目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第3話 契約

 その行動が目を引いた。

 誰よりも力があるはずなのに、何故か――自分を犠牲にした。

 だから、名を知りたくなった。


 ※


 二度目の落雷を受けて、はじめてラグナはその存在に気付いた。

「おい、あれはどういうことだ」

 ラグナの金の視線の先に、拠点の外を目指す二人の人影があった。

「異端者……捕まえたはずでは?」

 傍らの記録官が、開いた手帳にペンを走らせ鋭く問えば、駐留していた兵士がしどろもどろ弁解をはじめる。

「早く追え」

 そう命じた時だ。

 ぞくりと、背筋を冷たいものが流れた。


 異端者が組み上げた構成が、美しいと思った。

 確固たる定義。

 命をかけた誓約。

 緻密に織られた祈りの構成に破綻はなく、教会の祝福ではまず見かけない。

 それは、ほとんど祝福使いとしての直感だ。

 術者の姿が見えなくたって、魂の深いところで理解してしまう。

 あの向こうに異質な、何かがいる。

 それが模倣した奇跡は、現実にささやかなものしかもたらさなかった。

 それでも、行手を塞いだ大樹の向こうで人影が逃げおおせた瞬間を、ラグナは忘れられないだろう。

 取り押さえられる人影を見ながら、命じた。

「尋問には、俺が立ち会う。部外者は退室させろ」

「……私か、せめて護衛をつけさせてください」

「いらない。俺を誰だと思っている?」

 そう言ってやれば、琥珀色の目が困ったように天を仰いでいた。


 ※


「いい加減、口を開いたらどうだ?」

 怒鳴り声と共に肩を踏まれ、アイルは悲鳴を押し殺し男を睨みつけた。

 矢こそ抜かれ、簡易的な手当てはされていた。しかし、この短時間でどうこうなるものではない。

 逃げ切れただろうか。わからない。

 ただ、教会の連中が今もアイルに敵視を向けているならば、可能性は高い。そう信じるしかなかった。

 さっき殴られた頭が、まだ揺れている気がする。

 身を動かした瞬間、手首の枷が締まり痛みを呼ぶ。

 けれどぐっと声を抑えた。

 それでも、それでも意識だけは手放さないと、アイルは耐えていた。

「お前の名は?」

 言うわけがない。

「他に仲間は? 全部お前が手引きしたのか」

 話す必要がない。

「お前のような人でなしが、何をしたかわかってるのか?」

 ――ほら、いつもそうだ。

「お前は教会の教えに逆らった」

「……そんな教えが正しいというなら、俺は従わない」

 相手が激昂するのがわかる。首輪に繋がれた鎖を強く引かれたが、例え、再び痛みを与えられたとしても。

 それでも、それを理由に口を噤むことを、アイルの矜持が許さなかった。

「俺たちは生きている人間だ。教会が異端者を人ではないとするならば、俺たちはどうすればいい? 黙って、死ねと?」

 しんと、静寂が落ちた。

 アイルは黙したまま目を逸さなかった。

 さあ早く答えてみろと、お前たちの正しさを証明してみせろと、目線で訴える。

 キィキィと、蝶番が場違いな音を立てたのはその時だった。

「随分と、面白い光景じゃないか」

 よく透る声と共に少年が開かれた扉をくぐり、臨時の尋問室に立ち入る。

 蝋燭の灯りでも煌めく肩口までの金髪に、冷たい、金色の瞳。

「教皇……」

 アイルは呟いて、舌打ちする。

 少年は用意された椅子に腰を下ろすと、面白そうにアイルを見遣り、それから室内の尋問官へ視線を向けた。

「お前たちには荷が重過ぎる。あとは、俺が引き継いでやるよ」

 少年の有無を言わさぬ声がそう告げると、金の瞳がじっとアイルを見下ろす。

 だから、アイルはその目を見上げるように睨みつけた。

