魔獣と対抗する力を求めにやって来たアランたちは、祭壇で呆然とさせられた。
「これ、偽物っていうオチはありうるか?」
「さすがに無いんじゃないかな……。簡単に立ち入れない場所だし、そもそも厳重に封じてたんだから。本物だと思うよ」
2人は改めてソフィアの風貌を眺めた。澄んだ湖面のような青い髪がアゴ先まで覆い、瞳も同じ青。純白のローブに、意匠の細やかな腰ベルト。髪の短さ、それと妙に幼い事に目を瞑れば、絵画や歴史書で見る宝珠の化身そのものだった。
そのソフィアはというと、眠たげに宙をただよっていた。どこか、塀の上で寝転ぶ野良猫を彷彿とさせる。
「どうだデニス。お前が待ち望んだソフィア様は」
「正直驚いたね。でも何というか、これはこれで良いよ」
「そういう癖(へき)があったのか。まさかお前が、ガキみたいな女が好きだったとはな」
「いや違うよ!? 下世話な話じゃなくて、こう……見ていると心が洗われるというか、いつまでも眺めていられるというかね?」
「やめとけ。喋るほどに墓穴が深くなってる」
ソフィアは、そんな会話など聞いていないのか、大きなアクビをさらした。そして「もうちょい寝る〜〜」と告げては、光の粒となって消えた。
その光は宝珠に吸い込まれて、見えなくなる。
「さて、どうしたものか……」
「どうするって言われても、ここに置いてはいけないよね」
「持って帰ろう。判断はお偉いさんに任せる。オレにはもう分からん」
台座の宝珠を回収して、すぐさま帰路についた。洞窟を出て空を見上げる。漆黒の中、白く煌めく照明魔法が等間隔に連なるのが見えた。帰還ルートだった。
「急ぐぞ。照明が切れたら厄介だ」
アランは足元に魔術語(ルーン)を描き、魔力(アニマ)を注入し、唱えた。
「エアスライド」
すると透明の板が生まれ、飛び乗れば強い推進力を受けた。その力で飛翔する。全身に黒い風を浴びながら飛び立った。
世界を空から見下ろすと分かる。どこもかしこも無明の闇だ。この照明魔法は、簡易的な灯台で、安全に飛行するための物だった。
(宝珠を手に入れたは良いが……これが役に立つのか?)
この途方もない闇を前にすると、何もかもが無力に感じられる。空にも大地にも光など見えない。あるとすればただ1つ――彼らの住まう街だけだ。
漆黒の闇の中で、唯一光り輝く城塞都市アースヒル。その上空に辿り着いた。アランは安堵すると同時に、得も言われぬ不安に襲われてしまう。
まるで洞窟に取り残された松明のように、ポツリと闇に佇んでいる。その光景はいつ見ても寒気と陰鬱さを与えるものだった。
その街の中央に、古めかしい石造りの施設がある。アランたちはそこへ目掛けて急降下した。彼らの所属する魔術院だ。
「腹が減ったな。食堂――の前に報告だろうな」
魔術院の広大な敷地を歩き、本棟へと赴く。するとそこで、馴染みの顔と出くわした。
「アラン君、デニス君、ちょうど良いところに」
長い金髪をひとつ結びにする妙齢の女術士、アナスタシアだ。小脇に羊皮紙の束を抱えながら、アランのもとに歩み寄った。
「ミールデン院長が呼んでたわよ。無事に帰還したなら来てくれって。怪我してたら治療を優先で良いらしいけど」
そこまで聞いたアランは、急に脇腹を押さえだした。
「いっ、いてて。激しい戦闘の果てにダメージが。デニスなんて明日をも知れぬ重体かもしれねぇ!」
「えっ、僕も!?」
「はいはい、今回も無事だったのね。じゃあよろしく〜〜」
「年寄りの長話かよ……せめてメシを食ってからにしてぇな」
「遅かったわね。院長が見てるわよ」
アナスタシアが見上げながら言った。そちらでは、窓の向こうで白髪頭の男が手を振っていた。もはや誤魔化しは通用しない。
