――これより母の仇討ちを遂行する。
魔術士アラン・ウェスターは漆黒の闇を冷たく睨んだ。そして手のひらで自分の髪を撫でる。幼き頃、今は亡き母が撫でてくれたように。最近では魔獣と対峙する際の手癖になっていた。
眼前の闇の中で耳をつんざく奇声が轟いた。叫ぶのは植物タイプの魔獣だ。
「思う存分に叫べよ。それが最期の言葉になるからな」
現れたのは、キルプラントという巨大な食肉植物で、太くしなやかなツルを高く掲げた。狙うはアランの細身の体。勢いよく振り下ろされたツルは、地面を激しく叩き、地割れを生んだ。
しかしアランにはかすりもしない。頭から被ったフードがはだけて、黒髪が見えただけだ。皮一枚で避けた青年は、右手をキルプラントに向けつつ高らかに叫んだ。
「エナジーストライク!」
その手に光の矢が現れては、閃光がほとばしる。そして魔獣の腹を焼き切った。強靭なる巨体は黒煙となって消えていった。
近くに敵が数体見える。それを仲間と連携しつつ、着実に葬っていく。アランを始めとした数名が、3体のキルプラントを消し去ったころ、辺りから殺気が消えた。
「中央、殲滅完了した!」
アランは乱れた黒髪を後ろに流しつつ、叫んだ。部隊の右翼、左翼からも殲滅の声があがる。魔術士隊は魔獣の軍勢を撃退したのだ。
しかし被害は甚大だ。頭上で白色の照明魔法が煌めく中、戦闘の激しさまでも照らし出した。大地を染める赤黒い血、えぐれて凹凸だらけの地面、仲間も大半が負傷していた。
膝をついて喘ぐ魔術士たちの中には、部隊長の姿もあった。彼は左手で脇腹を押さえていた。
「クラウス隊長、怪我を?」
アランが駆け寄ると、クラウスは脂汗の滲む顔を歪めた。
「クソッ、しくじった……。部隊の様子はどうだ?」
「何かしら負傷していそうです。まともに動ける人間の方が少ないかもしれない」
「もはや継戦能力などあるまい、ここは撤退すべきか。目標まで目と鼻の先だが……」
「オレが1人で行きますよ。隊長は負傷者を連れて撤退してください」
クラウスは唸るとともに、睨みつけた。
「1人で封印の神殿に行くつもりか? 無謀だ、どんな危険があるか分からんのだぞ!」
「それでも宝珠の封印さえ解いてしまえば、あとは帰るだけです。だから、鍵を――」
アランが差し出す右手に、クラウスは大振りな鍵を手渡そうとして、何度か躊躇した。結局は手渡される。
「手に負えないとわかり次第、すぐに撤退しろ。これは命令だぞ」
「もしオレが戻らなかったら、立派な墓を立ててくださいよ。もちろん公費で」
「骸(むくろ)になって帰ってきてみろ。亡骸に唾を吐きかけてやる。忘れるなよ」
無言のまま、きびすを返したアランは、その場から駆け去った。部隊から離れて暗闇の中を駆けていく。頭上で追随する照明魔法が、進むべき道と、荒れ果てた野原を照らした。
(死ぬつもりもないが、おめおめと逃げ帰る気にもなれねぇよ)
やがて切り立った崖にたどり着くと、黒ずんだ鉄扉を見つけた。大きな錠前を鍵で開くと、扉は開いた。錆びついた音はひどく耳障りだった。
神殿への道が開かれた、その時だ。背後から呼び止める声がかかった。
「アラン、待ってくれよ〜〜」
やって来たのは同期の魔術士で、デニスという名の青年だった。丸いシルエットの茶髪頭や、マントは泥で汚れているが、五体満足だった。
「デニス……。お前、みんなと一緒に引き揚げたんじゃないのか?」
「あのあとクラウス隊長が、僕に付いていくように言ったんだよ」
「それをアッサリ引き受けたと。安全かどうか分からないのに?」
「実をいうと、お願いしたいくらいだったよ。何せ何百年も語り継がれる『ソフィアの宝珠』が甦る歴史的瞬間だろう? 是非ともこの眼に焼き付けておきたいんだ」
「この魔術具マニアめ。まぁいい、好きにしろ。骨くらい拾ってやる」
鉄扉の向こうは洞窟だった。幸いにも魔獣の気配はなく、コウモリやトカゲを目にするくらいだ。照明魔法を頭上に引き連れつつ、奥を目指した。
「出入り口が封じられてたお陰かな。中は魔獣がいないようだね」
「奴らは神出鬼没だ。気を抜くんじゃねぇぞ」
「ねぇ、アランはどうしてソフィアに固執するんだい?」
「ソフィアの宝珠を持ち帰ること。それが任務だろ」
「本当にそれだけかい?」
「何が言いたい」
「隊長は撤退を考えてたよ。それなのに、君は1人での突入を願い出た。特別な理由がないと説明がつかないよ」
「オレは……」
アランは目を細めた。脳裏によぎるのは、幼かった頃の自分だ。
――母さん、僕は魔術士になるよ! そしたら母さんを守ってあげるからね!
10歳にも満たない頃、毎日のように口にした言葉だ。母のクララは、痩せた手のひらで息子の頭を撫でて、優しく微笑んだ。その瞬間を、アランは心から愛していた。
しかしそのひとときも、ある日突然に終わりを告げた。
街に魔獣が乱入し、大勢の人々を手に掛けた。それはアランの母とて例外ではなかった。巨大な狼の群れが迫りくる中で、クララは身を挺して息子を守った。
――逃げなさい、アラン!
