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第2話 前世の熱き想い、現世の冷たい牢獄

 夢を見ていた。約230年前、私が青薔薇の女騎士リース・ナイトメアだった頃の夢だ──。


 私は玉座にて頬杖をつく主君に向かって跪いていた。

 燃えるような紅い髪。鋭く紅い眼光。凛々しい顔立ちの其の方こそ、魔王アッシュ・グランバルト様だ──。

 アッシュ様が口を開く。


「我が騎士リースよ。ゲルン王国の征伐、ご苦労であった。我が軍およびお前の部下の損害も、極めて軽微であったようで何よりだ」


 満足げにそう話すアッシュ様に対し、私は返答する。この頃の私は、青い髪をポニーテールに纏めていた。


「はっ。ゲルン王国は王族も貴族も軍部も、民草から重税を絞り取り、自らが肥え太ることしか考えていない豚の集まりでした。私の敵ではありません」


 するとアッシュ様は、泰然とした表情で仰られた。


「いいや。敵の愚かさだけが勝因ではない。お前の日々の鍛錬、日々の努力あってこその快勝だ」

「……勿体なき御言葉」


 私が跪いたまま礼をしたのを見届けてから、アッシュ様はお話なされた。


「リース。いつも話していることだがな。俺は努力が正しく報われる、平和な世界を創る。魔族の努力も、人間の努力も、正しく報われる世界だ。そのためには、一度腐った人間の国々や王族を、焼いて回らねばならない。焼いて焼いて焼き尽くして──。残った灰の中から芽吹いた命を愛でたいと思っている。そのためには、お前の剣技が必要だ。塊を焼くのは骨が折れるからな」


 嗚呼、なんと素晴らしい大望だろうか。目的と手段の違いも分からず、只々全てを斬る以外に何もなかった私に、生き甲斐と色彩をくれた御方。それがアッシュ・グランバルト様なのだ。


「全ては我が魔王様の、御心のままに。私の剣技を、どうか魔王様の大望の為にお使いください」


 そう答えた私に向かって、玉座から立ち上がったアッシュ様が歩み寄ってくる。スラリと長い脚が、コツコツと小気味良い音を玉座の間に響かせる。

 アッシュ様は仰られた。


「ゲルン王国征伐の、褒美をやろう。何がよい?」


 嗚呼、もしここで「私めを魔王様の正室にして下さい」と言えれば、どれほど良かっただろう!

 しかしそれは許されない。人間との戦いはまだまだ続く。私は妻としてではなく、四天王の一人としてアッシュ様をお支えしなければならない。他の四天王にも申し訳が立たない。

 私は迷った末に答えた。


「約束をひとつ、頂戴したく」

「ほう。どんな約束だ」

「世界を焼いて焼いて焼き尽くて──。残った灰の中から、魔王様が愛でるべき命が芽吹こうとする頃に、聞き届けて欲しい願いがあります」

「いま聞いては駄目なのか?」


 私は口を噤んだ。いま願い出れば……聞き届けて下さるのだろうか……? 迷った末、私はやはりこう答えた。


「なりません。この戦いが、終わった後でなければ」


 アッシュ様は「ふむ……」と顎に手を当ててから、仄かな笑みを浮かべてお答えになられた。


「わかった。どのような願いであれ、灰の上にて、お前の願いを、必ず聞き届けよう」

「……有り難き御言葉」


 ──夢は、そこで醒めた。

 ──焼けるほど熱く愛した人の顔と、燃えるような恋心は、冷たい石床の感触で掻き消された。


「う……んっ……」


 夢の中、前世の私は女騎士リース・ナイトメアだった。しかし今の私は、リズ・クラウディアだ。

 厳密には、裁判によってクラウディア公爵家から廃籍されたので、ただのリズかもしれないが。

 ここは私が処刑の日を待つ牢獄だ。どうせ死ぬのだからと、待遇は最悪なものだった。ベッドはなく、硬くて冷たい石床の上で直接寝なければならない。自慢の長い黒髪は、数日洗っていない内にゴワゴワのボサボサになってしまった。

 脱獄など絶対不可能な程小さい窓から、空模様を見る。どんより灰色に曇っているが、雨の匂いはしない。息を吸っても石の冷たい空気しか感じられない。胸には辛うじて、アッシュ様を夢でみたときの熱い昂りが残っている気がした。

