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第60話 罰が当たればいい

病院の個室で、美月に点滴が繋がれた後、司は拓海に悠へ電話をかけるよう頼んだ。


ほどなくして悠が慌てて駆けつけ、汗だくでドア枠にぶつかりそうになりながら入ってきた。


「どうしたの?なんで急にこんな高熱になったの?」


ベッドの美月は目を閉じて眠っている。司は彼女の布団を整え、悠に目配せして部屋の外のリビングへ促した。


「さっき水に落ちて、助け上げた後に熱が出たんだ。」


「水に落ちた?」悠はソファに腰かけたと思ったら、すぐに立ち上がる。「美月、水が怖いのに!どれだけ怖かったか……!」


司の目が鋭くなる。「美月が水を怖がること、知っていたのか?」


彼が悠を呼んだのは、そのことを確かめたかったからだ。さっき車の中で美月の話は途切れ途切れで、はっきりしたことが分からなかったのだ。


悠はうなずいた。「うん、知っていた。普段の入浴とかは平気なんだけど、泳ぐのは絶対ダメ!深い水は怖いみたい。水に落ちたら、そりゃパニックになるよ。医者はなんて言った?」


「特に問題ないってさ。」


「それならよかった。」


悠はもう一度ソファに座り、病室の方を気にしながら見やった。「でも、なんで急に水に落ちたの?」


司は答えた。「瑠奈に突き落とされた。」


その名前を聞いた途端、悠の顔色が変わり、また立ち上がる。「瑠奈、あの女、帰国したの?」


袖をまくりあげ、今にも飛び出していきそうな勢いだ。「今どこにいるの?」


「落ち着け。まずは昔のことを聞かせてくれ。瑠奈のことは俺が何とかする。」


悠は司を見つめた。目の前の男は氷のように冷たい表情をして、目には怒りが浮かんでいる。彼がどれほど美月を心配しているか、悠にも伝わった。これだけ真剣なら、瑠奈にもやり返してくれるかもしれない——悠は少し安心し、警戒心もほどけた。


「私と美月は小さい頃から一緒だったけど、私は高校の時にうちの都合で海外に行ったの。その間に瑠奈が美月をいじめていた。全部あとで美月から聞いたんだ。」


悠は知っていることをすべて司に話した。美月が車の中で話しかけた内容とほぼ同じだが、悠の話はよりはっきりしていて、聞いているだけで腹が立つものだった。


悠は水を一気に飲み干しながら、「明らかな学校でのいじめなのに、瑠奈の被害者は美月だけじゃない。あんなに大きな問題が、揉み消されたなんて、今でも悔しいよ!」


「当時、美月の叔父たちは金を受け取って示談にしたの。あの人たちお金に困っていなかったけど、佐藤家と取引があったから揉めたくなかったんだよ。」


「美月のことなんて全然考えていなかったし、そのお金だって美月の手には一円も渡らなかった。本当にひどい家族だよ!」


「どうしようもなかったんだよね。まだ未成年だった美月がどれだけ訴えたって……」


悠はため息をつき、こっそり涙をぬぐった。


司はテーブルの上のティッシュを悠の前に差し出しながら聞いた。「小早川家は美月にそんなに冷たかったのか?」


「冷たいどころじゃないよ、ひどすぎる!」悠は涙を止め、語気を強めて続けた。「外ではいい顔して『美月に家を与えた』なんて言うくせに、裏じゃ全員が意地悪だった。」


「あの蕾も最悪よ、いじめる時は容赦しないんだから!」


悠の話を聞きながら、司はぼんやりと昔を思い出していた。


十四歳の時、病院で美月と出会ったことを。


美月の両親は交通事故で亡くなり、司の母親もまた突然この世を去った。


あの寒い病院の霊安室の前、二人だけが黙って立っていた。


当時八歳だった少女は白いドレスを着て、裾には泥がついていた。


死というものの意味をまだ知らないような顔で、静かに立ち尽くしていた。


しばらくして、少女は司のもとへ歩み寄り、一粒の飴を差し出した。


「あなたのパパとママもいないの?」


司は彼女をじっと見つめ、その冷たい視線に少女は少し震えたが、飴を差し出す手は引っ込めなかった。


しばらくして、司はその飴を受け取った。


その後、二人でうどんを食べに出かけた。


司は、彼女のことを可哀想だと思い、自分と同じように帰る家のない子だと感じた。


けれど、後で彼女は叔父に引き取られ、彼らは優しそうに彼女を抱きしめ声をかけていた。


その時、司は自分たちは違うんだと思った。


家族をなくしても、彼女にはまだ愛してくれる人がいる。


あの小さな女の子は、きっと幸せな子供時代を送るのだろうと、思っていた。


だが、時が経ち、霧島美和が病気になり、司が美月を病院に送った時、彼女が叔父一家のもとで辛い思いをしていたことを知った。


あの少女は、思っていたほど幸せではなかった。


今、悠の口からその事実を改めて聞き、司は美月がどれほど辛い思いをしてきたのかを痛感した。


悠はさらに興奮し、袖をまくって言葉を続けた。「信じられないでしょ?蕾は美月の大学受験の日に下剤を盛ったの。お腹痛いまま受験したのよ、三十点は損したはず!」


司は眉をひそめた。「下剤を?」


悠は歯ぎしりしながら言った。「でも証拠がなくて、小早川家は『家政婦の作った料理が悪かった』ってごまかした。それで終わり。」


「蕾は実の娘だし、美月が何を言っても無駄だった。その後、美月は小早川家を出て、大学に入ってからは戻っていない。」


悠はため息をつきながら続けた。「美月は子どもの頃から色んなことを我慢してきた。ボクシングを習い始めたのも、自分を守るためなんだよ。なのに瑠奈はまた帰ってきて、罰が当たればいいのに!」


「そうだ、司は美月が早食いなの知ってる?」


「知っている。」司はうなずいた。


悠は悔しそうに足を踏み鳴らした。「あれね、高三の時、学校で昼ごはん食べるときに瑠奈と蕾が監視してて、ゆっくり食べさせてくれなかったの。それで早食いが癖になっちゃったんだよ。」


司の胸が締めつけられる。


美月と食卓を囲むたび、彼女が先に食べ終えて自分を待っている姿を思い出す。


それが、こんな理由だったなんて……


司は耳鳴りがして、悠のその後の言葉はあまり頭に入ってこなかった。


やがて悠が帰り、リビングが静まり返る。


司はようやく落ち着きを取り戻し、病室へ戻った。


ベッドの美月はまだ静かに眠っている。


頬の赤みも薄れ、布団に包まれて、小さな白い顔だけが見える。


少女の面影が、司の記憶にあるあの少女と重なっていく——清らかで、素直で、まぶしいほど美しい。


あれほど辛い目にあってきたのに、こんなにも明るく成長するなんて。


司は初めて、美月の中に、しなやかな草のように、どんな風雨にも折れない生命力を感じた。


彼はそっと彼女の頬に触れ、額に優しく、そっとキスを落とした。

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