「我が婚約者リズ・クラウディア! お前を国家反逆罪の容疑で拘束させてもらう。無論、お前との婚約も破棄だ!」
我がクラウディア家の玄関ホールで、私──リズ・クラウディアは突然、王国の兵によって拘束されてしまった。後ろ手には縄がかけられ、兵士の一人が私の長い黒髪を無造作かつ乱暴に掴む。
今しがた私の拘束を命じたのは、私と同い年の婚約者で、このラーテラス王国の第一王子、セイン・ラーテラスだった。端正な顔立ちで、金の髪を短く切り揃えた殿方だ。そしてその隣には、わざとらしい嘘泣きをする黒髪ツインテールの美少女がいる。16歳になる私の妹、ルナ・クラウディアだ。
(私に前世と変わらぬ力があれば、この程度の拘束と兵の包囲は、十秒で抜けられたのに……)
そう私は思うのだが……。しかし今の私は、少し武芸に秀でた程度の、18歳の公爵令嬢だ。私は毅然とした表情で王子セインに目を向けた。そして質問を投げかける。それぐらいしか出来なかった。
「理由をお聞かせ願いましょうか。セイン殿下」
するとセインは、「ハッ!」と吐き捨てるような声を出してから話した。
「とぼけるなよ、リズ。お前の前世が、約230年前の魔王軍四天王の一人だったという証拠を掴んだんだ。可憐な容姿と、そして清く正しい心を持つルナがなぁ……」
実を言うと、セインが話したことは真実だ。
私の前世は、魔王アッシュ・グランバルト様に仕えた四天王の一人。青薔薇の女騎士の渾名で知られる、女騎士リース・ナイトメアだった。
しかし、その証拠があるとしたら1つしかない。そしてそれは、私の自室で金庫に入れて厳重に管理していたはず……。
まさか──と思い、私は妹のルナに目を向けた。するとルナは、嘘泣きをしたままさめざめと話し始める。
「えぇ……。お姉様は何かを隠しているに違いない、怪しいと思い、お姉様の金庫をこっそり開けたのです……。そうしましたら……。あぁ! お姉様が魔王軍四天王の一人、リース・ナイトメアを名乗り、魔王アッシュに宛てた、おぞましい恋文の数々が……! あまりのおぞましさ故、お父様とお母様は、もうお姉様の顔も見たくないと……!」
ふらっと立ち眩みをするルナを、セインは「ルナ! しっかりしろ!」と名を呼びながら腕に抱く。
何が『お姉様は何かを隠しているに違いない、怪しいと思い』だ、ルナ。この愚妹は、私が王子セインと婚約したのを酷く妬み、何度もセインと密会していた。私をセインの婚約者の座から引き摺り下ろす為に、私の周囲をあれやこれやと探っている内に、とうとう私の金庫を勝手に開けたに違いない。
ルナは甘ったるい声でセインに言った。
「セイン殿下、もう大丈夫です。人類の、ラーテラス王国の正義の為、完全なる証拠をお姉様に……いえ、この女に突きつける勇気は、確かにこの胸にありますわ」
へぇ。私の愚妹ルナの無駄にデカい推定Eカップの胸には、勇気が詰まっていたのか。それは知らなかった。
私の胸がBカップじゃなくせめてDカップぐらいあればこんなことにはならなかったのだろうか──と、私は我ながらくだらないことを考えてしまった。
私の金庫から盗み取ったであろう便箋を、ルナは袖から取り出して、そして読み上げた。
「コホン。えぇっと……」
『愛しき魔王アッシュ・グランバルト様。貴方様が復活なされるまで、あと21年ですね。毎年、勇者が魔王を倒した戦勝記念日には、胸が締め付けられる思いがします──』
あぁ……。これは、去年の戦勝記念日に書いた恋文だ……。
『250年後、世界に愚かさが残っていたなら、魔王の炎は再び世界に燃え盛るだろう』というのが、魔王アッシュ様の遺言らしい。私はアッシュ様より先に勇者に倒されたので、転生してから知ったのだが。
『しかし今の私は、アッシュ様に仕える四天王の騎士ではなく、ラーテラス王国に仕える公爵令嬢。嘘でも芝居でも、魔王様の敗北と、勇者の勝利を喜ばねばならない身──』
戦勝記念の祭典では、毎年、国中の皆が笑っていたものだ。公爵令嬢の私が怒りや憎しみや悲しみを表情に出す訳にはいかないと思い、必死に笑顔を作った。
死や迫害が怖かった訳ではない。
