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第2話 優しい主人はもう屋敷に帰らない

 私は初めてこの隠し部屋を訪れた時のことを思い出す。



「今日からここで働くことになったエレノアだ」


 三か月前、私はソルテラ伯爵家にメイドとして着任した。

「エレノアです! メイドの仕事は初めてですが、皆さんのお役に立てるよう仕事を早く覚えたいと思います。よろしくお願いします!」


 先輩たちの前で一言述べ、頭を下げる。

 私を歓迎する拍手の音が響いた。


「真面目な子ぽいけど……、顔がねえ」

「オリバーさまはともかく、スティナとブルーノがなあ……」

「そこは私たちでカバーしましょう」


 拍手の音と共に、私の容姿を心配する声が耳に入った。

 仕える人の中に、容姿を重視する人がいるようだ。私は彼らの基準に達していないと。

 顔をあげ、先輩たちの顔を観察すると、皆、目鼻立ちが整っているように見える。使用人はともかく、メイドの方は美人揃いだ。それにスタイルもいい。


(私……、ここでやっていけるかしら)


 スタイルはともかく、私の容姿は先輩のメイドと比べて不細工だと思う。特に、目元は一重で細く見える。二重で目元がぱっちりしている先輩たちとは違う。

 私の不安は、すぐに的中した。



「まだ、終わってないのか!!」

「きゃっ」


 働き始めて半月、私はブルーノに目を付けられていた。

 一階の窓ふきをしていると、私が上っているにも関わらず、彼は脚立を思い切り蹴った。

 バキッと嫌な音を立てて脚立が倒れる。その一番上にいた私は、高い場所から床へ全身を強くうった。

 突然のことで浮遊の魔法を唱え、落下を止めることが出来なかった。


「……っ」


 高い場所から落ち、全身が痛い。

 だけど弱みを見せたらブルーノのつぼだ。

 私は唇を強く噛み、痛みに耐えた。すぐに立ち上がり、ブルーノに頭を下げる。


「申し訳ございません。すぐに終わらせます」

「目障りだ。早く終わらせろ」

「はいっ」

「あと、お前のせいでバケツの水がこぼれた。それも拭き取れ」

「私の不手際を指摘してくださり……、ありがとうございます」

「ふんっ」


 私をいびる理由が無くなったのか、ブルーノはその場から去っていった。

 彼がいなくなったのを確認し、私は床に打ち付けた左腕に触れる。


(いたいっ)


 触れただけで痛い。動かすのも辛い。

 これでは仕事の効率が悪くなる。

 回復魔法が使えれば、ここですぐに治してしまうのだが、残念ながら私にその才能はない。


(治療したほうが早く終わるけど、ブルーノがまた来たら怒鳴りつけるだろうし……)


