神崎は、今にも倒れそうなほど弱々しいその姿を見つめていた。彼女の体力はとっくに限界を越えているのは明らかだったが、それでもなお頑なに歩みを進めている。
言いようのない息苦しさが、彼の心臓をきつく締め付けた。
彼は数歩で近寄り、何の前触れもなく彼女を横抱きにして持ち上げた。
「離して!」突然身体が宙に浮き、玲子は驚きと怒りで激しくもがいた。
男女の体力差は埋めようがなく、神崎は彼女の膝裏と肩をしっかりと押さえ、微塵も逃げ出させることはなかった。
周囲には人影がまばらだったが、すでに好奇の視線がちらほらと向けられていた。
「もっと大きな声を出してみるか?俺は皆に見せつけても構わないぞ。」
神崎の声は冷ややかで真剣だった。
玲子は視線を避けるように顔を彼の胸元に埋めたが、身体はまだ無言の抵抗を続けていた。
「あなたは一体何がしたいの?私たちはもう関係ないでしょ!」
怒りを抑えながら、歯の隙間から絞り出すように言った。
「怪我した足を引きずって帰るつもりか?」
彼はわざと手を緩める素振りを見せた。
玲子は本能的に腕をきつく回し、彼の首をしっかりと抱きしめた。
その無意識の依存の仕草に、神崎の目がほんの僅かに和らいだ。
「ふっ、さっきは何しに来たと聞いてきたくせに、今は自分からしがみついてきてるじゃないか。」からかうような声が彼の口からこぼれる。
玲子は深く息を吸い込む。怒りで頭が真っ白になりつつも、反論できなかった――確かに自分でしがみついたのだから!
手は硬直したまま、離すこともできず、かといってそのままでもいられない。距離が近すぎて、互いの呼吸が絡み合う。馴染みのある、彼だけの匂いが全身を包み込んだ。
「下ろして!自分で歩ける!」危険な誘惑に再び陥るのを恐れ、彼女は必死に突き放そうとした。
夜風が襟元から忍び込み、玲子は首をすくめる。風に紛れて彼女の声はか細くなった。「下ろして……!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、神崎は本当に力を緩めた!
「きゃっ――!」突然の浮遊感に玲子は叫ぶ。しかし次の瞬間、彼はさらに素早く彼女を抱き直した。
額が彼の鋼のような胸にごつんとぶつかる。
「おとなしくしろ。」
腕をさらにきつく締め、歩みはかえって慎重になった。まるで壊れやすい宝物でも抱えているかのように。
「これ以上暴れたら、本当にここに置いていくぞ。」
今この時、火花を散らす二人は、この行動に隠された違和感に気付くことはなかった。
玲子の頬は火照り、首元に顔を埋めたくてたまらなかった。幸い、すぐに車が到着した。
神崎は彼女を後部座席に下ろし、運転手の中村に「六本木ヒルズタワー」とだけ告げると、シートにもたれて目を閉じた。
玲子は顔を背け、流れる夜景に映る彼の横顔を見つめた。その鋭い輪郭は、まるで芸術品のようだった。だが少しして、また彼に視線を戻してしまう。心の中は複雑な感情で渦巻いていた。
高級マンションに到着。
「降りないのか?」神崎が先に車を降り、険しい声をかける。
玲子はドアノブを掴み、「バタン」と強くドアを閉めた。
「ここは
神崎は目を細め、運転手の中村に冷たく命じた。「じゃあ地下駐車場へ。」
あの広くて暗い地下空間を思い出し、玲子は息を呑んだ。逡巡の末、しぶしぶドアを開けた。
リビングで、神崎が家庭用救急箱を手にやってきた。
「自分でやれ。」彼は救急箱をローテーブルに置き、彼女の足の傷へと視線を落とす。
玲子は無意識に足を引っ込めた。たとえ関係が壊れた今でも、彼の前でみっともない姿を晒したくなかった。
「必要ないわ。」きっぱりと拒絶した。
神崎は彼女の青白い顔に視線を戻す。額の汗が、彼女の無理を物語っていた。
やれやれ……強がりめ。
「じゃあ俺がやる。」彼は問答無用で隣に座り、綿棒に消毒液をつけ、容赦なく傷口を押さえた。
「っ……!」玲子は痛みで足を震わせ、うめき声を漏らした。
「仕返しのつもり?」思わず口にしたその言葉には、どこか拗ねたような響きが混じっていた。
ふいに目が合う。
玲子は慌てて綿棒を奪い取り、ぶっきらぼうに言った。
「社長に世話焼かれる筋合いはありません!」
神崎の指先には、さっき触れたばかりの冷たい肌の感触が残っていた。彼はじっと、うつむいた彼女の長い睫毛、青白いけれども整った横顔、傷を処置する細い指先を見つめる。
久しぶりに静かな空気が流れた。
彼はごく僅かに口角を上げ、ゆっくりと救急箱を片付け始める。彼女がこんなに静かで従順なのは、もう随分と久しぶりだった。
空気が静まり返り、二人の呼吸まで聞こえてきそうだった。
「君は――」
「私――」
同時に口を開き、玲子がすぐに口をつぐむ。
「今夜はここに泊まれ。」神崎の声は有無を言わせなかった。
反論の言葉が喉まで出かかったその時、不意に携帯の着信音が鳴り響いた。
玲子の視線は神崎の携帯画面へ――そこに躍る「美咲」の二文字が、冷たい針のように、この幻のような静寂を一瞬で突き破った。玲子の口元に、苦い笑みが浮かんだ。