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第52話 大人しくしてなさい

美月は手際よく朝食を済ませ、トーストを数枚と牛乳を飲み終えると、コップを置いた。


静かにダイニングテーブルに座り、司が食事を終えるのを待っていた。


司は、美月がいつも食べるのが早いことに気付き、コップをゆっくりと動かしながら静かに言った。

「誰も取ったりしないんだから、これからはもう少しゆっくり食べてもいい。急いで食べるのは胃に良くない。」


「うん、わかった。」美月はにこやかに返事をした。


「デザイン画は早乙女に送った?向こうの反応はどうだった?」


「昨晩ラフを送ったんだけど、すごく満足してくれたみたい。」美月の声は少し明るくなった。「今日はもう少し細かく仕上げて、明日には素材選びと型作りに取りかかれると思う。でも……」一度言葉を切り、少し困ったような表情を浮かべた。


設備も材料もなく、どんなに良いデザインでも、専門の場所がなければ制作できない。またカラフルに戻るのか?吉田たちの顔を思い浮かべると、どうしても気が重くなる。


司はすぐに彼女の迷いを察し、「拓海のところに小さなジュエリー工房があるんだ。設備もしっかりしてるし、使わせてもらえばいいよ。もちろん、カラフルほど大きくはないけど」と言った。


美月の目が輝いた。「本当?助かる!」

まさに欲しかった環境だ。


それに何より、今はカラフルの連中、特に吉田には絶対に早乙女薇薇のためにオーダージュエリーを作っていることを知られたくなかった。早乙女薇薇と星野夏が同じ映画祭に出席するため、この噂が広まれば、吉田に「内職」と決めつけられて面倒なことになりかねない。


翌日、美月は早速拓海の工房へ向かった。場所はそれほど広くはなかったが、道具も設備も一通り揃い、小さなオフィススペースも用意されていた。念のため、午前中はずっと現場に付きっきりだった。工房はカラフルから少し離れているため、昼には戻らず、そのまま近くの商業施設でランチを取ることにした。


適当に入った店でとんかつ定食を頼み、席に着いたその時、見覚えのある嫌な人が視界に入ってきた――小早川蕾だ。


九条家のパーティーで騒ぎを起こして以来、二人が顔を合わせるのはこれが初めてだった。美月は気づかないふりをした。


しかし、蕾はまっすぐこちらに歩み寄り、向かいの席にずけずけと座り、買い物袋を床に放り投げて、自分もとんかつ定食を注文した。


「へえ、ここカラフルからかなり遠いけど、今日は仕事休み?」


蕾の声には、いつもの皮肉がにじんでいた。


美月は黙々と食事を進め、相手にしない。


「無視?口もきけないの?」蕾は鼻で笑った。「この前の九条家の件、まだ借りを返してもらってないんだけど。あんたに髪を思いっきり引っ張られて、まだちゃんと生え揃ってないんだから。謝りもしないで、会っても知らんぷり?礼儀ってもん、分かってる?」


美月はようやく顔を上げ、冷ややかな目で返した。


「年上の親戚として、そっちこそもっと敬意を持つべきじゃない?今の態度で礼儀を語るつもり?」


「なっ……」蕾は言い返せず、悔しそうに口を噤んだが、すぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。


