美月はメッセージを送り終えると、すぐに録音機能をオンにし、スマートフォンをテーブルの上に伏せて置いた。
叔父と渡辺が雑談している隙を見て、彼女は突然切り出した。「九条グループには厳しい規則があって、社員が入札先と私的に接触したり、贈り物を受け取るのは禁止されているそうですね。」
渡辺は一瞬驚いた様子で言った。「私は何ももらっていませんよ。」
「さっきお腹に入った松阪牛とクロマグロはカウントしませんか?」と美月は指でテーブルをトントンと叩いた。「この料理だって、40万円は下らないはず。これも一種の贈賄じゃないですか?」
「そ、それは……」渡辺はゆっくり箸を置き、苦笑いを浮かべた。「それを言い出したら、もう誰とも食事できなくなりますよ。」
叔父と哲は慌てて場を取り繕った。「ただの食事ですよ。そんな大げさな話じゃありません。渡辺さんに無理を言って来ていただいただけです。」
「そうそう、渡辺さんクラスなら、年末にちょっとした贈り物をもらうのも普通でしょう。」
三人の顔がこわばっているのを見て、美月は話題を変えた。「みんな生活があるからね。渡辺さんが決まった給料だけでやっていくのも大変だし、少しはほかの収入が欲しくなるのも分かりますよ。」とわざとにこやかに言い、悪意のないふりをした。
渡辺は再び箸を持ち直し、表情を引き締めた。「冗談はやめてください。私はそんなことはしません。」
美月は目を細め、彼が乗ってこないのを見て作戦を変えた。椅子にもたれ、渡辺から少し距離を取って、わざと軽蔑したような口調で言った。「渡辺さんって意外とクリーンなんですね。でも、あれだけの立場で、決まった給料だけじゃ、一年で何千万も貯まらないんじゃないですか?」
その言葉に、彼女は舌打ちまでして、まるで彼が金がないことを見下すような態度を見せた。
その様子に渡辺は、「この女は金しか見ていない」と思い、嫌悪感を抱きつつも、こういうタイプは金で落としやすいと判断した。
渡辺は美月の方に身を寄せ、小声で言った。「金ならいくらでもあるよ。俺についてくれば、絶対に損はさせない。」顔をくしゃくしゃにして、いやらしく笑った。
美月は嫌悪感を抑えつつ、あえて興味ありげに聞いた。「どうしてそんなにお金があるんですか?」
酔いの回った渡辺は、彼女が金目当てだと思い込んで得意げに言った。「金の出所なんて気にしなくていい。君のためならいくらでも使うさ。俺の資産は20億円もあるんだ。」
美月は彼が手を伸ばしてきたのをかわし、驚いたふりをした。「九条グループでどんな役職でも、年収はせいぜい5千万円でしょ?仮に一億円でも、20億円貯めるには二十年かかりますよ。」
渡辺は意味深な笑みを浮かべた。「九条グループの給料なんてたかが知れてる。命を売ったって、そんなに貯まりはしないよ。」
「じゃあ、やっぱり裏があるんですね。」と美月は肩をすくめ、納得したように言った。
「まぁまぁ、そんな言い方はよくないよ。」渡辺は手を振り、「横領なんて言葉は聞きたくないな。俺がやってるのは正当な資金運用だ。」
美月が興味津々な目で、少し尊敬の色まで見せると、渡辺はさらに酔いが回り、自慢げに話し始めた。「話しても問題ないさ。みんなが勝手に俺に感謝してくるだけで、無理強いなんてしていない。しかも案件もちゃんと進んでるし、商品も合格してる。双方にとってウィンウィンだろ?小早川さんもそう思うよね?」
叔父はすぐに同意した。「そうですね、お互いにとって利益がある話ですよ。」そして美月が大人しくしているのを見て、警戒心を解いた。「もし案件を取れたら、渡辺さんにはちゃんとお礼しますよ。入札の時はよろしくお願いします。」
「それはもちろん。」渡辺保夫はそう言い、叔父とグラスを交わし、賄賂の話を堂々と口にした。
美月はさらに追及した。「そんなにお金があって、監査とか怖くないんですか?現金で持ってるのならどこに隠してるんです?」
「それが分からないんだな!」渡辺はまた美月に近づき、今度は説教じみた口ぶりで続けた。「うちの妻が骨董商をやってる。きみの叔父がうちで茶碗でも買えば、そのお金が自然と俺のものになるんだよ。」
「なるほど!」と美月は本気で感心したように言った。「奥さんの骨董品は全部偽物で、価値なんかないのに、誰もそれを指摘しないんですね。」
「だから、高値で偽物を買ってもらえば、俺への金が正当な収入になるってわけだ。」
渡辺はうなずき、「やっぱり美月さんは賢いね。これで俺が20億持ってるって信じたでしょ?」
美月はゆっくり息を吐いた。「よくそんな大胆なことができますね。もし会長にバレたら、一生刑務所暮らしですよ。」
その言葉に渡辺の顔色が一気に変わった。彼は「刑務所」という言葉を何よりも嫌う。
叔父は慌てて、「馬鹿なこと言うな!渡辺社さん九条グループの幹部だ。そんなことあるわけないだろ!」
「幹部?ふっ、司には敵わないでしょ?」と美月は鼻で笑った。
哲は彼女を睨みつけ、「司に会えるような人間じゃないだろ。知り合いのふりしても無駄だよ。」
美月は腕を組んで椅子にもたれ、口元に薄い笑みを浮かべた。「もちろん知ってるよ。私が司に告発しに行ったら、どうする?」
室内が一瞬静まり、三人は顔を見合わせてから、いっせいに笑い出した。
「また、そんな冗談を。」
「司を知ってるなんて、よくそんな嘘がつけるもんだ。」
誰も美月の言葉を本気にしなかった。渡辺も、たとえ彼女が告発したとしても自分なら揉み消せると思っていたし、司を知っているなんて、全く信じていなかった。
「本当に私が告発しても怖くない?」と美月はさらに問いかけた。
「怖くないさ。」渡辺は余裕の表情で、「ここまで話したんだ。今さら怖がることなんてない。」
美月はテーブルの上からスマホを手に取った。「じゃあ、今の録音、司に送っても大丈夫だよね?」
「どうぞどうぞ。」渡辺は余裕の笑みを崩さず、全く動じなかった。
「ではーー。」美月はスマホをひらひらと振って見せた。「じゃあ、今すぐ司に送るね。」
「ふはは……」渡辺はさらに大声で笑い、「口だけの脅しはやめてくれよ。まるで芝居じゃないか!」
その笑い声が収まらない内に、障子の向こうから突然、誰かが勢いよく戸を開けた。