魔王アッシュ・グランバルト様が名乗りを上げると同時に、火柱が晴れた。私は大粒の涙を流して、彼の名を叫んでいた。
「ま、魔王様……! アッシュ様っ!!」
「あ……あり得ん! あり得ん! ふざけるな、魔王アッシュ!!」
高台の陣で、セインが足をガタガタと震わせつつも、立ち上がってそう叫んだ。そんなセインの腰には、ルナが縋り付くようにくっついている。
「伝承によれば、お前の復活にはまだ20年早いはずだ! なぜ転生が済んでいる!?」
するとアッシュ様は、余裕綽々といった表情のまま答えた。
「ふむ。伝承に残っているのはアレだろう?『250年後、世界に愚かさが残っていたなら、魔王の炎は再び世界に燃え盛るだろう』という俺の遺言だな?」
「そうだ! まだ230年しか経ってないだろうが!」
「なんだ、セインよ。お前炎の知識がないのか?」
「何っ!?」
アッシュ様は種明かしをした。
「250年後に魔王の炎が燃え盛るなら、230年後には火種ぐらい出来ていても可笑しくないだろう? そしてリズが俺の転生体・ハルトに注いだ愛と、この処刑場に渦巻く憎悪が、俺の火種を燃え盛る炎へと育て上げたのだ。まぁ、全盛期の1割程度の力しか、まだ戻っていないがな」
「あ……愛……!?」
私はつい、そう零してしまった。
愛。ハルトへの、愛……かぁ……!
私がハルトに愛を注いだとしたら、それは師弟愛とか、家族愛に近いもので、男女の愛ではないはずだが……!
まぁ、魔王様復活の糧になったのなら、良しとしよう……。
対するセインは、しばらく口をパクパクさせていたが、やがて何かに気づいてニヤリと笑った。
「ククッ。そうかそうか。おい! 我がラーテラス王国の兵士達よ! 今の魔王は全盛期の1割の力しかないらしいぞ! 殺せ! 魔王を殺せ! 魔王を殺した者には、財宝でも女でも爵位でもくれてやろう! いざ立ち向かえ!! 一番隊と二番隊突撃! 三番隊と四番隊はオレとルナを守れ!」
数秒だけ兵士は戸惑ったようだが、その後にはセインとルナを囲んでいた兵の内、半数がアッシュ様に向かっていった。その数は約100人。
「ふむ。確かに全盛期の1割の力しか俺には無いが……」
アッシュ様は右手に炎を宿し、それを熱風にして放つ。
「ぐわああああああ──っ!?」
最前列の10人ほどの兵士が、燃えながら吹き飛んだ。
「雑兵に消し潰されるほど、弱い火力ではないぞ?」
間合いの取り方が分からず、兵は突撃を一旦やめてしまった。
白兵戦においては、部隊の3割が戦闘不能になれば、戦闘続行が困難になるとされている。いまの一瞬で1割が吹き飛ばされたのだ。士気が落ちるのも仕方ないと言える。
(そもそも処刑を見に来た王子の護衛であって、本格的な戦闘をする為の部隊ではないし……)
私がそんなことを考えていると、アッシュ様が放った魔法の火の粉が、うまく私を縛る鎖だけを灰燼にしていた。
咄嗟に私は受け身を取って着地──するより早く、ふわりと跳んできたアッシュ様の腕に、抱きかかえられてしまった。
いわゆる『お姫様だっこ』である。
「あ、アッシュ様!?」
「すまぬな、リース。助けが遅くなった」
ブンブンと、私は首を振る。
「いいえ! いいえ! 本来なら、配下たる私が魔王様をお助けせねばならぬところ! 醜態を晒し、申し訳ありませんっ!」
「何を言う。お前は既に俺を助けてくれたではないか。ハルトに転生した俺をな」
「あの……。アッシュ様……。お聞きしたいことがあるのですが……」
「許す」
つい気になって、私は聞いてしまった。
「ハルトは……どうなったのでしょう……?」
魔王アッシュ・グランバルト様の人格に上塗りされて、ハルトが消えてしまったとしたら、それは悲しいことだと思ったのだ。
しかしそれは杞憂だった。
「あぁ。俺は魔王アッシュ・グランバルトであると同時に、少年執事ハルトでもある。ハルトは消えておらぬぞ」
「よ、良かった……です……」
「何なら、ハルトが……。あぁっと……。『僕がリズ様に抱いていた恋心も、そのまま残っていますよ?』」
