夢を見ていた。約230年前、私が青薔薇の女騎士リース・ナイトメアだった頃の夢だ──。
私は玉座にて頬杖をつく主君に向かって跪いていた。
燃えるような紅い髪。鋭く紅い眼光。凛々しい顔立ちの其の方こそ、魔王アッシュ・グランバルト様だ──。
アッシュ様が口を開く。
「我が騎士リースよ。ゲルン王国の征伐、ご苦労であった。我が軍およびお前の部下の損害も、極めて軽微であったようで何よりだ」
満足げにそう話すアッシュ様に対し、私は返答する。この頃の私は、青い髪をポニーテールに纏めていた。
「はっ。ゲルン王国は王族も貴族も軍部も、民草から重税を絞り取り、自らが肥え太ることしか考えていない豚の集まりでした。私の敵ではありません」
するとアッシュ様は、泰然とした表情で仰られた。
「いいや。敵の愚かさだけが勝因ではない。お前の日々の鍛錬、日々の努力あってこその快勝だ」
「……勿体なき御言葉」
私が跪いたまま礼をしたのを見届けてから、アッシュ様はお話なされた。
「リース。いつも話していることだがな。俺は努力が正しく報われる、平和な世界を創る。魔族の努力も、人間の努力も、正しく報われる世界だ。そのためには、一度腐った人間の国々や王族を、焼いて回らねばならない。焼いて焼いて焼き尽くして──。残った灰の中から芽吹いた命を愛でたいと思っている。そのためには、お前の剣技が必要だ。塊を焼くのは骨が折れるからな」
嗚呼、なんと素晴らしい大望だろうか。目的と手段の違いも分からず、只々全てを斬る以外に何もなかった私に、生き甲斐と色彩をくれた御方。それがアッシュ・グランバルト様なのだ。
「全ては我が魔王様の、御心のままに。私の剣技を、どうか魔王様の大望の為にお使いください」
そう答えた私に向かって、玉座から立ち上がったアッシュ様が歩み寄ってくる。スラリと長い脚が、コツコツと小気味良い音を玉座の間に響かせる。
アッシュ様は仰られた。
「ゲルン王国征伐の、褒美をやろう。何がよい?」
嗚呼、もしここで「私めを魔王様の正室にして下さい」と言えれば、どれほど良かっただろう!
しかしそれは許されない。人間との戦いはまだまだ続く。私は妻としてではなく、四天王の一人としてアッシュ様をお支えしなければならない。他の四天王にも申し訳が立たない。
私は迷った末に答えた。
「約束をひとつ、頂戴したく」
「ほう。どんな約束だ」
「世界を焼いて焼いて焼き尽くて──。残った灰の中から、魔王様が愛でるべき命が芽吹こうとする頃に、聞き届けて欲しい願いがあります」
「いま聞いては駄目なのか?」
私は口を噤んだ。いま願い出れば……聞き届けて下さるのだろうか……? 迷った末、私はやはりこう答えた。
「なりません。この戦いが、終わった後でなければ」
アッシュ様は「ふむ……」と顎に手を当ててから、仄かな笑みを浮かべてお答えになられた。
「わかった。どのような願いであれ、灰の上にて、お前の願いを、必ず聞き届けよう」
「……有り難き御言葉」
──夢は、そこで醒めた。
──焼けるほど熱く愛した人の顔と、燃えるような恋心は、冷たい石床の感触で掻き消された。
「う……んっ……」
夢の中、前世の私は女騎士リース・ナイトメアだった。しかし今の私は、リズ・クラウディアだ。
厳密には、裁判によってクラウディア公爵家から廃籍されたので、ただのリズかもしれないが。
ここは私が処刑の日を待つ牢獄だ。どうせ死ぬのだからと、待遇は最悪なものだった。ベッドはなく、硬くて冷たい石床の上で直接寝なければならない。自慢の長い黒髪は、数日洗っていない内にゴワゴワのボサボサになってしまった。
脱獄など絶対不可能な程小さい窓から、空模様を見る。どんより灰色に曇っているが、雨の匂いはしない。息を吸っても石の冷たい空気しか感じられない。胸には辛うじて、アッシュ様を夢でみたときの熱い昂りが残っている気がした。
まぁそれも、今日で終わりだ。
「今日死ぬのか、私は……」
独りぼっちの牢獄で、そう呟く。雨は降らなさそうだから、火あぶりの刑はつつがなく執行されるだろう。
前世での死に方に後悔はしていない。純粋な剣技で勇者に負け、心臓を貫かれた。
