声を上げたのは、六、七歳くらいの小さな女の子だった。黄色い花柄のワンピースを着ていた。彼女は九条家の遠い親戚の子で、名前は九条美穂。
その一言で、リビングにいた全員の視線が美穂に集まった。
美穂の母親は慌てて駆け寄り、娘の口をふさごうとした。「余計なこと言わないの。子どものくせに何が分かるの?」
今の司の怒りは、誰の目にも明らかだった。美穂の父親は九条家ではもともと発言権がなかった。この場で司を怒らせれば、一家そろって立場を失いかねなかった。
美穂の母親は緊張しながら司に愛想笑いを浮かべた。「子どもですから、どうかお気になさらず……」
「そのまま話させて。」司の声は氷のように冷たかった。
美穂の母親はすぐに口をつぐみ、心の中で娘が余計なことを言わないよう祈るしかなかった。
ところが美穂はまったく臆することなく、顔を上げて瑠奈を指差した。
「さっき裏庭で遊んでたんだけど、瑠奈さんが美月お姉ちゃんに話しかけてて、美月お姉ちゃんは相手にしたくなさそうだったのに、ずっとついて行ってた。それで自分でプールに落ちて、美月お姉ちゃんまで巻き込んでた!さっき言ってたこと、全部うそだよ!」
瑠奈の顔は一瞬で蒼白になった。
明も動揺して、「どういうことなんだ?」と声を上げた。
もし本当に瑠奈が美月を引きずり込んだと分かれば、司が彼らを許すはずがなかった。
瑠奈は認めるわけにもいかず、美穂を指さして叫んだ。「うそよ!子どもに何が分かるの?あなたこそ作り話をしてるんでしょ!」
明も無理やり同調した。「そうだ、まだ六歳なんだぞ。ちゃんと見えてたのか?」
「ちゃんと見たもん!」美穂は悔足を踏み鳴らし、小さなショルダーバッグからスマートフォンを取り出した。「さっき裏庭に犬がいて、写真を撮ろうとしたらちょうど写っちゃったの!」
「なに……?」瑠奈の足が震えた。
司は二歩前に出てそのスマートフォンを受け取った。画面の中央には犬が写っているが、右上にはっきりと瑠奈と美月が映っていた――ライブ写真には、まさにその瞬間の様子が記録されていた。瑠奈は足を滑らせたが、落ちる直前に美月の手首をしっかり掴んでいた。美月は後ろに下がっていたのに、無理やり引きずり込まれたのが分かる。
司はスマートフォンを瑠奈の目の前に突きつけた。「まだ何か言い訳があるか?」
瑠奈は緊張で喉を鳴らし、必死で考えを巡らせた。
「あの時は混乱してて……たぶん足を踏み外したんだと思う。慌てて何か掴もうとして……美月さんが近くにいたから……」本能的な行動だったと責任を逃れようとした。「わざとじゃないの、ほんとにパニックになって……」
司は冷たく笑った。「わざとじゃないかどうかは別として、人前で美月のせいにして自分が被害者のふりをした。その責任はどう取るつもりだ?」
その冷え切った声に、周りは誰も息をのんだ――今の司の怒りは明らかで、瑠奈に逃げ場はなかった。
瑠奈は怯えて明の手を掴もうとしたが、明も口をつぐんでいた。瑠奈の本性を知り、さっきまでかばっていたことを後悔していた。
そんな中、明の両親が人混みから出てきて、明を引き戻した。「前からこの女は怪しいと思ってた。明はだまされていただけだ!」
「もう明とは別れているし、これ以上うちとは関係ない!」
必死に関係を切ろうとしたが、司は一瞥もくれず、「君たちが彼女を連れてこなければ、今日こんなことは起きなかった」と冷たく言い放った。
明の母親はこの言葉に青ざめ、数歩で瑠奈の元へ駆け寄ると、いきなり平手打ちした。「あんたなんかが問題を起こして!早く司に謝りなさい!」
瑠奈は呆然とし、ようやく泣きながら司に向かって頭を下げた。「ごめんなさい……全部私が悪いんです……」
「うちの妻が水に落ちて怖い思いをした。謝罪の一言で済むと思うのか?」司の声は冷徹そのものだった。
瑠奈が何か言いかけた瞬間、またもや二発、平手打ちが飛んだ。明の母親は手を振り上げて怒鳴った。「謝る気がないの?ちゃんと謝りなさい!うちまで巻き込まないでよ!この家を出て行ったら、明とはもう関係ないから!」
「本当にごめんなさい……」瑠奈は泣きすぎて息も絶え絶えになり、同じ言葉を繰り返すだけだった。
司はそれ以上何も言わなかったが、その冷たい視線が、彼女の謝罪を受け入れる意思がないことをはっきり示していた。
明の家族は完全に動揺した。司が実の父親ですら地方支社に飛ばすような人間だと知っているだけに、もしも自分たちにまで怒りが及べば九条グループでの立場を失いかねない。
明は覚悟を決め、瑠奈の足を蹴りつけた。「ひざまずけ!司にちゃんと謝れ!」
昨日まで甘い言葉をささやいていた明が、今日はこんな仕打ちをするとは、瑠奈は信じられない思いで振り返った。
「明……」涙が止まらない。
「呼ぶな!早く謝れ!」明はさらに背中を蹴り、瑠奈はよろめいて床に倒れた。
しばらくして、ようやくゆっくりと膝をつき、司の前で自分の頬を叩きながら謝った。「ごめんなさい……美月にも、ごめんなさい……」
司は反応を見せなかった。瑠奈は何度も自分の頬を叩き続け、すぐに顔は赤く腫れ上がった。
リビングには、彼女の頬を打つ音だけが静かに響きわたっていた。
皆が凍りついたように沈黙する中、二階から慌てて一人の使用人が駆け下りてきた。顔色を変えて叫んだ。「司様、大変です!奥様が……」