魔王アッシュ様も、勇者や人類と方向性は違えど、平和と繁栄を願っていた。種族の枠を超え、権利と努力の平等が認められた世界をアッシュ様は作ろうとした。人類と勇者の勝利によって、それは叶わなかったが……。
公爵令嬢に転生した私が、負の感情を剥き出しにして暴れて祭典を荒らすのは、アッシュ様が目指した平和と繁栄に結びつかない。そう思い、必死に我慢したのだ。
『だからせめて、この文の中でだけは、本心を書き残しておきたいのです。私はやはり、配下としての忠誠の域を超え、女として、アッシュ様を愛してしまっていました。アッシュ様の妻として貴方様の信念を愛し支えることが出来れば、どれだけ良かったことでしょう。実際の私は、セイン・ラーテラスという男と、婚約してしまっていますが──』
セインとの婚約は、クラウディア公爵家とラーテラス王国が決めたことだ。当事者である私やセインや、ルナの意思など含まれていなかった。
『セインの妻として出来る限りのことをする私を、復活なされたアッシュ様が御覧になったら、どう思われるでしょうか。裏切り者だと、不忠者だと軽蔑なされるでしょうか? それとも、生まれ落ちた場所に相応な努力と勤勉によく励んでいると、敵ながらあっぱれだと、認めて下さるでしょうか? 私は……後者だと信じて進みます』
アッシュ様は努力を何より重んじ、依怙贔屓や不正を許さない御方だった。不正や差別に溢れて汚れた人間の国や王族は容赦なく滅ぼしたが、清廉潔白な国や為政者には手出しをせず慈悲をかける御方だった。
『もし戦場で相見えたときには──。アッシュ様の紅き炎で、遠慮なく私を焼き殺してください。もはや私には、死と恋文ぐらいでしか、アッシュ様への愛と忠誠を証明する術など、無いのですから。魔王軍四天王・青薔薇の女騎士リース・ナイトメア改め、公爵令嬢リズ・クラウディアより、愛を込めて──』
私の恋文を読み終えたルナは、便箋を閉じて──それをグシャッと握り潰した。
瞬間、私は「あっ──」と声を洩らし、目から一筋の熱い雫が流れてしまう。それに構うことなくルナは吐き捨てた。
「ああっ! なんておぞましい! そして愚かなんでしょう! 麗しいセイン様とご婚約できたというのに、それを蔑ろにして、こんな気持ち悪い手紙を魔王宛に書くだなんて! しかもこれ一通じゃありませんのよ!? 軽く20枚はありましたわよ! えぇっ!?」
「ルナ。仕方のないことさ。魔族なんてのは神々が創りし大地を穢す害獣だからね。コイツはオレに小言が多くて鬱陶しい女だと思っていたが、害獣の鳴き声みたいなものだったと思えば納得がいくさ」
そしてセインは、私に蔑むような目を向けて聞いてきた。
「おいリズ。何か言い返せるものならしてみろよ」
今更、「私が書いたものじゃない」と言っても無駄だろう。私が金庫に入れていたアッシュ様への恋文は20枚以上。筆跡鑑定されれば終わりだ。誰にも見せず、金庫に入れておけば大丈夫と思っていた私が馬鹿だった。
ならもう、言いたいことを言ってしまっていいか。
「そうですね。まずルナ、いくら家族でも、人の金庫を勝手に開けるのは犯罪ではないですか? それに、いちいち大事にはしませんでしたが、私のアクセサリーを勝手に持ち出していたのが貴女なのも知っているんですよ」
「あっそう。でも金庫を開けたのは正義の為ですわ。アクセサリーも……ねぇ? ちょっと借りてただけですわよ。お姉様はあまりアクセサリーに興味がなさげでしたし、ワタシが使ってあげた方が宝石や首飾り達だって嬉しいに違いないですわ」
ルナはいけしゃあしゃあと言ってのけた。
まぁ確かに、私は前世が魔王様に仕える魔族の女騎士だった故に、あまりジャラジャラと宝石や貴金属で自分を着飾るのは好きではなかった。公爵令嬢として、セインの婚約者として恥や無礼にあたらない程度のものを身に着けられれば、それで心は満たされたのだ。
だからといって、姉のアクセサリーを勝手に盗み取ったり勝手に借りたりしていいという訳ではないと思うが。
続いて私は、セインに訊ねた。
「セイン殿下。確かに私は、殿下の素行にあれやこれやと口を出してはいました。しかしそれは、セイン殿下に次期国王として、為政者として相応しい殿方になって欲しいがゆえ。断じて人間や殿下やラーテラス王国が憎くくて言ってきた訳ではないのです」
