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第2話 異端の視線

 孤独な目をしていると思った。

 今は雲に隠された双月のように、冷たい瞳だった。

 支配欲を隠せない声に、だから諦めと――少しの期待をした。


 ※


(普通、狩りなんざやらねぇだろ?)

 闇に紛れるように身を潜め、アイルは周辺の様子を探る。

 また、祈りが許されない現実を見せつけられる。

 狩りを終えたばかりの現場。

 兵士の数は見えるだけでざっと三十。目で追いながら、侵入経路を探る。

 緊張の余韻が残る今、迂闊な行動は手痛い目を意味する。

 だから、判断を誤る余地はなかった。


 何もかもが信じられなかった。

 慣例では教皇がやって来る時、こういった穢れた行為は遠ざけられる。そのはずだった。

 二百年を経て、空位を埋めた教皇という存在は、いくら太陽神教会といえどあまりにも重い。

 少なくとも、アイルはそう認識していた。

「まぁ、そう変わるわけないか」

 嘆息し、アイルは左手首を軽く握る。

 天秤の両皿に何かをかける。

 この瞬間だけは、いつも気が重かった。

「俺は、守るために使う」

 祈るように左手首を額に押し当てると、アイルは目立たぬように移動を始める。

 それは異端者狩りと呼ばれるものの、後を追うためだった。


 ――異端者狩り。

 それは、教会が“教義から外れ逸脱した”と認定した者を捕縛する行為を指す。

 アイルは認めたくなかった。

 きっと教会だって認めはしない。

 だが事実として、同じ人間が人間を狩るという構図は皮肉以外の何物でもない。


 教会はこう教える。

 神に祈り、聖句を唱え、許された願いのみが神の奇跡を模倣する。

 それこそが『祝福』だと。

 一方で教会は、自らが認めないすべで奇跡を模倣する行為を『禁呪』と呼び、それを扱う者を異端者とし、厳しく排除してきた。

 許されるのは祝福だけ。

 あらかじめ決められた、正しい奇跡だけ。

 それが、教会が定めた『制度』だった。


 少なくとも、制度の上では。

 異端者は最初から、人ですらなかった。


 アイルは異端者だ。否、異端者だと認定された。

 アイルは祈ることすら、許されなかった。

 異端者は生きることさえも、許されないのだ。

 狩りで捕まった異端者は、尋問が終われば処刑される。そこに、人間が受ける審判も許しもない。ただ人ではないとされるが故に。


 アイルの目的は、異端者とされた人間の解放だった。

 他の誰でもない、アイルだけがそれを成し遂げることが出来る。

 だから、やらねばならない。


 ――ベリル地区外縁、警邏隊の臨時詰め所。

 詰め所と呼ばれるには、あまりに粗末な造りだった。

 木と石を組み合わせた仮設の小屋が三つ。その周囲には、捕縛された者を入れるための空っぽの檻が無造作に並んでいる。

 焼け焦げた大地に、怒号と軍靴の爪痕が残る。

(まだ中か)

 ほんの少しだけ、アイルの心が重くなる。

 異端者とされる者は、アイルが知る限りほとんど善良な人間だった。

 ただ運悪く、教会の規範から逸脱した力を発現してしまった。

 それだけで、人は人として見做されなくなる。

「俺は……誰も殺さない」

 それは、アイルの規範と誓いに反する。

 祈るように口にして、アイルは自身とは逆に位置する木を一瞥した。

 想像する。

 雷が落ちる音を。

 乾いた音と共に樹皮が裂け、弾けた火の粉が枝先を舐める様を。

 その木が燃え上がる未来を、アイルは見ていた。

 ただの天災。何の意味もない偶然。

 けれど、誰かが逃げる時間を稼げるなら、それでいい。

 刹那――想像は、現実へ染み出す。


 閃光が走り、轟音と共に木が裂け、生まれた火種が天へ向かって這うように伸びていく。

(そうだ、これでいい)

 詰め所にいた者たちが、慌てて消火に向かう姿にアイルは安堵する。

 中にいる敵は三人。

 アイルはそのまま詰め所の影に滑り込み、鍵を壊して扉を押し開けた瞬間――

「誰だ!?」

 誰何の声が響く前に、アイルはすでに想像を終えていた。眠ってくれ、と。

 ばたばたと折り重なるようにして倒れた兵を横目に、アイルは椅子に縛られた青年を見遣る。

 アイルより少しばかり若く見える青年は、まだ成人した頃合いだろうか。突然の闖入者に、怯える眼差しを向ける。

 手枷や首輪を見て切り落とすと、アイルは青年と目線を合わせるように片膝を付いた。

「安心しろ。俺は君を助けに来た……異端者だ」

 ざっと見るに骨などは折れてはいなさそうだった。ただ腫れた頬があまりにも痛々しく、失礼と断りアイルは手袋を外した手で触れる。

 炎症が引きますように。痛みが治りますように、と。

「え、痛くない……?」

「それが俺の禁呪ってやつだ。他に痛いところはないか? 逃げるぞ」

 周囲の人間はまだ気付いていない。

 怯える青年に自身の外套をかけてやり、大丈夫だと繰り返し言い聞かせる。詰め所の外は想定通り、燃える木に人も視線も奪われている。

「このまま真っ直ぐ、あの出口へ向かう。何があっても振り返るな」

 そっと背を押し、行こうと合図する。

 ここからは人目を避けられない。

 だが、アイルが見える範囲ならば、青年を守ることが出来る。

 案の定、目敏い歩哨が二人を見つけ夜闇に鋭い笛の音が響く。立ち止まりそうになる青年を叱咤し、アイルは降り注ぐ矢を撃ち落として、その視線のまま、再び雷を呼ぶ。

 閃光、轟音。大地を伝う振動に、追っ手の勢いが削がれる。

 一本の矢が、アイルに向かっていた。

「走れ、振り向くな」

 咄嗟に避けようとした。だが、アイルの足は止まった。

 その向かう先に、あの青年が居たから。

 真っ直ぐ矢を見つめて間に合えと、アイルは手を横に伸ばす。

 アイルの想像が現実に染み出すより早く、

「――ッ」

 嫌な音を立てて右肩を矢が貫く。それでも、アイルは想像を手放さなかった。背後で木が軋み倒れる音に、成功を祈らずにいられない。

 突き刺さった矢は、思いのほか深い。骨のすぐ近くを掠めていた。だが、意識だけは、手放さなかった。まだ保っている。

 力も行使できるはずだ。けれど、もう制御できる保証がない。

 だから、アイルは止まった。


 取り押さえられた時、一瞬見えた背後は倒れた大樹によって先を見通すことができなかった。

 肩を裂く痛みの中、それでも、手を組もうと伸ばした。

「異端者の分際で抵抗はやめろ」

 視界が暗い。顔が見えぬ歩哨にその手を掴まれ、後ろ手に拘束される。

(救えるなら、何度でも矢を受ける)

 まだ、誰かを守れると信じたかった。

(せめて、ひとりだけでも)

 どうか無事に逃げてくれ。

 名も知らぬ青年の無事を、アイルは祈るしかなかった。

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