広い屋敷の大きな窓。
この屋敷のメイドである私、エレノアは脚立に登り、高い所の窓ふきをしていた。
濡れた雑巾と乾いた雑巾を交互に使って、汚れを拭きとってゆく。
三日に一度やっているから、軽くふき取るだけで綺麗になる。
「エレノア」
「あ、先輩!」
隣の窓を掃除しようと、脚立から降り、それを隣へ動かしたときだった。
先輩のメイドが私を見つけ、声をかける。
手招きをしているから、仕事を止めてこっちに来いといったところか。
私は雑巾たちをバケツの縁にかけ、濡れた手をメイド服のエプロンで拭きとった。
「お呼びでしょうか?」
「スティナさまがお呼びよ。全員、仕事を止めて広間へ集まりなさいって」
スティナは私が仕える主人の母親である。正式には義母だ。
彼女は自分に甘く相手に厳しい性格で、私たちメイドや使用人に理不尽な命令をする。
「戦争で使用人の数が減っていて、そのしわ寄せが私たちに来てるっていうのに……」
「あの人たちには関係ないことですよ」
「ソルテラ伯爵さまが出兵してから、スティナさまの要求が増えてる気がするわ」
現在、私が暮らしている国、カルスーン王国では敵国マジル王国と戦争をしている。
戦況は悪く、マジル王国の方が優勢だとか。
この屋敷の主人、ソルテラ伯爵であるオリバー・ソレ・ソルテラは、国王の命令で戦争に駆り出されている。そのため、現在の屋敷の主はスティナになっていた。
「増えてますね。図々しくないですか?」
「あら、あんたも言うようになったわね」
「まあ、三か月目ですから」
私はソルテラ伯爵家に来て三か月目の新米メイドだ。
だけど、三か月もあれば主人とその家族がどういった性格であるかは分かる。
「三か月もすればあの人”たち”のことも分かるか」
「そう……、ですねえ」
「さあ、行きましょう」
「はい!」
私と先輩は与えられた仕事を中断し、広間へと向かった。
☆
広間には私と同じように命じられたメイドと使用人たちがいた。
私と先輩もその中に入る。
「全員、集まったかしら?」
私たちの目の前、踊り階段には豪華なドレスと高価な宝飾品を身に着けた中年の女性が、羽根のついた扇をひらひらと振って、私たちを見下ろしていた。
四十前半である今でも、二十代とみられるほどの美貌。だが、それは高値の化粧水を使ったり、全身マッサージを施し、厚化粧をしての結果だ。それでも、口元と目元のたるみが現れ、若作りにも限界があった。
毛先を何重にも丸めたツヤのある栗毛の髪がカツラであることは、この場にいるメイドの周知の事実である。その中が白髪が混じったコシのないものだということも。
いつまで十代、二十代のようなフリルの多い、原色のドレスを着ているのだろうか。そろそろ年相応の落ち着いたシンプルなドレスを身に着けてはどうだろうか、などとスティナに対して冷たい視線を送ってしまう。
「それも、どうでもいいわ。今日は、あんたたちに大事な話があるの」
スティナは主人でもないのに、私たちに横柄な態度を取る。
「さあ、ブルーノちゃん! いってやりなさい」
突然、スティナの声音が高くなる。
スティナの隣には、青年が立っていた。彼の名前はブルーノという。
栗色の短髪に、シュっとした顎、大きな青い瞳に高い鼻と外見は清潔で爽やかさが感じられる。
服装も、貴族で流行りの服を着ており様になっている。夜会が開かれれば、年頃の淑女は彼に注目するだろう。
ブルーノはスティナの息子、前当主との間に生まれた子供である。表向きは。
メイドと使用人の間の噂だと、ブルーノの父親は前当主ではなく、スティナの愛人だという。
それが事実だという証拠はここにはない。
「皆の者、よく聞け!」
ブルーノは私たち全員に聞こえるよう声を張る。
「貴様らの主、オリバー・ソレ・ソルテラは戦死した!!」
主人が戦争で死んだ。
ブルーノの発言に、場がざわつく。
国王は劣勢である戦況を好転させられる人材としてソルテラ伯爵であるオリバー・ソレ・ソルテラを前線へ出兵させた。
彼の存在は、ここ、カルスーン王国では【太陽の英雄】と呼ばれる有名な魔術師の家系だ。
その彼が戦死した。戦争に負けたと言っても過言でない。
「本日から、俺、ブルーノ・コレ・ソルテラが当主の座を引き継ぐ!」
ブルーノの宣言を聞いた私たちは、落胆していた。
彼にはソルテラ家の血が流れていないという噂がある。初代ソルテラ伯爵が使ったと言われる”秘術”を引き継げるのかといった不安があるのだ。