「知るかっ。余計なお世話だ、魔族のアバズレ」
あぁ。こんなものか。互いに10歳の頃婚約し、8年婚約者として支えてきた結果がコレなのか。
フットボールと女遊びが好きで、文武を疎かにしがちなセインを矯正しようと、人の上に立つに相応しい王族の殿方にしようと励んできたが、その結果出来上がったモノがコレなのか。
私が前世の記憶を思い出したのは、6歳の頃。魔族の女騎士としての前世の未練を断ち切って、いま人間の公爵令嬢として授かった命の責任と恩義を果たそうと誓った結果がコレなのか。
「お前は許されざる者だが、クラウディア公爵家に罪はない。オレはルナと婚約し直す。お前は裁判の後、火あぶりの刑にしてやる。伝承によると魔王の復活まであと20年といったところだが、魔王に会えなくて残念だったな! ざまぁみろ!」
全てはセインとルナが婚約したいが為の陰謀で、名目は何でも良かったのだろう。転生して18年、記憶を取り戻してからだと12年。長かったような短かったような。これで一巻の終わりだ……。
私の心が呆れと諦めで満たされる──そのときだった。
「お待ちください! セイン殿下!」
兵の包囲を掻き分けて、一人の少年が現れた。
歳は12歳で、短い茶髪にクリっとした紅い瞳が美しい少年執事だ。
其の名を、ハルトという。彼は兵士が止める暇もないほど素早く跪き、涙ながらに申し出た。
「殿下! 何卒、リズお嬢様に御慈悲を! リズお嬢様は確かに、前世は魔王軍四天王だったのかもしれません! しかし、今世では何の罪も犯していないではないですか!」
するとセインは、「チッ」と不愉快そうに舌打ちして「さっさと摘み出せ」と兵に命じた。
兵士に押さえられながら、ハルトは尚も話し続ける。
「リズお嬢様は! 2年前、この屋敷の前で行き倒れていた私を拾い、一流の執事に育て上げてくださいました! 足繁く教会に赴き、恵まれない者達に語学や算術を教授しておられました! 僕や兵士達に武芸を教えて下さったこともあった! 人の世やラーテラス王国に叛意ある者が、そんなことをするでしょうか!?」
「ハッ! そうやって自分の味方増やして、いずれは国家転覆でも狙っていたんだろうさ!」
セインはそう吐き捨てるが、勿論そんなつもりでやっていたことではない。努力する権利だけは人間だろうと魔族だろうと恵まれない者であろうと平等にあるべきだと思って、自分が持つ知識を授けていただけだ。
ハルトはなお諦め切れず、「し、しかし……!」と言葉を続けようとする。
「ハルト。おやめなさい」
私はそう言って、彼を制した。
「ハルト。貴方まで巻き込みたくはない。今日限りで暇を出します。私にそんな権限は、もう無いかもしれませんが……」
するとルナが口を挟んできた。
「あら。結構なことだと思いますわ。ハルト、真なるクラウディア公爵家令嬢、ルナの名の下に命じますわ。アンタは今日限りでクビよ、クビ! 二度とその不吉な紅い眼を私達の前に見せないでちょうだい!」
この国では、法令や教義で定められてはいないが、紅い眼に対する差別と偏見がある。
理由はまぁなんてことはない。230年前の魔王アッシュ・グランバルト様の眼が、燃えるような紅色だったというだけのことだ。
私だってハルトのことは、眼が紅いからと差別していないし、魔王様の面影を重ねて依怙贔屓もしていない。ただ助けてみれば、たまたま真面目で優しく努力家な少年だった──というだけなのだ。
ハルトは「うぅ……」と嗚咽を漏らし、大粒の涙を落としながら、兵の輪の外へ追い出された。
それを見届けてから、私はセインに願い出た。
「殿下。私は火あぶりにされようが犬の餌にされようが文句は言いません。ただ──ハルトを含め、私以外の者には手出しをしないで下さい」
セインはニヤッと口角を上げてから答えた。
「フッ。まぁいいだろう。いちいち下賤な雑魚に構ってやる必要もない」
──そこからは、なんとまぁトントン拍子で話は進んだ。
形式だけとはいえ裁判が行われた。私を弁護する者おらず、私自身も「罪があるのは私一人で、共犯者はいない」点以外何も争わなかった。
私は火あぶりの刑になることが確定した──。