吉田が星野夏のマネージャーに送った動画は、美月が九条家のパーティーでトラブルを起こした時のものだった。
あの夜、多くの人が録画していたが、翌日にはネット上から一斉に削除されていた。それが誰の仕業かは分からないが、痕跡すら見当たらない。吉田のスマホに残っていたのは、誰にも見せていない個人的な保存分だった。今、それをマネージャーに送ったのは、美月の評判を徹底的に落とすためだった。
「デザインがどれだけ良くても、デザイナー本人に問題があれば致命的ですよ。」
「もし将来、美月さんの過去が明るみになったら、星野さんのイメージにも傷がつきます。」
しばらくして、マネージャーから返事が来た。「トラブルの原因は分かりませんし、彼女は自衛しただけかもしれません?」
吉田はすぐさま返した。「私は現場にいましたが、あれは美月が先に騒ぎを起こしたんです!長年同僚だったので、よく分かります。」
「彼女はいつも人間関係をかき回して、オフィスでもグループを作って他の人を排除しようとするんです。」
「今、星野さんは低価格ジュエリーの件でアンチの標的になっています。これ以上美月が絡むと、さらなる炎上は避けられません!」
吉田は連続でメッセージを送り、美月と関わるリスクを強調した。
最終的に、マネージャーから「分かりました。慎重に検討します」と返事があった。
吉田はほっとして、チャット履歴を消去した。これで美月は外されたと確信した。現在、星野夏は世間の注目を集めており、映画祭の出演も控えている。絶対に失敗は許されない状況だった。
吉田はハイヒールの音を響かせて、満足げに会議室を出た。外では、全てのデザイナーが星野夏チームの最終決定を固唾を呑んで待っていた。
美月のデスク前を通る際、吉田はわざとらしく鼻で笑った。
美月は無視したが、遅刻のせいで心の中で不安を感じていた。自分の提案には自信があるものの、第一印象の大切さは痛感していた。
30分後、嵐がオフィスから出てきて、結果を発表した。「星野夏さんから連絡があり、メインデザイナーは吉田奈江さんに決まった。」
一瞬、オフィスが静まり返った。吉田奈江は驚いたふりをして、口元を押さえた。「えっ、本当に私?」
嵐はうなずいた。「仕事はすぐに始まる。明日契約締結。報酬も高額で、会社として全面的にサポートするから、吉田、チームを組んで、全員協力のもと、早急にデザインを出してください」
「もちろん!」吉田は力強く返事し、すぐに美月を見据えた。「美月、あなたは私のアシスタントになって」
その意図は明らかだった。アシスタントとは名ばかりで、嫌がらせが目的だった。
吉田が過去にチームを組んだ時、アシスタントを雑用係として使うのが常だった。コーヒーを買いに行かせたり、荷物を取りに行かせるのは当たり前。新人が何度も階段を上らされ、呆れて辞めてしまったこともある。同じレベルのデザイナーをアシスタントにするのは前代未聞で、美月に対する露骨な侮辱だった。
全員がそれを分かっていた。美月は嵐に視線を送り、不当だと訴えた。
吉田はすかさず遮った。「大事な案件なんだから、結果を出すためには仕方ないよね?美月、会社のためにも協力してくれない?星野さんが満足すれば、あなたにも評価がつくよ」
個人的な嫌がらせを、あたかも全体の利益のためかのように装っていた。
嵐は少し考えた末、了承した。「メインデザイナーにはチームメンバーを決める権限がある。吉田の提案通りに進めて」
吉田の顔に得意げな笑みが浮かぶ中、美月は冷静に言った。「私は同意できない」
これ以上屈辱を受けるつもりはない。経験も実力もトップクラスなのに、吉田のアシスタントなどあり得ない。一度妥協すれば、このスタジオで顔を上げて生きていけなくなる。
「こんな仕事、やっていられない。休みをもらいたい」
吉田は皮肉な声で言った。「なんだ、私の下で働きたくないからって、仕事を放棄するの?もし今日、あなたがメインデザイナーで私がアシスタントでも、私は文句なしで協力したわよ!」
美月は鋭い目で返した。「そういう言い方やめてくれない?私が納得できないなら意味がないでしょ。最悪、仕事を辞めるだけよ」
吉田は予想外の強気な態度に目を細め、嫌味を言った。「あんた、独り身でしょ?誠司とも婚約破棄したって聞いたけど。」
「仕事まで失ったら、どうやって生きていくの?」
「私の生活なんて、あんたに関係ないでしょ。心配なら、お金でも渡せば?」
吉田は黙り込んだ。
その時、美月のデスクに置いてあったスマホが振動し続けた。
画面を見ると、最初の通知は銀行からの振込案内――残高の変動、入金額は2,000万円!
2000万円!?
見覚えのない口座番号。銀行のミスかと思った直後、もうひとつメッセージが届いた。高橋からだった。
「奥様、会長の指示で新しいカードをご用意しました。1000万円は生活費、もう1000万円は会長からの小遣いです。ご確認ください」
美月は画面を見つめ、しばらく呆然とした。司と結婚したとき、お金のことなんて考えてもみなかった。あの時、『養ってあげる』と言われたのも、ただの社交辞令だと思っていた。
だが今、現実として2000万円が口座に振り込まれ、圧倒的な現実感が美月を貫いた――自分は、人生を変える大きな扉を開けたような気がした。
お金があるって……最高すぎる!
「何ボーッとしてるの?こんな時にスマホ見てる余裕あるの?」と吉田が苛立って声をかけた。
美月ははっと我に返り、皆が驚く中、バッグをつかんで立ち上がった。
「私、一時仕事を止める!」