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第49話 絶妙なタイミング

この短い文字には、逆らえない強い意志が込められていた。


美月はゆっくりと彼に歩み寄った。


その時点で、彼の唇が薄くて美しいことに気づいていた。ただのキスだし、損はしない――美月は心の中でそう自分に言い聞かせた。


さらに、あの2000万円が入ったカードのことを思い出す。美月は自分に都合のいい理屈をつけた。「高級なホストを呼んだと思えばいい。お金も払わず、むしろもらえるなんて、これ以上にお得な取引はない。」


決意を固め、美月は歩みを速め、そのまま司の膝の上にすっと腰掛けた。


自然な動作で、彼女からの積極的な態度に司の目が一瞬だけ深くなった。


「呼んだだけだ。何をするとは言っていない。」


「他に何があるの?」美月は腕を司の首に絡め、冗談めかして言った。「ちゃちゃっと終わらせよう。明日はデザイン画を描かなきゃいけないし。」


司の喉仏が小さく動いた。


ぬくもりを感じながら、今にも彼女を抱きしめそうになる衝動を必死に抑えた。リビングの光がいつの間にか落とされ、ほの暗い光が美月の目元をやさしく照らしていた。長いまつげの下の瞳が、驚くほど輝いている。


二人とも、表面上は冷静を装い、静かな駆け引きの中で、互いに主導権を譲らないようにしていた。数秒見つめ合った後、先に折れたのは美月だった。瞳を閉じ、そっと身を寄せた。


唇が触れ合うその直前――テーブルの上のスマホがけたたましく鳴り響いた!


美月は思わず目を開き、体を後ろに引いた。


「……電話。」彼女は慌てて声をかけた。


司は大きく息を吐き、苛立ちを押し殺した。「無視していい。」


しかし、コールは止まらず、一度切ってもすぐにまたかかってきた。画面に映る「拓海」の文字を美月は目にした。


「出た方がいいよ。こんな夜遅くに、何か急ぎかも。」そう言って、美月はすっと司の膝から降り、ソファに座った。


司の膝のぬくもりが消え、彼は「拓海」の名前を睨みつけるように見つめ、冷たい声で電話を取った。「高杉、よほどの用事じゃなきゃ許さないぞ。」


電話の向こうで、早口に何かを伝える声。司の表情が一瞬で険しくなった。


「分かった、すぐ行く。」電話を切ると、司はすぐに上着を手に取り、玄関に向かいながら言った。「急ぎの用だ。今夜は戻れそうにない。」


「うん、気をつけて。」美月も慌てて立ち上がった。内容は聞き取れなかったが、司の険しい顔つきで事の重大さを察した。


司は多くを語る余裕もなく、車を飛ばして屋敷を後にした。


美月は扉を閉め、背中を壁に預けて大きく息を吐いた。手を合わせて心の中でつぶやいた。「高杉くん、本当にグッジョブ!」


まさに絶妙なタイミングだった。いくら心の準備をしていたつもりでも、いざその瞬間になると、手のひらには汗がにじんでいた…。


翌日、美月は書斎でデザイン画を描いていたが、どうにも落ち着かなかった。昼過ぎに司へメッセージを送り様子をうかがうと、返事が来たのは夕方五時だった。


【心配しないで。今夜は外で食事しよう。君に紹介したい人がいる。後で迎えに行く。】


【分かった。】


美月はペンを置き、クローゼットに服を選びに行った。中には司が用意させた今シーズンの新作ばかりで、どれも高級品だ。きっとビジネス関係の人と会うのだろうと思い、合わせやすそうなドレスを選んだ。


最終的に、上品なワンピースを選び、長い髪はゆるくウェーブをつけた。これなら恥をかかせることもなさそうだ。


六時半、司の車がぴったり玄関に到着した。黒いマイバッハの座席には、司が自ら迎えに来てくれていた。


美月が乗り込むと、司の視線が数秒間彼女に止まった。目の奥に一瞬、淡い光が浮かぶ。こうしたドレス姿を見るのは初めてだった。美しく身体に沿うシルエットだが、ウエストが少し緩いのが気になった。


司は心の中で、次はきちんとサイズを測って仕立てさせようと決めた。


美月がスカートの裾を整えると、サイドのスリットから白く美しい脚がちらりと見えた。車内の黒いインテリア、そして司の黒いスーツとの対比で、その白さが際立って見えた。


司はそっと視線を逸らし、喉を鳴らした。


「……今日はいつもより綺麗だ」--低く落ち着いた声。


「ありがとう。」美月は微笑み、首元を傾けて見せた。「あなたがくれたネックレス、つけてきたの。」


そのネックレスは今日のドレスにぴったりで、まるでオーダーメイドのようだった。


「似合ってる。」司の声はさらに落ち着き、どこか抑えた響きがあった。


やがて車は高級レストランに到着し、落ち着いた個室の二階へ、司は美月の手を引いて進んだ。


「今日は誰に会うの?取引先?」美月は小声で尋ねた。


「違うよ。」司は彼女の手をしっかり握った。「会えば分かる。」


「分かった。」美月は気を引き締め、華やかなゲスト役に徹するつもりでいた。


だが、司が個室の扉を開け、中にいる人の姿を見た途端、美月はその場で固まってしまった。


そこに座っていたのは、今をときめく人気女優――早乙女薇薇だった。


数々の賞に輝き、今もっとも注目されているスター。美月も彼女の受賞作を観ていて、その演技力に感心したことがある。


テレビで見たより、実際の彼女はさらに華やかに映った。


司に手を引かれ、美月は一歩一歩、早乙女薇薇の正面に腰を下ろした。頭の中は混乱し、なぜ司が早乙女に会わせるのか分からなかった。


以前、高橋が言っていた言葉がふとよぎる――早乙女薇薇は一時期、司に積極的にアプローチしていた。二人で食事にも出かけたことがあると……


まさか……司は後悔しているの? やはり、早乙女薇薇のような有名人こそ自分の隣にふさわしいと思ったのか?


それとも――彼は美月の目の前で……?

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