司は再び美月の唇を奪い、激しく求めた。
理性が吹き飛びそうになる。美月の熱い体がぴったりと自分に寄り添い、今にも彼女をすべて自分のものにしたい衝動に駆られた。
けれど、一瞬の激情の後、わずかな理性が戻ってきた。
美月が意識のはっきりしない状態で、取り返しのつかないことをしてはいけない——司はそう自分に言い聞かせた。ふたりの体はまだ密着したままだった。司はベッドに手をつき、微かに距離をとって、美月の瞳を見つめた。
一言一言を噛みしめながら、かすれた声で問いかけた。「今、意識はあるか?」
体の内側にこもっていた熱が少し和らぎ、美月は幾分楽になったが、司が急に離れたことで、ぽっかりと寂しさを感じた。
半分閉じたまどろみの目で、それでもはっきりと答えた。「意識はある。」司の目に、再び激しい炎が灯った。
じっと彼女を見つめながら、さらに問いかけた。「俺のこと、誰かわかる?」
美月は黙ったまま、答えなかった。
司の心が沈んだ。「じゃあ、自分の名前は?」
美月は少し考えてから、「……分からない」と呟いた。
その瞬間、司の目に宿っていた炎が消えた。
このまま流されてしまえば、後で「君が誘った」と言い訳することもできる。だが、司はそんな賭けをしたくなかった。ふたりの間に、どんな小さな溝も作りたくなかった。彼女が本当に自分のものになるのは、完全に意識があり、自分の意志で選んだ時でなければならなかった。
ベッドに置いた手に力が入らず、司は目を閉じて、湧き上がる欲望を必死で抑えながらゆっくりと身を起こした。今度は美月をしっかりと布団で包み込み、顔だけが赤く染まって覗くようにした。
美月はじっとしていられずにもぞもぞと動いたが、司はきっちりと布団の端を押し込み、彼女をまるで繭のように動けなくしてしまった。やがて美月は抵抗をやめ、静かな寝息を立てて眠りにつき、司はようやく安堵の息をついた。
ちょうどその時、ベッドサイドのスマートフォンが突然震えた。
画面を見ると、登録のない見知らぬ番号。司は迷わず消音にした。電話は自動的に切れたが、すぐに同じ番号から再び着信があった。
一度なら間違い電話だろうが、二度続けてとなると用件がありそうだ。ベッドで眠る美月を一瞥し、司は静かにスマートフォンを手に寝室を出た。
三度目の着信で、司は通話ボタンを滑らせた。
受話器の向こうから、焦った声が響いた。「美月!やっと出たな!俺だ、誠司だ!」その声に、司の表情が一瞬で冷たくなった。
電話の向こうで誠司はまくし立てた。「前の番号は全部ブロックされたから、新しい番号にしたんだ。さっきクラブで、まだ言いたいことがあって……」
「用があるなら、俺に言え。」司が冷たく遮った。
しばらくの沈黙の後、誠司の声が低く絞り出される。「九条か?なんで美月のスマホをお前が持ってる?」
司は鼻で笑い、あからさまな皮肉を込めて答えた。「妻の電話に代わるのがそんなに不思議か?」
「お前……!」誠司は怒りを爆発させ、「美月と代われ!俺は彼女と話したいんだ!」
司はドアのそばに寄りかかり、眉間を押さえながら、低く悪意に満ちた声で言った。「疲れてもう寝たよ。」
受話器から沈黙が流れた後、再び激しい詰問が飛んできた。「今、お前たち何をしてたんだ?」
司はわざと、事が済んだ後のような気だるいトーンで答えた。「夫婦なんだから、夜中にふたりきりで何してると思う?」
以前ならすぐ電話を切っていただろうが、今夜はなぜか誠司の動揺した声を楽しみたかった。電話越しに、歯ぎしりするような音がはっきりと伝わってきた。
司は上機嫌で、さらに「気遣うように」問いかけた。「こんな夜中に妻に何の用だ?今日は気分がいいから、伝言なら預かるぞ。」
誠司はほとんど歯を食いしばって絞り出した。「お前に用はない!美月に会って話したいって、伝えてくれ。」
「分かった。」司はあっさりと答えた。
そのまま、すぐに通話を切り、履歴を消し、新しい番号も即座に着信拒否に設定した。「伝える」つもりなど、最初から毛頭なかった。
寝室に戻ると、スマートフォンを美月の枕元に静かに置いた。ベッドの上の彼女はすやすやと眠っており、酒の酔いもすっかり抜けたようで、頬にはほんのり赤みが残っていた。司はしばらくその顔を見つめてから、名残惜しくもその場を離れ、ジムルームへ向かった。
行き場のない熱を、サンドバッグにぶつけて発散した。その合間に高橋へメッセージを送った。
「最近、誠司が暇そうだな。霧島家に何か仕事を回して、余計なことを考える暇がないようにしてくれ。」
誠司は清夏と結婚すれば大人しくなると思っていたが、結婚式であんな醜態をさらし、未だに美月への未練を断ち切れていない様子だ。
これ以上余計なことをさせるわけにはいかない。ジムで三十分ほど汗を流し、冷たいシャワーを浴びてようやく心身が落ち着いた。
一方、誠司は夜更けの冷たい歩道に座り込み、震えていた。
クラブを出てから、胃の痛みがひどくなり、なんとか美月に電話をしたものの、応答したのが司だと分かると、痛みが一気に増した。
タクシーを拾って病院に戻ろうとしたが、車はみな乗客を乗せて通り過ぎていく。仕方なく痛む胃を押さえて歩き出し、すぐに歩道でうずくまってしまった。
今日の出来事を思い出し、胸が苦しくなった。清夏がまさか嘘をついていたなんて。すぐにでも離婚したいが、彼女のお腹には子どもがいる。無責任だと責められるのは避けたかった。
冷たい夜風に晒されながら、誠司は地面に倒れ込んだ。目が覚めたら、すべてが悪い夢だったらいいのに——そう願いながら。
そのまま夜半、真美子が彼の失踪に気づき、必死で探して、路上で凍えかけている誠司を見つけた。すぐに病院へ運ばれ、医師からは厳しく入院を命じられた。
これで司がわざわざ手を下すまでもなく、しばらく美月に近づく余裕もなくなるだろう。
翌朝、やわらかな陽射しに包まれて、美月はゆっくりと目を覚ました。
まさかあのジュースのようなお酒が、あんなにも強烈な後味を残すとは思いもよらなかった。クラブを出てからの記憶がすっぽり抜けていた。
体じゅうがバラバラになったようにだるくて、動こうとして初めて自分が布団でぐるぐるに巻かれていることに気づいた。なんとか抜け出して、大きく息をついた。
昨夜は司が送ってくれたのだろう……あんなに酔って、変なことしてなければいいけど。
ベッドサイドのスマートフォンを手に取ると、すでに八時を過ぎていた。シャワーを浴びて服を着替え、階下に降りようとしたところで、悠から電話がかかってきた。
「もしもし?朝からどうしたの?」
電話の向こうで、悠が涙声で訴えてきた。「美月……九条さんと一緒にいる?お願い、助けて!拓海が……お兄ちゃんに殺されそうなの!」