 この場から離れ、回復魔法が仕える先輩の元まで向かうか考えたが、その間にブルーノがここを通ったら、激怒するにちがいない。怒られる要因をこれ以上、作りたくはない。

 ブルーノが私を執拗にいびってくるのは、私の顔が気に入らないからだ。

 私を見つけるなり暴言を吐き、余計な仕事を増やしてくる。

 彼は気に入らない人間を徹底的に叩き、身体的・精神的に追い詰めてゆく。

 その人たちは最終的に仕事を辞めていったとか。


「はあ……」

「やあ、エレノア」

「オリバーさま!!」


 理不尽な要求にため息をついていると、後ろから私の名前を呼ぶ声がした。

 ブルーノではない、敵意のない暖かい声音。

 振り返るとこの屋敷の主、十五代目のソルテラ伯爵、オリバーがいた。

 オリバーはふわふわな金髪と空の色のような澄んだ碧眼を持つ、ふくよかな体系の青年だ。

 赤ちゃんのように柔らかそうな頬と高価な服からはちきれんばかりに腹部が突き出ている。

 気難しい性格の弟、ブルーノとは対照的で、おおらかで優しい性格だ。

 使用人、メイドの名前を全て覚えており、通り過ぎると気さくに話しかけてくれる。

 その人柄から、私たちの間でオリバーを嫌う者はいない。

 私は声をかけてきた人物がオリバーだと分かるなり、すぐに頭を下げた。


「あっ、つっ!!」


 痛みに耐えきれず、私はその場に膝をついた。


「エレノア? どうしたんだい?」

「オリバーさま、申し訳ありません……」

「苦しそう、どこか痛むのかい?」

「い、いえ……」

「ちょっとごめんよ」


 優しいとはいえ、主人であるオリバーに弱い所を見せてはいけない。

 私は痛みを堪え、立ち上がろうとするも、それが出来なかった。

 オリバーが心配している声が聞こえる。それと同時に、痛みがすうっと消えた。


「怪我してたんだね」

「回復魔法、ありがとうございます」


 痛みが消えたのは、オリバーが私に回復魔法を使ってくれたから。

 オリバーはソルテラ伯爵家では珍しく、回復魔法と防御魔法を得意とする魔術師だ。

 先輩がかけてくれた回復魔法よりも、痛みが早く消えた。きっと、これがオリバーの実力なのだろう。

 私は脚立から落ちた怪我を治してくれたオリバーに礼を言う。

 だけど、オリバーは片足が折れ、床に倒れている脚立とバケツ、こぼれた水をじっと見ていた。


「これは……」

「バランスを崩して倒れてしまったのです」

「ブルーノの仕業かな?」

「いえ、ブルーノさまは――」

「庇わなくていいよ。脚立の足が折れてる。この折れ方からして、経年劣化ではなく、誰かが故意に傷つけたものだろう」

「……オリバーさまの仰る通りでございます」


 じっと脚立を観察していたのは、片足が折れた要因を考えていたからだろう。

 嘘をついても仕方がないと感じた私は、正直に自分がケガをしたのは、ブルーノが故意に脚立を壊したからだとオリバーに告げ口した。

 それを聞いたオリバーは「あいつ、懲りないな……」と小さな声でブルーノに悪態をついたのち、私に微笑みを向ける。


「このことはメイド長に言っておく。ブルーノと会わない仕事に移してもらうよう調整してもらうよ」

「ご配慮、ありがとうございます」

「あいつは度を越した嫌がらせを君たちにするからね。謝るのはこちらのほうだ」


 オリバーは手を動かし、呪文を唱える。

 足が折れていた脚立が直り、こぼれていたバケツの水も元通りになっていた。

 ”時戻り”の魔法。高度な魔法で、扱える魔術師はカルスーン王国でも片手で数えるほどだ。


「これで仕事の続きが出来るかな」

「はい!」

「エレノアは『仕事の覚えが早い子だ』ってメイド長も褒めていたよ。弟のことは気にせず、これからもよろしくね」


 オリバーは片手を軽く上げ、愉快にこの場を去って行った。


「ああ、素敵な人だわ」


 私はオリバーの後姿が見えなくなるまで、ずっと見ていた。

 綺麗な先輩たちが、容姿の整っているブルーノより、ふくよかな体系のオリバーに恋焦がれている理由が今日分かった。


(オリバーさまのために働こう)