 まぁそれも、今日で終わりだ。


「今日死ぬのか、私は……」


 独りぼっちの牢獄で、そう呟く。雨は降らなさそうだから、火あぶりの刑はつつがなく執行されるだろう。

 前世での死に方に後悔はしていない。純粋な剣技で勇者に負け、心臓を貫かれた。

 現世での死に方には悔いが残る。どうせ焼け死ぬのなら、復活なされた魔王アッシュ・グランバルト様の炎で焼かれたかった。


『王妃リズ、敵ながらあっぱれな女だったぞ』


 だとか。


『かつての我が騎士、リース。よくぞ前世に囚われず、自分が生まれた国への忠義を果たした』


 だとか。

 もしそういった言葉をアッシュ様から頂けたなら、何の後悔もなく、笑って死ねたことだろう。


「愛しきアッシュ・グランバルト様。貴方様以外の炎で焼かれて死ぬ不甲斐ない私を……。どうかお許しください……。罰を下すと仰せなら、来世にて、いくらでも……」


 私は、届くはずのない言葉を、今は亡き魔王様に紡いだ──。



──※──



「──以上の罪状により、魔王軍四天王、リース・ナイトメアの転生体、元クラウディア家令嬢、大罪人リズを、火あぶりの刑に処す!」


 十字架に磔にされた私の傍で、処刑人がそう宣言した。

 私の主な罪状は、約230年前、前世のもの。ゲルン王国をはじめ、人間の国々や王族を斬って捨てたことに対するものだ。かつてのラーテラス王国も、滅亡こそさせなかったが、攻防を繰り返す中で何人もの人間を殺した。

 それ以外には、王子セインやラーテラス王国に対する背信行為など……。

 見物に来ている群衆が沸き立つ。


「コロセ! コロセ!」

「魔族は殺せ!」

「人間の正義を示せ!」


 群衆の顔を見やる。怒りと憎しみに染まった人々が集まっている。ちょっとした高台の陣には、王子セインと愚妹ルナの姿もある。

 そんな中、ただ俯いたり悲しげな目で私を見たりするだけの集団があった。

 私が教会で語学や算術を教えた人達だ。


(ああ、良かった……)


 群衆や貴族に流されて私に罵声を浴びせる訳ではなく。かといって、私を助けようだなんて無茶なことを考える訳でもない。それでいい。

 ハルトの顔はどこにも見えなかった。フードを被って隠れているのか。それとも、既に紅い眼に偏見を持たない商人か誰かの元で、下働きでも始めたのだろうか。

 処刑人が、私に問いかけてきた。


「大罪人リズ。最後に言い残すことはあるか」


 さて、何を言おうか。元婚約者のセインや、愚妹ルナへの恨みを言い残して死ぬのは醜いか。

 私は群衆に聞こえる声量で言った。


「私と共に素敵な時間を過ごしてくれた人たち、どうか努力の尊さを忘れないで。それと、20年後に復活なされる魔王アッシュ・グランバルト様に、配下としての忠誠と、女としての愛を誓います。もし叶うのなら、火あぶりの刑の炎ではなく、魔王様の炎に抱かれたかった……」


 私の遺言が終わると、群衆からはブーイングの嵐が巻き起こった。


「処刑を始めろ!」


 王子セインの命令により、私の足元で火種が燃え広がり始める──。

 ──はずだったが、しかし。


 突如、ブワッと旋風が吹き、私の足元の火種を掻き消した。


「おい! 火が消えたなら付け直せ!」


 王子セインがそう命じるが、私の足元で炎が燃えるより早く、群衆の一角から、曇天まで届く火柱が上がった──!

 群衆が悲鳴を上げ、パニックになる中、火柱の中心に立つ、フードを被った人影がある。

 あの小柄な体躯に、紅い眼は──。


「は、ハルト……?」


 姿形は少年執事のハルトに違いない。しかし、この火柱はいったい何なのか?

 なぜ火柱の中心にいて、ハルトは何ともないのか。


「愚かな人間共よ──」


 この声は、ハルトであってハルトではない。


「我が配下の命を焼くのがそんなに愉しいか? 未だ心に憎悪の炎が燻っているのか? 俺の再燃を──そんなに待ち切れないか?」


 処刑人も、セインも、ルナも、それを囲んで守る兵士もガタガタ震えて怯えている。まるで凍えるように。

 しかし、私の胸には、懐かしい熱が込み上げてきた。


(そんなはずはない……。だってまだ、20年早いはず……)


 しかし彼は、その姿を変えていく。

 短い茶髪は、燃えるような赤髪に。

 クリっとした可愛らしい紅眼は、射殺すように鋭い眼光へ。

 私が頭を撫でるのにちょうど良かった程度の12歳の体躯は、私より10cmほど高く、脚はスラリと長く美しく。

 魔力で黒い鎧とマントを纏えば、その姿は230年前の生き写し──。


「俺こそが魔王──。アッシュ・グランバルトだ!!」

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