諦めたアランはデニスとともに、本棟に赴いた。その3階に院長室はある。
訪うと、ミールデン院長が穏やかな笑みで迎えてくれた。彼にマントはなく、濃紺のジャケットにズボンという内勤者の装いだった。アランたちは魔防マント、そして同じ素材のマスクを、丸めて小脇に抱えている。
「大変な任務のあとに呼び出して済まないね。さぁ、寛いでくれたまえ」
来客用テーブルには人数分の紅茶が湯気をたてていた。大皿には、砂糖漬けのナッツに、新鮮なカットフルーツも盛り付けられている。
アランは牛革のソファに堂々と座ると、手づかみにしたナッツを口に放り込んだ。恐縮してちんまりと腰掛けるデニスとは対象的に。
「さて、早速だが、宝珠はどうなったかね?」
「持ち帰りましたよ。まぁ、問題はありましたが」
「見せてくれないか」
アランは、腰の袋から宝珠を取り出し、卓上に置いた。
豪華絢爛な金細工。青く大きな宝玉が埋まるもので、成り金趣味の人間なら垂涎ものの装飾品だった。
ミールデンは、しげしげと眺めた。その視線は優しく、まるで老父が孫を見守るのと似ていた。
「形状は伝え聞くとおり、そして放たれる魔力も独特だ。ソフィアの宝珠に相違ないね」
「やっぱり……何かの間違いであって欲しかった……」
「どうかしたのかい? 大手柄を喜ばないだなんて。表彰ものの戦果だよ」
「その、理由があってですね、ええと……」
アランが言い淀んでは、宝珠を見つめた。
するとその青い宝玉から、突然人間の頭が飛び出した。そして天真爛漫にケタケタと笑い出す。
「あっ、オヤツ食べてる! 私にもチョーダイ!」
あまりにも唐突の登場だ。アランは激しくむせて、デニスはソファから転げ落ちた。ミールデンも眼を見開きつつ、背もたれにしがみついてしまう。
「ソフィアこの野郎! 急に出てくんじゃねぇ!」
ソフィアは叱られても全く響いていない。頭だけ出したままで「見て見て、なまくび〜〜呪っちゃうぞ〜〜」とおどけた。
アランは改めて咳払いをして、ミールデンに告げた。
「こういう事です院長。甦ったは良いのですが、なぜか幼児退行してまして」
「ふむ……なるほどね」
ミールデンは静かに唸りつつ、ソフィアを眺めた。そのソフィアはすでに飛び出し、果物にかじりついている。輪切りレモンの酸っぱさに口を強くすぼめていた。
「魔力はどうだろうね。見た目が子供でも、強ければ問題ないわけだし」
「確認していません。振る舞いがあまりにも幼く、実力も相応だろうと判断しました」
「決めつけは良くないよ。人は見かけによらないと言うしね」
ミールデンは、ソフィアに向き直り、尋ねた。
「やぁソフィア。ちょっとお爺の話に付き合ってくれるかな?」
「んん、いいよ〜〜」
「君はもっと大人だった気がするんだけど、違うかな?」
「えっとねぇ、こっちの方がいいな〜〜って思ったの」
「それはどうして?」
「うう〜〜ん、忘れちゃった!」
「そうかい、教えてくれてありがとうね。もう一つだけ聞きたいんだけども」ミールデンは微笑みを絶やさずに続けた。対するソフィアも、カットフルーツに食らいつきながら応じた。
「君の魔術を見てみたいんだけど、どうだい?」
「魔術ってどうやるの?」
「やり方は君の方が詳しいと思うな。今からすっごい昔に、君はたくさんの魔獣を倒したんだよ」
「んん〜〜覚えてない〜〜」
「わかったよ、こんな風に文字を描いて、力をウン〜〜と入れてもらえるかな?」
ミールデンは戸棚から魔術書を取り出した。そして開いたページを見せつける。小首を傾げつつ眺めたソフィアは、たどたどしくルーンを描く。続けて申し訳程度のアニマを注ぎ込んだ。
ぽすん――と煙が出た。初歩的な火の魔術でさえ、発動させる事が出来なかった。