 私はこの日から、オリバーに尽くそうと誓った。


 オリバーに壊された脚立と零されたバケツの水を元に戻してもらい、私は窓ふきの仕事にもどる。

 窓ふきが終わり、脚立とバケツを持って、それらを所定の場所へ戻そうとしていたところ、メイド長と鉢合わせした。


「ああ、エレノア。窓ふきの仕事が終わったのね」

「はい、これを片づけたら、先輩に次の指示を貰います」


 メイド長から声をかけてくるとは、私の事を探していたのかもしれない。

 私は彼女に用品を片づけたら次の仕事をすると言った。


「いえ、あなたは別の子の下で働いてもらうわ」

「え? どうして――」

「先ほど、オリバーさまと話してね。あなたに別の仕事を与えたほうがいいって言われたのよ」

「オリバーさまが……」


 あの話は冗談だと思っていたのに、本当にメイド長に掛け合ってくれたんだ。

 オリバーの気遣いに、私の心の中がポワッと暖かい気持ちになる。


「こちらこそ、ブルーノさまの嫌がらせに気づかなくてごめんなさいね」

「……」

「脚立を片づけたら庭園の作業場へ向かいなさい。話はつけてあるから」

「わかりました」


 私に次の指示を送ると、メイド長は去ってゆく。

 謝罪はされたものの、彼女はオリバーの一言が無ければ、ずっと同じ仕事をさせていただろう。

 うわべの言葉だと私は思っている。

 ブルーノの嫌がらせだって、見て見ぬふりだったに違いない。


「これできっと、働きやすくなる」


 内心、ブルーノの嫌がらせでメイドの仕事が向いてないのではないかと、後ろ向きな考えをしていた。

 脚立を壊され、高い場所から落ちた時はメイドの仕事を辞めようかという考えが脳裏によぎった。

 だけど、オリバーが私を助けてくれた。

 ブルーノの嫌がらせがなければ、本来の私の力が出せるはず。


「オリバー様の生活がよくなるように、いっぱい働こう」


 その後、私は身を粉にして働く。

 だけど、二か月後、悲しい結末が待っていた。



「皆、大事な話がある」


 ある日、オリバーは使用人とメイド全員を広間へ集めた。

 その頃、私はブルーノの嫌がらせが無くなり、仕事が順調な時だった。

 皆の輪の中央にいるオリバーは神妙な面持ちでいた。

 先日、オリバーは屋敷を出て王都へと向かった。そこで国王になにか命令されたに違いない。


「僕は悪い戦況を打破するため、出兵することになった」

「オリバーさまが……、出兵!?」


 オリバーが出兵する。

 彼の発言にこの場にいたもの全員が動揺した。私もその一人である。

 ソルテラ伯爵家の起源は、三百年前の大戦で”太陽のような火球”を戦場に放ち、祖国を勝利に導いた英雄からなる。その秘術は強力で、戦場となったカルスーン王国とマジル王国の国境近くには、その火球を放ったことで生まれた、巨大なくぼみがある。

 カルスーン王国はソルテラ伯爵の秘術を武器に、各国を脅し、発展してきた国だ。

 オリバーが国王に出兵を命じられた。それは最終兵器を戦場に配置しなくてはいけない状況まで追い込まれていることを意味する。


「僕がこの戦争を終わらせてみせる。だから、帰ってくるまで屋敷を守ってほしい」

「「はい!」」


 皆の声が重なる。

 不安ではあるものの、オリバーが戦場に出て初代のように秘術を放てば、この戦争は勝ったも同然。

 ただのメイドである私はて主が帰ってくる場所を綺麗に掃除して待っているしかない。

「明日、屋敷を出てゆく。荷造りに三人欲しいんだけど」

「……かしこまりました。早急に手配いたします」


 オリバーは執事長とメイド長に命令する。

 二人はオリバーに深々と礼をし、命令にすぐに対応すると言った。


「留守の間、家のことは義母さんに任せることにした」


 オリバーは家令である中年の男性に視線を向ける。


「僕がいないことで、義母さんとブルーノが無駄遣いをするかもしれない。その時はお前が制御してほしい」

「かしこまりました」


 荷造りの他に、資産の管理について口にした。

 オリバーが留守の間、スティナは洋服や宝飾品を好きなだけ買い漁るだろうし、ブルーノもメイドに対するいびりが強くなってゆくだろう。屋敷の環境が悪くなるのは避けられない。

 戦争に出る方が辛いだろうに、残してゆく私たちのことを憂いてくれる。


「話はこれで終わり! 皆、各自の仕事に戻ってくれ」


 重い話が終わり、わたし達はそれぞれの仕事に戻る。

 オリバーの魔法で戦争が終わり、彼は屋敷に帰ってくる。

 私はそう信じて、働き続けた。

 しかし、オリバーが屋敷を出て二週間後、私が働き始めて3ヶ月目になる日、ブルーノの口から“オリバーの死“を告げられる。


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