「うぇ!? ハルト!? いや……アッシュ様!?」
ハルトの口調で、ハルトの想いを、アッシュ様が話す。そんな倒錯した状況に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ハルトの口調のまま、アッシュ様は話し続ける。
「許されない恋のはずでしたけどね。6歳年上で、お仕えするお嬢様で、王子の婚約者だったのですから。何なら僕も、リズお嬢様と同じことをしていたんですよね」
「同じこと……とは……?」
「絶対誰にも渡さないし見せないつもりで書いた、秘密の恋文ですよ。20枚ぐらいですかね。もちろん魔王アッシュの記憶が無いままで、ですよ」
「は、はぁっ!?」
相手が主君であることを忘れ、顔を真っ赤にして、私は驚いてしまった。
(全然気づかなかった……! は、ハルトが……そんなに私を好いていたなんて……! しかも、ハルトが、アッシュ様で……。アッシュ様が、ハルトで……)
顔から火が出そうな私を抱えたまま、アッシュ様は一旦着地した。
兵に囲まれている。剣兵・槍兵もいれば、弓兵・魔術師もいる。
まだここが戦場だと思い出すと、私の羞恥と恋心はスッと引っ込んだ。
「アッシュ様。降ろして下さいませ。私も戦います」
「獲物はこれでよいか?」
アッシュ様が差し出したのは、ラーテラス王国の兵士に配られる一般的な両手剣だった。先ほど吹き飛ばした兵士から奪ったのだろう。
「ありがたく拝領致します」
一礼して魔王様から剣を受け取れば、か弱い乙女は消え失せた。
前世ほどの力はなくとも、やれるだけやってやる。斬れるだけ斬ってやる。
私は……魔王軍四天王が一人、青薔薇の女騎士、リース・ナイトメアだ──。
魔王アッシュ様と背中合わせに立つと、アッシュ様は命じられた。
「飛び道具とお前の背中は任せよ。お前は俺の背を守り、剣兵と槍兵を斬れ」
「御意」
兵士達が私達二人に襲いかかってくる。包囲したことと、弓兵と魔術師の準備が整ったことで、士気が戻ったのだろう。
大上段に振りかぶった剣兵の胴を斬り裂き、槍兵の突きを捌いて逆に相手の心臓を貫く。そうして私が戦う間に、背中のアッシュ様も魔力の炎で敵兵を焼き殺し、熱風で矢や敵兵を吹き飛ばす。
主従の絆と戦場の香りを思い出して私とアッシュ様の動きが軽やかになる一方で、兵士の士気はみるみる下がっていく。
「む、無理無理無理! オレ、リズ・クラウディア公爵令嬢と稽古したことあるけど、全然勝てなかったし!」
「なんで処刑を見に行く王子の護衛をしてただけなのに、230年前の魔王と戦わなきゃいけないんだ! 勇者無しでやってられっかこんなもん!!」
「230年も前のことなんかオレ関係ないじゃん! もう逃げるぞ! オレは逃げるぞ! もう知らん!!」
とうとう戦線が崩壊し、勝手に逃げる兵が出始めた。そして『総大将』も、とうとう諦めたらしい。
セインとルナの声が聞こえた。
「やっぱりあのハルトとかいうクソガキ、殺しておけば良かったですわ!!」
「今更言ったってもう遅いだろ! 陣を畳め! 処刑は中断! 王宮まで全軍撤退しろ!!」
すると今度はアッシュ様が、ギリッと歯軋りをしているのが聞こえた。
「……逃さぬ」
そう呟いたアッシュ様は次の瞬間、流星のような速さで飛び出して──すぐ戻ってきた。右手でセインの、左手でルナの首根っこを掴んで。
「隙あり! 魔王アッシュ、覚悟!」
両手が塞がったアッシュ様を剣兵が背後から斬ろうとしたので、私は逆にその剣兵を斬り捨てた。
まともな闘志が残っている兵士は、今のが最後だったらしい。兵は潮のように引いていった。
それを見てセインが叫んだ。
「あーーっ! こら待て! 逃げるな! オレを助けろ! オレを見捨てるんじゃない!! 言う事を聞け! オレはラーテラスの王子だぞっ! コラァ!!」
その声に耳を傾ける兵士はいない。アッシュ様と私に恐れをなしたか。セインによほど人望がないのか。まぁ両方だろう。
アッシュ様が言う。
「さて。楽しい楽しい戦後処理の時間だ。逃げようとすれば殺す」