「悠のお兄さんと拓海って友達じゃなかったの?どうして殴ったりするの?」
悠は電話越しに泣きじゃくり、しばらく断片的に話し続けた。美月はなんとか状況をつなぎ合わせるしかなかった。
美月は携帯を握りしめ、足早に玄関を出ながら宥めた。「落ち着いて、ゆっくり話して……」
だが言い終わらぬうちに電話は切れてしまった。かけ直しても、応答はなかった。
美月は焦燥感に駆られながら階段を駆け下りた。リビングでは司がソファに座り、コーヒーを片手にタブレットでニュースを見ていた。美月の慌てた様子にすぐ気付き、立ち上がった。
「どうした?」
美月は手短に悠からの助けを求める電話の内容を伝えた。
司は表情を引き締め、すぐに車のキーを手に取った。「場所は分かった?」
「セレニティヴィラよ!悠のお兄さんが彼女に小さい別荘をプレゼントしたばかりで、みんなそこにいるみたい!」
「行こう。」司は迷いなく自ら運転することを決めた。
道中、美月は何度も悠に電話をかけたが、やはり出なかった。
司は眉をひそめた。「どうして悠が拓海と一緒にいるんだ?」
「私も全然分からないの。いつから関わりがあったのかも知らないし……。悠も電話では詳しく話さなくて、昨夜クラブを出たあと、拓海に迎えに来てもらって、それから……彼が別荘まで送ってくれて、そのまま帰らなかったって。」
「今朝、博司が空港から戻ってきて悠に荷物を届けに行ったら、ドアを開けたのが拓海で……しかも上半身裸だったの。」
「博司はその場でキレて、いきなり手を出したみたい……」美月は今でも信じられない思いだった。拓海と悠は、まるで別世界の人間のように思えた。
司も驚きを隠せなかった。「前に会った時は全然うまくいってなかったのに……」
「そうなの!」美月も同意した。「前に会ったときも、二人はいつも口喧嘩ばかりしてた。悠も彼のことはただのお兄さんだと思ってるとばかり……」
再び悠に電話したが繋がらず、美月の不安は一層募った。「今、中がどうなってるのか……」
司は落ち着いた口調で言った。「俺と博司は深い付き合いじゃないが、何度か顔を合わせたことはある。彼は冷静でしっかりした男だ。拓海を本当にどうこうするようなことはしないよ、大丈夫だ。」
車はスピードを上げ、三十分もかからずセレニティヴィラに到着した。
悠の新しい別荘は門が固く閉ざされ、静まりかえっていた。
美月はインターホンを押した。「悠、中にいるの?」
しばらくして、ドアがわずかに開き、目の腫れた悠が顔を出した。涙の跡がまだ残っていた。「美月……やっと来てくれた……」と、泣き声混じりに言った。
美月はそっと悠の頬に触れた。「まず中で話そう、何があったの?」
玄関を入るとすぐ、目に飛び込んできたのは血の跡だった。血痕はリビングの真ん中まで続き、拓海はぐったりと一人掛けのソファに倒れ込んでいた。唇の端からもまだ血が滲み、見るからに重傷だった。
ソファの横には、鋭い威圧感を纏った男性が静かに座っていた。スーツ姿で、シャツのボタンを二つ外し、血の付いた腕時計をゆっくり外している――まさに一息ついているところだった。その顔立ちは悠とよく似ており、彼が博司であることは一目で分かった。
美月は悠から、家ではこの兄を何より恐れていると聞いていた。普段どれだけ外で強気でも、家では博司には絶対に逆らえない。今、彼のただならぬ存在感に、美月も思わず身が引き締まった。
司も続いて中に入り、拓海の状態を一瞥すると、重い声で言った。「すぐに病院へ連れて行かないと。」
悠は泣き声を抑えながら小さく言った。「お兄ちゃんがダメだって……それに、みんなにドアも開けるなって。さっきも、もう殺すって……」美月はすぐに聞き返した。「一体何があったの?」
悠は少し落ち着きを取り戻し、できるだけ分かりやすく経緯を説明した。話は単純だった。今朝、博司がプレゼントを持って妹の新しい別荘を訪ねると、眠そうな顔で上半身裸の拓海がドアを開けた。
拓海は昔から藤原家に出入りしており、博司にとっては悠の世話を任せられるほど信頼していた存在だった。まさか、その「世話」がこんな形だとは夢にも思わなかった。
激怒した博司は、ためらいもなく拓海を殴った。拓海は一切反撃せず、ただひたすら殴られ続け、床に倒れ込んだ。悠は力を振り絞ってソファまで引きずり、なんとか服を着せた。
拓海の携帯も博司に壊され、悠は家族や友人に連絡できず、最後の望みで美月に助けを求めた。しかしその電話も途中で博司に取り上げられてしまった。
どれだけ懇願しても、博司は拓海を病院へ運ぶことを許さなかった。美月と司の姿を見た悠は、再び恐怖と不安がこみ上げ、涙を流した。「このままじゃ……彼、失血で意識を失っちゃう……」
だが、どんなに願っても、博司は全く耳を貸さず、険しい表情で怒りを隠そうともしなかった。
「博司。」司が低く、しかし有無を言わせぬ口調で言った。「何があったにしても、今一番大事なのは彼を病院に連れて行くことだ。ここで本当に……命を落とすことになったら、取り返しがつかない。」
博司は薄く目を開け、冷たい視線を司に向けた。これまでビジネスの場で顔を合わせれば、それなりに礼儀を持って接してきた間柄だ。両家に深い縁はないものの、拓海を通じて交流はあった。しかし今日の博司は、まるで別人のように険しい態度だった。
「司、これは俺の家の問題だ。余計な口出しは不要だ。」
普段ならこの態度に司も黙っていないが、今は拓海の容態が一番だ。我慢して少し語気を和らげる。
「博司、俺は君の家のことに口を挟むつもりはない。ただ、拓海は俺にとって大事な友人だ。俺の頼みだ、まずは病院に連れていかせてくれ。ここで何かあったら、誰にとっても後悔しか残らない。」
美月も必死に訴えた。「本当に呼吸が浅いし、このままじゃ危ないよ!」
博司はソファの拓海を冷たく見下ろし、「死にはしない。加減は分かってる。俺の目の前で妹をたぶらかした報いだ、これでもまだ甘いくらいだ。」
隣の悠がすぐに反論した。「たぶらかされたんじゃない!私はもう大人だし、恋愛はお互いの同意でしょ?何度言っても信じてくれないの?」
博司は怒りで頭がいっぱいで、悠の言葉には耳を貸さなかった。
司は再び辛抱強く諭した。「二人は本気で想い合っているんだろう。きっと誤解もあるはずだ。まずは拓海の治療が先だ。それからゆっくり話し合えばいいじゃないか。」
「誤解だと?」博司は勢いよく立ち上がり、鋭い目で司を見据えた。「司、お前も拓海の友人なら、奴がどういう人間か一番よく分かってるだろう!」
一歩前に詰め寄り、冷たい声で問い詰めた。「自分の妹が奴と付き合ってたら……お前は本当に、今みたいに冷静でいられるのか?」