それに、ブルーノは母親のスティナと性格が似ていて、使用人に厳しくあたる。それに、お気に入りのメイドには手を出すなど、女性関係にも緩いところがある。
「……他の屋敷に勤めようかな」
誰かが小声でボソッと呟いた。
幸い、ブルーノの高笑いが広間中に響いていたから耳には入っていないだろうが、もし聞こえていたら体罰ものの発言だ。
だが、ブルーノとスティナを除く皆の総意であることは間違いない。仕事に対する意欲もガタ落ちだ。
「兄の私室は俺が使う。明日までに遺品の整理をしろ!!」
「……」
遺品の整理。
そのような言葉がすぐに出るなんて、この人は、兄が死んだことを悲しんでいないのか。
新たな主人に命令されて、すぐに行動に起こす者はこの場にいなかった。
「私がやります」
私を除いては。
「そなた……、おお、エレノアではないか」
私が一歩前へ出ると、ブルーノから名を呼ばれる。
彼が私の名前を憶えているのは、お気に入りのメイドである証だ。
「私がオリバーさまの遺品整理をいたします」
「あ、ああ……。頼んだ」
オリバーの遺品を整理すると立候補すると、ブルーノは承諾してくれた。
言葉に詰まっていたのは、『他の者にやらせればいいのに』と心の中で思っていたからだろう。
「終わったら俺に報告に来るんだぞ、エレノア」
「かしこまりました」
分かりきったことを言う。
私はそんな考えを顔に出さず、服の裾を持ってブルーノに一礼した。
そして、新しい仕事に入るため彼を横切り、階段を上る。
「ちょっと! 窓ふきは!?」
「エレノアには俺が新しい仕事を与えた。彼女がやっていた仕事は貴様が一人でやればいいだろ」
後ろで先輩が私を呼び留めている。
だけど、私はそれを無視して、オリバーの私室へと向かう。
後ろでブルーノが先輩に新しい命令を出しているのが聞こえる。
これで私は先輩に嫌われただろう。
だけど、そんなのどうでもいい。
だって、この出来事はもうじき”なかったこと”になるのだから。
☆
二階へ上ってすぐの扉を開ける。
廊下が見え、左右とつきあたりにそれぞれ一室ずつある。
三室はソルテラ一家の私室で、左がスティナ、右がブルーノ、つきあたりがオリバーとなっている。
オリバーの部屋は代々ソルテラ伯爵が利用する部屋で、当主以外、誰も入ってはいけないことになっている。掃除にも、お茶を持っていくのも禁じられている。それは親族にも該当するようで、二人も入ったことがないらしい。
私はオリバーが利用していた部屋の前で立ち止まる。
当主以外、入室を禁じられた部屋。今回はブルーノが”遺品整理”という仕事を私に与えてくれた。
私はためらうことなく、ドアノブに手を伸ばし、部屋に入った。
物が散らかっておらず整頓された部屋だが、部屋の主が出兵し一週間ほど無人だったため、埃っぽいにおいが立ち込める。
「さて……、と」
私は、壁に掛けられている肖像画の額縁を外した。
描かれた人物が誰であるかなんて、今はどうでもいい。。
「よいしょっと」
肖像がをその場に置き、私はかけてあった壁に全体重をかけた。
私の身体は壁にもたれかかることはなく、すり抜ける。
その先に、もう一室あるのだ。隠し部屋である。
この裏の壁は、見た目上ただの壁に見えるが、隠し部屋の入口なのだ。
隠し部屋は、本と沢山の小瓶、筆記用具そして青白く光る水晶玉がある。
小瓶にはキラキラした砂や色のついた液体が入っている。
ぱっと見た感じ、魔法を研究している場所だろうか。
「はあ」
私は隠し部屋に入った突端、ため息をついた。
突然、隠し部屋が現れたのに驚かず、落胆するなどありえない反応だと自分でも思う。
「”また”、ここに来ちゃった」
私は水晶玉を両手で持ち上げながら、独り言を呟いた。
『僕は初代ソルテラ伯爵。この水晶を手にする者よ――』
「これを見つけるのも”八回目”ね」
水晶を手にすると頭の中に男性の声が流れる。
だけど、私はこの展開をもう知っている。
『私の血筋を絶やさぬため、【時戻り】をしてほしい。さあ、”いつ”に戻す?』
この水晶はある条件が起こると、青白く光り、時間を戻すことができる魔法道具。
私はこの魔法道具を八回、利用している。
青白く光る条件は、”ソルテラの血筋が途絶える”こと。
「オリバーさま。次こそは、あなたをお救いします」
八度、繰り返しても私は一度もオリバーを救えていない。