これはダメそう。ソフィアを除く全員がそんな表情を浮かべていた。
「院長、見かけ通りです。物の役に立ちません」
「しかしね。彼女は数多の魔獣と対抗し、そして葬ったと、様々な資料に残されているんだよ。真の実力を発揮すれば、我々など足元にも及ばんはずだ」
「子供と大差ありません。初級ですら失敗するんですから」
「弱いならば、育てたらいいよ」
「育てる……?」
聞き返すアランに、院長はうなずいた。
「魔術を教え込み、鍛えたなら、かつての力を取り戻せるかもしれない。その可能性は大いに有り得ると思うんだ」
「ちゃんと育つ保証なんてありませんが」
「ダメならば、そのときは諦めようじゃないか。我ら人類はこの街をひた守り、暗闇の中で生涯を閉じるのだと」
ミールデンは立ち上がり、窓辺に寄った。見上げた空は真夜中のように暗いが、まだ日中だ。漆黒の風が空を覆い隠し、太陽すら陰らせてしまうからだ。
アースヒルの住民たちは、かれこれ10年以上、闇の中で暮らしている。
「アラン君。我らの魔術が進歩したといえど、魔獣と対抗するのがやっとだ。この途方もない闇を払い、青空を取り戻すことは、今の技術では不可能だ」
「ソフィアならば、それが出来ると?」
「文献には、不思議な力で闇を封じ込めた――とある」
「初歩魔術すら扱えない子供です」
「これから育てるのだよ、君がね」
「オレが!?」思わずアランは腰を浮かしてしまった。
「どうせ教え込むなら、筆頭魔術士たる君の手ほどきが良いだろう。適任だと思う」
ミールデンの視線が隣に移った。
「デニス君は、魔術具に詳しかったかな。アラン君のサポートをお願いしたい」
その返答はあまりにも早かった。
「お任せください院長! 僕とアランが手を組めば、ソフィアを最高の女性に育て上げてみせましょう! 期待しててくださいね!」
「うん、まぁ、やる気はあるようだね……」
目を輝かせて即答するデニス。その脇をアランは肘で突付いた。
「お前、なに勝手に決めてんだよ」
「これは君のためでもあるんだよ。ソフィアを育てる事で彼女の相棒になるんだ、そうしたら君の願望も実現しやすくなると思うよ」
「魔獣くらいオレ1人でも倒せる」
「倒せはしても、殲滅まではできないだろう? 殺したと思っても、また別の個体が立ちはだかる。魔獣の生態は謎に包まれてるんだ。それを解明するのにソフィアは役立つんじゃないかな」
「それは希望的観測だろ。ろくな保証がない」
「そうかもしれない。でも、やって損はないさ。君はソフィアの能力を借りて謎を追求し、その傍らで僕はソフィアの活躍を特等席で眺めるのさ。あぁ、想像するだけでトロけそうだよ……」
「結局お前の私利私欲かよ」
唾棄したくなったアランだが、デニスの言葉にも一理あると感じていた。それほどに手を焼いているのは事実だ。
魔獣は闇の中から現れては消え、倒してもキリがないという状況だった。敵の実態を掴むには新たな能力が求められる。それが宝珠の力だとしたら――この話は悪くないと言えた。
「わかりましたよ院長。やれるだけやってみます」
「おお、引き受けてくれるかい。期待してるよ」
アランは続けてソフィアに目を向けた。
「ソフィア、話は聞いたな? これからお前をビシバシ教育してやるから、覚悟しておけ――」
するとソフィアは顔を持ち上げたが、両目を一口サイズのオレンジの皮で隠していた。
「見て見て〜〜お目々が黄色くなっちゃった〜〜」
やっぱりダメそう――。アランは本日2度目の石化を味わった。
それでも彼の手による教育は、この日を境に始まった。この時点ですでに安請け合いを後悔していたが、すでに運命の歯車は回りだしていた。