「異端者。教皇陛下を傷つけたならば、あなたの記録はここで終わる。それは記録者として、私が許しません」

 従者らしき男が、最後にそう言い残し部屋を後にする。

 音を立てて閉まった扉の向こうでは、確かに人の気配が離れていく。

「正気か?」

「異端者のお前に、言われたくない」

 すぐさま返ってくる応えに、アイルは再び舌を打った。

「それで、お前の名は? ふーん、だんまりか。ラグナ・ルクス・エテルナ」

「“神の永遠の光”――よく出来た名前じゃないか」

 頭が、よく回らない。

 しかし、名を預ける気にはならなかった。

 アイルは知る必要があった。この子供が、わざわざ異端者とされる自分の前に、現れたその意味を。

「やっぱり、異端者にも賢い者がいるようだ。なぁ、お前。その矢、避けれたんじゃないか?」

「さぁな。お前がそう思ったなら、そうかもしれないな――問う、お前の目的は何だ?」

 アイルの問いに、少年がふふと笑いをこぼした。


 ※


 よく口が回る。そう思った。

 黒髪の青年は、ラグナよりいくらか年上、まだ二十代も半ばに見えた。

 短く切り揃えられた前髪の合間に、灰色が混じった不名誉な藍色の瞳をしている。

(魔力を使ったからか)

 報告にあっただけで、この青年は幾度も奇跡を模倣していた。雷を二度呼び、拘束具を破壊し、兵を昏倒させ、道を塞いだ。

 よくぞまあ、禁呪を使うとはいえ、瞳に色を保てているものだ。

 それに、青年はラグナが来る前に相当痛めつけられたようだ。気力も体力も限界だろうに、それでも、灰で濁った藍色の瞳は恐怖にも、絶望にも染まっていなかった。

 不可解なほどに、怯えていなかった。

 ただ真っ直ぐ自分に向けられた瞳。

 気のせいではない。教皇ではなく、ラグナ個人に向けている。

 それが、その瞳がたまらなく欲しくなった。

「目的なら、ある。なぁ」

 だから、望んでしまった。

「お前に最後の機会を与える。膝を折れ。教会に従え。俺のそばにいろ。代わりに、俺が叶えられる限り、願いを一つだけ叶えてやる」

 拒絶か命乞いか。

 そんな返事だと思ったのに、現実は違った。

 青年が、わずかな逡巡のあと、じっとラグナを見上げたまま口を開く。

「異端者狩りの停止。これを飲むならば、従ってやってもいい」

 迷いのない口振りに、ラグナはへぇと声を溢した。

「これは俺に一方的に有利な契約だ、わかっているか?」

「承知している」

「俺はお前の全てを支配するぞ」

「覚悟の上だ」

 ラグナが翻意を促しても、青年は一度も撤回しなかった。

「今なら撤回してもいい、本当に契約を結ぶのか?」

「だから結ぶと言っているだろ。それとも何か、お前が怖気づいたか? 叶える自信がないなら諦めな」

 揶揄うように青年が笑うものだから、ラグナもまたつられて笑ってしまう。

「ははは、いいだろう。正式な契約は聖都で行おう。ひとまず、仮契約は成立した」

 その言葉を最後に、青年から力が抜ける。

「最後に問う。お前たちが捕えたのは俺だけか?」

 目を伏せた青年の声は、先程より力がない。

「そうだ。俺たちの戦果はお前だけだ」

 望む事実を、偽りなくラグナは伝えてやる。

 それを聞いた瞬間、青年の緊張の糸が切れたのだろうか。

「……おい」

 傾く体を咄嗟に抱き止めたが、青年はぐったりとして意識を手放していた。

「手放してたまるか――おい、誰か来い」

 そっと床に横たえると、ラグナは扉を開けて大声で人を呼んだ。

 その声には珍しく、教皇ではなくラグナ個人の感情が滲んでいた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?