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認めざるを得なかった。自身と戦った小さき者の中で間違いなく、この小さな剣士が最強だと、オーガヒーローは認識した。故に、名誉ある石剣を捨てる、今この時においては無意味な代物だから。
オーガの身体能力を十全に活かそうとするならば徒手空拳一択だと、他ならぬオーガヒーロー自身が理解しているからこその戦闘スタイルの移行。
つまり、ここからが全力である。
オーガヒーローが吼える。空間全てを押し潰さんとするかのような咆哮の、その心地よさに、阿修羅が笑みを浮かべる。
そして、一瞬だけ、音が消え去り――爆音が鳴る。ひとつ、ふたつ、みっつ、と順次追加されていく音が示すのは、オーガヒーロー全力の突進による踏み込みの凄まじさだ。
片や八メートル超の巨体、片や今年の春にようやく一五〇センチメートルに到達した小柄な少年、五倍以上の体格差が生み出す現実は非情だ――もし、オーガヒーローの突進時の身体に人間が擦りでもした場合、触れた部位は弾け飛ぶ。それほどまでの威力の突進が、阿修羅に襲いかかる。
「――ふふ、ふはははっ、ははははっ!楽しい!楽しいね、巨人さん♪」
配信用魔道ドローンが、阿修羅の声を拾い、視聴者全員の肌が粟立つ。この局面で、混じりっ気なしの狂気を孕んでいる楽しそうな声色を聞いたのだ、鳥肌が立つのも無理はない。しかし、それと同時に、期待と興奮に胸を躍らせていた、それもまた当然。
オーガヒーローという名の大巨人を、阿修羅は一体、どのように討伐するのか、その瞬間を目撃したいのだから。
一辺が約一キロメートル、天井までが約二〇〇メートルという広大な空間でシャトルランでもするかのように、オーガヒーローは、阿修羅を中心に突進を繰り返す。オーガヒーローの踏み込みは地面を抉り、地形を変える。まるで何かのアトラクションのように大地が揺れ、不安定な足場の中、阿修羅は、オーガヒーローの突進を避けていたが、舞い上がる岩により視界を奪われた――ものの、慌てることなく後退した――その一瞬が決定的だった。オーガヒーローの突進が、阿修羅の立ち位置と重なったと同時に上がる血飛沫――挙がる、苦悶の声。
オーガヒーローの肩口から、
阿修羅とオーガヒーローの差し合いにおける攻防、その全てを、この時、理解できた者はいない。後日、阿修羅がオーガヒーローに行なった攻撃が解析されることになる。だが、ひとつ目の攻撃の時点で、阿修羅の凄まじさ、超絶技巧と呼ぶべき剣の技術に、世界は驚くことになる。
オーガヒーローの突進を避けることができないと判断した阿修羅は前進、オーガヒーローの身体に、左手を重ねる。次の瞬間、左手が弾かれるが、その勢いを乗せて錐揉み状に身体を回転、オーガヒーローに刃を押し付け、一瞬のうちに何度も――電動の丸ノコギリのように――同じ場所を斬り裂き、足蹴にして距離を取る。
瞬間的な機転と奇抜な発想、それを実行する心胆と、理想を現実のものにする剣の技術と身体機能の追従性。阿修羅、此処に在り、と、誰もが評価した瞬間だった。だが、当の本人には、そのようなこと全てが些末ごと。もとより他人の評価を気にする性格でも性質でもないカイトが、その時、気にしていたのは別のこと。
阿修羅とオーガヒーローは、互いに痛み分けとは言い難い。阿修羅が握る刀がひしゃげている、使い物にならなくなっていたからだ。
「あちゃあ……仕方ないか――」
阿修羅は、握る刀を無造作に放り捨て、腰に差すもう一本の刀、その柄に触れる。
そして、世界が知る。
「ま、せっかくだし――愉しもうか」
本当の阿修羅は、
空気が凍る。実際はそんなことはあり得ない、が、最も近くにいたナナミンは、そのように錯覚した。阿修羅が、二本目の刀に触れた瞬間から、明らかにその場の空気が変わったのだ。ナナミンちゃんねるの視聴者からはそういったコメントが無いため、ナナミンだけが肌で感じた変化なのだと、ナナミン自身はそのように納得していた。そんなナナミンの少し前方に、阿修羅が投げ捨てた刀がある。なんとなく気になったナナミン、タレントとスキルをフル稼働させて、こっそり刀を回収したことで、その事実に気づいてしまう。
「え、なにこれ!?みんな、これ――」
その刀は、刃引きされている非鉄合金製の刀、いわゆる、模造刀と呼ばれるもの。
つまり、今の今まで――昨日の大侵攻も、前回の階層主討伐も含めて――刃が潰れている切れ味の悪い刀で、阿修羅と呼ばれるほどの強さを、あの少年は示していたのだ。
そして、ナナミンは理解する。今、阿修羅の手に握られている刀が、正真正銘、本物の刀、真剣であるということを。
阿修羅がダンジョン攻略を始めて約三ヶ月経過した、その日。阿修羅は、ダンジョンの中で初めて、真剣をその手に握る。
言葉通りの真剣勝負を仕掛けたのだ。