美月は音声メッセージを開いた。
スマホから叔母の自慢げな声が流れてきた。「美月、どうして電話に出ないの?ねえ、誰に会ったと思う?」
美月は返信しなかった。叔母の性格はよく分かっている。こちらが聞かなくても、どうせ自分から話し出すのだ。
雅子を落ち着かせて部屋を出たところで、エレベーターに入るとすぐに二通目の音声が届いた。
「平山先生に会ったのよ!覚えてるでしょう、あの平山先生!」
エレベーターの壁にもたれた美月は、ぼんやりしていた頭が一気に冴えた。
彼女のこれまでの先生の中で、「平山」という名字の先生は高校時代の国語教師しかいない。大学を出たばかりで、いつも清潔感のあるボブヘアにベージュのスーツ姿。穏やかで知的な雰囲気に包まれ、本の香りがするような先生だった。美月の印象に強く残っている。
高校時代、瑠奈が同級生をいじめていたことは誰もが知っていたが、佐藤家の力を恐れて教師たちは見て見ぬふりをした。しかし、平山先生だけは、いじめられている生徒をかばい、瑠奈を職員室に呼び出して叱ったこともあった。そのおかげで、瑠奈も少しは大人しくなったものだ。
その後、美月が警察に通報したとき、他の先生たちは「ただの友達同士のふざけ合い」と口裏を合わせたが、平山先生だけは新人だったにも関わらず、最後まで味方になってくれた。けれど校長先生に注意されてからは、彼女も何も言えなくなり、やがて他の町へ転任してしまった。それ以来、美月は会えていない。
大学卒業後、一度会いに行こうとしたが、連絡先が分からず諦めた。
そんなことを思い出していると、また立て続けに叔母から音声が届いた。
「美月、平山先生、昔と全然変わらないのよ!本当に若いわ!」
「今ちょうど一緒にいるの。あなたの話もしていたのよ、立派になったって!」
美月は違和感を覚えた。叔母は学生時代、平山先生と特に親しくもなかったし、むしろ頑固だと陰口を叩いていたはず。なのに、どうしてこんなに馴れ馴れしいのか。
エレベーターを降りてから、メッセージで聞いた。「どこで会ったの?」
叔母はすぐに音声で返してきた。「銀座で買い物中に偶然会ったの。今も一緒よ。」
数秒後、今度は平山先生の声が聞こえてきた。「美月さん、お久しぶりです。叔母さんとご一緒しています。久しぶりに会いませんか?せっかく東京に来たので、明後日には戻らないといけないんです。」
思わず立ち止まり、何度も聞き返した——間違いなく平山先生の声だった。その澄んだ優しい声に、高校の教室が一瞬よみがえった。胸が熱くなった。
返信しようとしたところ、またも叔母から。「聞こえたわね?平山先生が会いたいって。美月、今夜空いてる?私がお店予約するわね。」
美月はすぐに「空いてる」と返した。
しばらくして叔母から「銀座『ムーンライト』108号室、夜8時に」と返信が来た。
先生に失礼のないようにと、急いで帰宅して着替えることにした。家に着いたのは6時半。「今夜は司と二人とも夕飯いらないから、用意しなくていいよ」と田中に伝えた。
顔を洗って軽くメイクし、上品なパールグレーのシャネル風ワンピースを選んだ。普段より落ち着いた装いだ。支度が済んだのは7時半。執事に頼んで運転手を呼び、銀座『ムーンライト』へ向かった。
運転手が近道を使ったので、7時50分には到着。入口に入ったところで、案内を受ける前に、すぐ隣から聞き慣れた声がした。「どうしてここに?」
振り向くと、司だった。
「昔の先生と食事する約束なの。司もここ?」
「うん、友達と約束してるんだ。」司はにっこりと近づいた。「終わったら一緒に帰ろうか?」
「うん、そうしよう。」
「何号室?」
「108号室。8時からだから、そろそろ行くね。」
「いってらっしゃい。俺は上の階にいる。」
「分かった。」
美月は司に微笑み、案内係について108号室へ向かった。ドアの前でスマホを確認しながら髪を整え、少し緊張しながら扉を開けた。
だが、中に叔母や平山先生の姿はなかった。部屋には三人の男が座っていた。左に叔父、右に従兄の哲、中央には見知らぬ男がいた。
美月は立ち止まり、笑顔が消えた。「どういうこと?平山先生は?」
哲が急いで近づき、彼女を見知らぬ男の隣に押した。「平山先生は隣の部屋にいるよ。ちょっとここに座って。」
違和感を覚えた美月は、哲の手を払いのけた。「また騙すつもり?」
「騙してないよ。」哲は彼女の肩を押さえて席に座らせた。「まずは食事でもして。今日は渡辺さんをお招きしたから、ちょっと付き合ってよ。」
美月は肘で哲の腹を突き、彼が苦しんでいる隙に立ち上がった。「何が目的なの?私は平山先生に会いに来たのよ!」
すぐに状況が分かった——小早川家が嘘をついて呼び出したのは、彼女に接待させるためだった。
逃げようとすると、叔父がドアの前に立ちはだかった。「どうして言うことを聞かないんだ。座りなさい!」
叔父が椅子を引きずって前に出てきた。反対側には、肥満体の渡辺がいて、逃げ道はなかった。ここまでされた以上、最初から計画されていたに違いない。
哲が再び肩を押さえ、「大丈夫、渡辺さんは不能だから、何もしないよ。飾り物のように座っているだけでいいから、おとなしくしていて。」