「もういい!これ以上言い合いはやめて!誰が通知し損ねたのか、誰が寝坊したのか、それぞれ理由はどうあれ、今後は絶対こんなことが起きないように。今日から重要な連絡は必ず記録を残すこと!解散!」
美月は無表情のまま会議室を出た。出口で吉田と目が合う。吉田は勝ち誇ったような視線を向けてくるが、美月も落ち着いたまま視線を返し、そのまま自分のデスクへ戻った。
会議室が静かになると、吉田はすぐにスマホを取り出し、星野夏のマネージャーにLINEを送った。
【星野さんは、どの提案が気に入っているか教えてもらえますか?】
吉田は事前にマネージャーと連絡を取り、高価なカバンをプレゼントし、少しでも自分に有利になるよう根回ししていた。
しばらくして返信が届く。
【最後に入ってきた方のデザインが気に入っているようです】
【できる限りあなたのデザインを推薦したけれど、どうしても後から来た方が良いと……】
その瞬間、吉田の表情から笑みが消えた。マネージャーを味方につけ、美月を遅刻させて失敗させたつもりだったのに、星野夏は結局、美月の案を選んだのだ。
激しい嫉妬がこみ上げてきた。吉田は指が白くなるほどスマホを握りしめた。
絶対に美月に負けるわけにはいかない。
しばらく考え込んだ後、吉田はスマホからある動画ファイルをマネージャーに送りつけた。
【本当に美月と組むなら、リスクがあるかもしれません。こちらをご確認ください——】