狼は、クララの腹に食らいついては、そのまま駆け去ってしまった。間もなくアランは魔術士に保護され、魔獣も殲滅されたが、一足遅かった。
クララは無惨な姿で発見された。衣服と髪型で、かろうじて見分けがつくような亡骸だった。息子とはいえ、幼子のアランに最後の対面は許されなかった。次の再会は墓標の前だった。
――僕が守るって、約束したのに……!
墓標の前で泣きじゃくる姿は、たびたび目撃されたものだ。雨の日も風の日も、雪の降り積もる日でさえ、アラン少年は墓前の傍で座り続けた。
その少年も今や大人になった。彼が魔術学校を首席で卒業し、筆頭魔術士の1人に名を連ねる実力者となったのは、皮肉な話だった。
彼の類稀なる才気と、果たせなかった約束に対する執念は、酷く血なまぐさいものに変貌した。
「この世から魔獣を滅ぼす。あらゆる魔獣を葬りたい。そのためには単に奴らを倒すだけじゃダメだ、宝珠の持つが特別な力が必要だという。だったら死力を尽してでも手に入れるべきだろ」
「物騒だなぁ。もうちょっとこう、楽しげな動機はないのかい? 絶世の美女でもあるソフィアと、真っ先に対面したいとかさ」
「さっきからうるせぇな。少しは黙れよ」
アランが苦笑した所で、彼らは見えない境界線を越えた。それまで岸壁だらけの洞穴だったものが、広い空洞に出たとたん、様相が様変わりする。
天井も壁も無数に青い光が煌めいた。天然の鉱石が発光するためだ。地面には豊かな草原が広がり、野花が咲き乱れ、地下水脈の小川は清水を絶やさず流れ行く。
その光景は少なからず衝撃をもたらした。
「うわぁスゴイなぁ! こんなにも生命で溢れるだなんて、地下とは思えないよ!」
小川のほとりには、ホタルの光まで煌めいており、デニスを興奮させた。
その一方で、アランは無感動に歩き出した。
「特別な力を持った宝珠が眠ってるんだ。これくらいやってくれなきゃ、期待外れってもんだろ」
草地を踏みしめて進むと、彼らは石造りの祭壇を見つけた。
「見てよ。ソフィアの石像が並んでる。すごくよく出来てるね!」
祭壇の左右には同じ造形の石像が、対をなして並ぶ。それらは祈りを捧げる姿を模していた。デニスは鼻息を荒くして近寄り、見物しはじめた。
「いやはや、匠の技が光ってますなぁ。髪の長さに体型、手足の長さ。慈愛に満ちた顔でありつつも瞳には憂いが秘められて――いいね! 職人も絵画で見ただけのソフィアを、よくもこう緻密に再現したものだよ」
「そんな事はどうでもいい。目的はこっちだ」
アランが指差す台座の上には、金細工の装飾品が安置されていた。祭壇の全体が、緩やかに明滅を繰り返す。
「封印の魔術語(ルーン)が刻まれてるな。だが、効力はほとんどないぞ」
アランが台座に触れながら言った。卵で言えば、大きな亀裂の走った状態だ。僅かな外圧があれば、封印は解かれると思われた。
「ノンビリと復活を待っていられない。無理やり破壊するぞ、手伝え」
「大丈夫かなぁ。あまり手荒に扱うのは……」
「1日も早く宝珠を持ち帰る。嫌ならお前1人で帰れ」
「別にイヤとは言ってないさ。ソフィアのご尊顔を早く拝みたいしね」
「だったらゴチャゴチャ言わずに手伝え」
アランは右手を台座に向けた。
刻まれたルーンに対して、真逆の意味を込めた物を虚空に描き、渾身の魔力を注ぎ込む。
辺りに暴風が吹き荒れた。反発しあうルーンが暴走しようとしている。だが手応えはあった。あと少しで、ヒビ割れが崩壊に繋がるような予感が。
「デニス、もっと魔力をこめろ!」
「言われずともやってるよ! すごい圧力で、押し返されそうだ……!」
「とにかく気合だ! 抑え込めーーッ!」
力の拮抗に堪え続けていると、突如として、ガラスの割れる音が響いた。
台座から感じる力も、嘘のように消えた。封印がついに解かれたのだ。
「見て、アラン! 宝珠から人が!」
台座の上に置かれた金細工から、光の粒が浮き上がっては塊になった。それは人の手足を、身体を、頭を模して、生き生きとした色も浮かび上がった。
青髪、青い瞳の人型が、膝を折りたたんだ形で宙に浮いている。
「これが宝珠の化身なのか……?」
アランのつぶやきに、その人物は反応を示した。開かれたまぶたが青い瞳を顕にする。そして膝を伸ばして、ゆっくりと石畳の上に降り立った。
さながら綿毛が舞い降りるかのように、優雅で、神々しくすらあった。
「本当に、宝珠の化身ソフィアなのか……?」
その人物は妙に背が低い。手足も指も短く、アゴも丸い。どう見積もっても10歳くらいの少女である。
少女は、赤い花弁のような唇を開き、呟いた。
「ふわぁ〜〜。おはようごじゃいます〜〜」
あまりのフランクさに、アランは硬直した。理解が追いつかない。さながら石化でもした気分を味わった。
「んにゃ? お兄さんたち、まじゅちゅし?」アランは辛うじて頷くと、ダメ押しに軽快なコメントが飛んだ。「そうなんだね、よろ〜〜」
そのお気楽さはトドメの一撃となり、アランの意識をしばし消し飛ばした。膝から崩れ落ちるに至らなかったのは、彼の強靭なる精神力のお陰だった。
この天真爛漫なソフィアと、百戦錬磨のアランという不釣り合いな2人は、やがて世界に安寧をもたらすことになる。今はまだ、不協和音が響きそうではあるが――。