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第76話 私のことが好きなの

美月は振り向き、吉田の視線と正面からぶつかった。冷静な口調ながらも、はっきりとした強さを帯びていた。


「本気で努力なんて意味がないって思っているなら、どうしてそんなに必死になってこの枠を取ろうとしたの?」


美月は身を少し乗り出し、吉田の一瞬固まった表情を見つめたまま続けた。


「私たちにはどうしようもない差があるって言っていたけど、そんなにお金を払ってまで私からこのチャンスを奪ったのはあなたでしょ。差があるとしたら、あなたが必死で私に追いつこうとしているだけじゃない?」


吉田の得意げな笑みはそのまま凍りつき、指先が無意識にコーヒーカップを握りしめた。


彼女はこの枠を手に入れるために多くを犠牲にしてきた。家族はずっと彼女を軽んじており、遊んでばかりの兄たちですら、両親にとっては正社員で働く娘よりも大事にされていた。吉田家の事業は彼女には一切関係がなく、今回のために大金を使い果たした。どうしてもこの大会で自分を証明したかったのだ。たとえ目立たない成績しか残せなくても、一度くらい家族の前で胸を張りたかった。


でも美月の言葉は、まるで鋭い刃物のように、彼女の一番触れられたくないところを突いてきた。


美月は一歩前に出て、周囲の同僚にもはっきり聞こえるように言った。


「不正な手を使って自分のものじゃないものを手に入れたなら、賢い人はこっそり隠すものよ。わざわざ他人の前で自慢するなんて、バカだと思う。」


美月は吉田がテーブルに置いたコーヒーカップを手に取り、そっと返しながら、指先がカップの縁に軽く触れた。


「そうだ、忘れてた。決勝ではその場でお題が出て、その場でデザインを出さないといけないの。お金があってもどうにもならないかもね。」


吉田はカップを握る手が真っ白になり、その場で固まったままだった。優越感に浸るつもりが、逆に一矢報いられ、周囲の同僚たちの好奇の視線も手伝って、全身が居心地悪くなった。


動揺のあまり、彼女の視線がふと美月の手元に落ちた。そして目を輝かせ、声を上げた。


「結婚したの?」


吉田は勢いよく美月の手首を掴もうとしたが、軽くかわされた。吉田は構わず叫んだ。


「つい最近、誠司に婚約破棄されたばかりでしょ?結婚なんてありえない!その指輪、どこから盗んだの?」


「私が結婚しようがしまいが、あなたに関係ある?」美月は半歩下がって距離を取った。


しかし吉田は新しい発見をしたかのように興奮し始めた。


「わかった!今日は誠司の結婚式だよね?あんまりショックで、わざと偽物の指輪つけて強がってるんでしょ?」


わざと声を張り上げて、オフィス中に響き渡らせた。


「みんな、見て!美月は結婚してないのに結婚指輪をつけてるよ!しかも安物で見栄を張ってるだけ、笑っちゃうよね!」


同僚たちが次々と顔を上げてこちらを見てきた。美月は眉をひそめ、思い切って右手を掲げた。


「私はちゃんと結婚してるよ。既婚者が指輪をつけるのは普通のことだよね。」


続けて吉田を見据えた。


「私の指輪にすぐ気づくなんて、もしかして毎日私のこと見てるの?私がどんなアクセサリーをつけてるかまで覚えてるなんて、もしかして私のことが好きなの?」


オフィスに小さな笑い声が広がった。吉田は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。


「何を言ってるのよ!恥知らず!」


でも心の中には動揺と困惑が渦巻いていた。まさか本当に美月が結婚したのか、と。取り繕うように美月を上から下までじろじろ眺めた。


「そんなに隠してるってことは、どうせ結婚相手を見せられないんでしょ?結婚式もやってないなんて、どうせ貧乏な男とでも結婚したんじゃないの?」


わざとらしく美月の指輪を睨みつけ、口を尖らせた。


「その指輪だって、安っぽくてどこかの雑貨屋で買ったんじゃないの?」


周りがさらにざわつき始めると、吉田は口元を手で押さえてさらに得意げに笑った。


「どうせ、焦って売れ残る前に、適当なおじさんと結婚したんでしょ!」


その瞬間、エレベーターの方から男のはっきりした声が聞こえ、少し自嘲も混じるような調子だった。


全員の視線がそちらを向いた。エレベーターから二人の男性が現れた。後ろにいるのはカラフルの社長で、彼が恭しく先を譲っている男性は、圧倒的な存在感で誰も声を出せなかった。


司は黒のスーツを完璧に着こなし、すらりとした体格と端正な顔立ち、どこか気品を漂わせていた。彼が歩み寄ると、賑やかだったオフィスが一気に静まり返った。


後藤は内心冷や汗をかきながら、司が突然カラフルに来たいと言い出したため、慌てて全ての予定をキャンセルして同行していた。エレベーターを降りると中から騒がしい声が聞こえ、司がしばらく入口で様子を伺っていたことに、後藤は緊張しきっていた。


「みんな、ちょっと集まって!」後藤が咳払いして、やや緊張した声を出した。「会議室の皆さんも出てきてください。ご紹介します――こちらがカラフルの新しいオーナー、九条司様です。」


司は皆の視線を気にする様子もなく、逆に後藤に顔を向けて尋ねた。


「後藤さん、私ってそんなに年寄りに見えますか?」


後藤は一瞬驚いたが、すぐににこやかに答えた。


「九条様、何をおっしゃいますか!お若くてご活躍されて、まさにこれからが一番輝く時期ですよ。私の方がずっと年上ですし、もし九条様が年寄りなら、私はもうおじいさんですよ。」


司は軽くうなずき、顔色を失った吉田の方に目を向けながら、はっきりとした声で言った。


「私も自分を年寄りとは思いませんよ。けど、さっき誰かがおじさんって言っていたようですね。」

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