現世での死に方には悔いが残る。どうせ焼け死ぬのなら、復活なされた魔王アッシュ・グランバルト様の炎で焼かれたかった。
『王妃リズ、敵ながらあっぱれな女だったぞ』
だとか。
『かつての我が騎士、リース。よくぞ前世に囚われず、自分が生まれた国への忠義を果たした』
だとか。
もしそういった言葉をアッシュ様から頂けたなら、何の後悔もなく、笑って死ねたことだろう。
「愛しきアッシュ・グランバルト様。貴方様以外の炎で焼かれて死ぬ不甲斐ない私を……。どうかお許しください……。罰を下すと仰せなら、来世にて、いくらでも……」
私は、届くはずのない言葉を、今は亡き魔王様に紡いだ──。
──※──
「──以上の罪状により、魔王軍四天王、リース・ナイトメアの転生体、元クラウディア家令嬢、大罪人リズを、火あぶりの刑に処す!」
十字架に磔にされた私の傍で、処刑人がそう宣言した。
私の主な罪状は、約230年前、前世のもの。ゲルン王国をはじめ、人間の国々や王族を斬って捨てたことに対するものだ。かつてのラーテラス王国も、滅亡こそさせなかったが、攻防を繰り返す中で何人もの人間を殺した。
それ以外には、王子セインやラーテラス王国に対する背信行為など……。
見物に来ている群衆が沸き立つ。
「コロセ! コロセ!」
「魔族は殺せ!」
「人間の正義を示せ!」
群衆の顔を見やる。怒りと憎しみに染まった人々が集まっている。ちょっとした高台の陣には、王子セインと愚妹ルナの姿もある。
そんな中、ただ俯いたり悲しげな目で私を見たりするだけの集団があった。
私が教会で語学や算術を教えた人達だ。
(ああ、良かった……)
群衆や貴族に流されて私に罵声を浴びせる訳ではなく。かといって、私を助けようだなんて無茶なことを考える訳でもない。それでいい。
ハルトの顔はどこにも見えなかった。フードを被って隠れているのか。それとも、既に紅い眼に偏見を持たない商人か誰かの元で、下働きでも始めたのだろうか。
処刑人が、私に問いかけてきた。
「大罪人リズ。最後に言い残すことはあるか」
さて、何を言おうか。元婚約者のセインや、愚妹ルナへの恨みを言い残して死ぬのは醜いか。
私は群衆に聞こえる声量で言った。
「私と共に素敵な時間を過ごしてくれた人たち、どうか努力の尊さを忘れないで。それと、20年後に復活なされる魔王アッシュ・グランバルト様に、配下としての忠誠と、女としての愛を誓います。もし叶うのなら、火あぶりの刑の炎ではなく、魔王様の炎に抱かれたかった……」
私の遺言が終わると、群衆からはブーイングの嵐が巻き起こった。
「処刑を始めろ!」
王子セインの命令により、私の足元で火種が燃え広がり始める──。
──はずだったが、しかし。
突如、ブワッと旋風が吹き、私の足元の火種を掻き消した。
「おい! 火が消えたなら付け直せ!」
王子セインがそう命じるが、私の足元で炎が燃えるより早く、群衆の一角から、曇天まで届く火柱が上がった──!
群衆が悲鳴を上げ、パニックになる中、火柱の中心に立つ、フードを被った人影がある。
あの小柄な体躯に、紅い眼は──。
「は、ハルト……?」
姿形は少年執事のハルトに違いない。しかし、この火柱はいったい何なのか?
なぜ火柱の中心にいて、ハルトは何ともないのか。
「愚かな人間共よ──」
この声は、ハルトであってハルトではない。
「我が配下の命を焼くのがそんなに愉しいか? 未だ心に憎悪の炎が燻っているのか? 俺の再燃を──そんなに待ち切れないか?」
処刑人も、セインも、ルナも、それを囲んで守る兵士もガタガタ震えて怯えている。まるで凍えるように。
しかし、私の胸には、懐かしい熱が込み上げてきた。
(そんなはずはない……。だってまだ、20年早いはず……)
しかし彼は、その姿を変えていく。
短い茶髪は、燃えるような赤髪に。
クリっとした可愛らしい紅眼は、射殺すように鋭い眼光へ。
私が頭を撫でるのにちょうど良かった程度の12歳の体躯は、私より10cmほど高く、脚はスラリと長く美しく。
魔力で黒い鎧とマントを纏えば、その姿は230年前の生き写し──。
「俺こそが魔王──。アッシュ・グランバルトだ!!」