「八、お前には何に見えた?」
対面に座る八を半ばにらむように見つめながら、貝介は尋ねた。八は肩をすくめて答える。
「何にったって。貝介さんと同じだと思いやすぜ」
「だから聞いておるのだ」
八は片眉を上げて貝介を見返した。貝介の苛立ちには干渉しないという意思表明だろうか。何かを言い返そうとした瞬間に、八はあたりを見渡してから顔を寄せてきた。
「あれは『旦那』の太刀筋でしたな」
抑えられた声の述べる言葉は貝介の見解と一致していた。貝介の顔はますます険しくなる。
「だが」
「ええ、そんなはずはありません」
八は力強く言い切った。貝介は頷く。
父、吉貝の亡骸を燃え盛る天守閣から回収したのは、他ならぬ八だ。もしも八が遺体を持ち帰っていなければ、大惨禍の英雄は今なおその生存が噂されていたかもしれない。
葬儀は密かに、ささやかに行われた。傷だらけで、それでも穏やかな顔で棺桶の中で眠る父、その光景は確かに貝介の脳に刻み込まれている。
「じゃあ、あれはなんだったんだ?」
胸に沸き起こる正体不明の不吉な予感が、貝介の苛立ちをさらに搔き立てた。
「さあ」
「店先で不景気なツラ並べるのやめてもらいませんかね」
顔を顰める二人の間に、不機嫌そうな声が割って入った。貝介は顔を上げた。
そこに立っていたのは大樹を思わせるような巨大な男だった。その身体は銀色に輝く機械と飾り布がふんだんにあしらわれた桃色の前掛けで覆われていた。体中に張り巡らされた頑丈そうな透明のケーブルの中を、紫色の人工血液が勢いよく駆け巡っているのが見える。顔にはめ込まれた鏡面眼鏡の表面に、貝介と八の仏頂面が映りこんでいる。
「うるせえな。別に俺たちがいなくても客なんて来ないだろうが」
貝介は無人の店内を見渡しながら言った。優雅な飾り布と可愛らしい模造の宝石で装飾された甘味処にも、併設された薄暗くかび臭い古本屋にも、貝介と八の他に客の影は一つもない。
「いや、間違いなく手前らのせいだね。いつもは行列ができるくらいに流行ってんだよ」
「嘘つけ嘘を」
貝介はあきれ顔で笑う。この店に人が入っているところなど見たことがない。だからこそ貝介たちの会合の場として選ばれたのだ。
「わかりやしたよ。じゃあ、せめてあっしらが注文してやりやすから」
「さすが、八さんは話が分かるなぁ!」
馬鈴は浮かれ声をあげると、背中の機械の隙間から品書きを取り出して机に置いた。品書きの上ではいくつもの甘味の美麗な絵が踊っていた。電路あんみつ、陽子羊羹、冷結カステラ。貝介は眉間を揉み、品書きと馬鈴を見比べた。
色とりどりの可愛らしい品書きの絵の印象と、その作り手である目の前の筋骨隆々の大男は上手く結びつかない。
「貝介さんはどうします?」
「あー、八は?」
「あっしはそうですね、じゃあこの再帰餅で」
八はひどく入り組んだ模様の餅の絵を指差して言った。
「じゃあ、俺もそれにする」
「再帰餅二つですね、かしこまりました」
頭の上から抜けるような声で馬鈴が復唱する。貝介は曖昧に頷く。
「同じの二つ、貰えるかしら」
店の入り口から澄んだ声が響いた。
入り口からさしこむ逆光に貝介は目を細める。
逆光の中に二つの影が見えた。すらりと背の高い影と、小柄な影だ。
貝介は居住まいを正した。
「あ、おやっさんに姐さんじゃないですか」
椅子に座ったまま振り返り、八が能天気な声で呼びかけた。
「ご一緒してもよいかな」
返ってきたのは低く厳めしい声だった。
先を歩く背の低い影は、白髪の老人だった。貝介たちの上司、発狂改方の長官、鳥沼だ。その名前以外の情報を貝介は知らない。もちろん、わざわざ尋ねるような不用心なことはしない。
鳥沼の後ろにつき従う背の高い影を見て、貝介はぴくりと身をこわばらせた。鳥沼の護衛、空夜だ。繊細な曲線で構成された女性、その動きは優美という概念を形にしたような美しさだ。
「ここ座りやすか?」
八は立ち上がり、貝介の隣に座りなおす。
鳥沼は「うむ」と一つ頷くと、空いた席に腰を下ろす。そのままちらりと馬鈴に視線を送った。馬鈴の鏡面眼鏡の色がふわりと揺らめく。
「わかりましたよ。再帰餅四つですね。少々お待ち」
肩をすくめ、甲高い声で注文を復唱すると馬鈴は厨房に姿を消した。
巨大な背中を見ながら、鳥沼は小さく漏らした。
「あの好奇心は何とかならぬものかのう」
「なんとかしましょうか?」
いたずらっぽく空夜が笑う。ぞわり、と貝介の背中の毛が逆立った。
「よい。冗談だ」
「ええ、そうでしょうとも」
がしゃん、と厨房から何かを取り落としたような音が聞こえた。
優美な笑顔。冷徹な唇の曲線。空夜のそばにいると、なぜだか時折研ぎ澄まされた氷の刃を首元に突き付けられたような気分になることがある。
「姐さんも、すわってくだせえ」
「ん、ありがと」
席を勧める八にうなずくと、夜空は椅子に腰を下ろして足を組んだ。機動性を重視した衣装は夜空の長い足を際立たせる。貝介は意識して視線を鳥沼の皺だらけの顔に向けた。
「親父さん、ご報告したいことがあります」
「うむ」
「先日、フタゴマ地区で模倣者が何者かに殺害された件についてです」
「ふむ、子どもに危害を加えようとした模倣者が首を落とされた件だな」
「はい、その件です」
「うむ、続けろ」
頷き、鳥沼は先を促す。
「現場に我々も居合わせたのですが、その……奇妙に聞こえるかもしれませんが」
「どうした? 見たままを言え」
貝介は少しためらったのちに、あの日以来何度も頭の中で思い返してきた映像を、再び確認するように慎重な口調で言葉を紡いだ。
「模倣者の首を落として去ったのは、発狂頭巾に見えたのです」
「ふむ」
「いえ、違うな。そうじゃない。いわゆる発狂頭巾ではなく」
「あの太刀筋は吉貝の旦那にそっくりだったってことですな」
八が貝介の言葉を継いだ。
「なるほど、そうか」
鳥沼は頷くと、空夜に目くばせをした。空夜は胸元から端末を取り出すと机の上に置く。
「わしもその件に関してはいくらか調べてみた。これを見てみてくれ」
貝介は思考鏡を装着し、端末に有線で接続した。
【つづく】