「霧島家が配ってた招待状、全部回収されたんだって?何年も誠司の後ろをついて回ってたのに、結局あんた、捨てられたんじゃない?これからどうすんの?」


にじり寄りながら、蕾はわざと悪意を込めて囁いた。


「うちの母さんが言ってたけど、あんた、もう私たちと縁を切るつもりなんだって?そしたら本当に一人ぼっちになるわよ、どこの男もあんたなんか相手にしないんだから。」


美月は冷ややかに睨み返した。


「頭の中、男のことしかないの?男がいないと生きていけないの?」


「ふん、あんたがどんな男を捕まえるか見ものだわ!誠司が好きなんでしょ?今ちょうどいいじゃん、清夏と奪い合えば?」


蕾はわざと美月を挑発した。


「もう興味ないわ!」美月はすぐに否定し、どこか苛立ったように言い放った。「あんな最低な男、私には必要ない!」


美月の顔色から、捨てられた女の悲しみが滲んでいるのを感じ取る


だが、美月はただ淡々と食事を続け、一度も目を合わせようとしなかった。


蕾はやけになってご飯をかきこんだ。


「そんなに美味しいの?ねえ、本当に私たちと縁を切るつもり?」


「今はしない。」美月は淡々と答えた。叔父の健司がかつて小早川家の財産を安く売り飛ばし、どれだけ私腹を肥やしたのか――それを突き止めるまでは、簡単に縁を切るつもりはなかった。


取り返せるものは、一円も妥協しない。ただ、最近は忙しくて、まだ本格的に調べていないだけだ。


「やっぱりね、どうせできっこないと思ってた!」蕾は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


美月はそれ以上相手にせず、黙って食事を続けた。


完全に無視されたことで、蕾はイライラを隠せない様子だった。ふと何かを思いついたように声を潜め、妙に意味ありげに囁く。


「ねえ、ひとつ教えてあげようか?あんたにとっては大事件だよ?」


「興味ない。」美月は口を拭い、食事を終えた。


蕾は怒ったように美月を睨みつけた。


「本当に聞きたくないの?後悔しない?」


美月は無言を貫いた。蕾の性格なら、どうせ長く我慢できないと分かっていた。


案の定、数秒もたたずに、蕾はしびれを切らして吐き捨てるように言った。


「じゃあ教えてあげるよ!佐藤瑠奈が帰国したんだって!」


その名前は、美月の神経を突き刺すようだった。どんなに冷静を装っても、眉間に思わずしわが寄り、目の奥に一瞬だけ動揺が走った。


蕾はその微妙な変化を見逃さず、意地悪い笑みを浮かべた。


「ほらね、やっぱり大事件だったでしょ?気をつけなよ、絶対会わないほうがいいから。あんたのせいで、瑠奈は家族に無理やり海外に送られて、すごく苦労したらしいよ。彼女が一番恨んでるの、誰だと思う?


もちろん、蕾は悪意しかなかった。美月が怯えた顔を見るのが、彼女の目的だ。学生時代、美月が最も恐れていた相手といえば、間違いなく佐藤瑠奈だった。


高校の頃、蕾は誠司が美月に好意を持っていることに嫉妬し、軽い嫌がらせはあったが、美月はなんとか耐えられた。しかし、佐藤瑠奈は違った。彼女は本物の「女番長」で、やり方が容赦なかった。


彼女が好きな男子が美月に片想いしていることを知ってから、美月を敵視し、トイレに閉じ込めたり、水をかけたりしたのは序の口だった。


一番ひどかったのは、クラスの集まりの時、佐藤瑠奈が手下に美月を無理やり酔わせ、ずっと美月を狙っていた不良に押しつけたことだった。


あの時、美月は必死で逃げ出したものの、その経験は深い心の傷となり、今でも忘れられない。


そして、その事件の後、美月はもう黙っていることをやめ、警察に通報した。佐藤家には力があったが、結局は金で解決し、佐藤瑠奈は急遽海外に送られた。それでようやく一件落着したのだった。


蕾はそのことを知っている。あの事件の後、美月が長い間悪夢に苦しんだことも。そして今、佐藤瑠奈が帰国したと聞けば、怖くならないわけがない。


蕾は美月の動揺した顔を期待していた。


しかし、美月の戸惑いや怯えは、ほんの一瞬で消え去った。彼女はゆっくりと顔を上げ、口元に笑みを浮かべた。


「彼女が私に会いに来る?ちょうどいいわ。」美月の声は静かだが、凍りつくような冷たさを帯びていた。「あの時の借り、全部利子付きで返してもらうから。」


美月は立ち上がり、蕾を見下ろして鋭い視線を向けた。


「それから、あなたも――」美月はゆっくりと、警告するように言い放った。「大人しくしてなさい。」

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