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 2043/07/26 (日) 06:26

 横浜市内 中華料理『山清楼』屋上


 ほんの微かに音が鳴る。

 軌跡が描かれる度に、必ず。


「ふわぁ……んー……」


 北から南、南西から北東、北東から南西、西から東、南東から北西――途切れることなく続くこれらは全て、一瞬にも満たない間に中空に描かれる軌跡の数々。その軌跡ひとつひとつに必ず、とても小さく、カサッ、という音が追いかけてくる。


「な、なんだ、アレは――」

「――おはようございます、カナさん」

「ん、ああ、おはよう、アカネさん。どうだい、よく眠れたかな?」

「はい!急だったのに助かり……ああ、なるほど……アレ、気になります?」

「……そうだな、気にならないと言ったら嘘になる。アレは一体……」


 中華料理『山清楼』屋上に建てられたペントハウス、その庭で、とても奇妙なことをしているのは、阿修羅こと藤堂 海斗。先日、オーガヒーローを斬り伏せた真剣を手に、朝の日課をしていた。そんなカイトの顔の前には、何かが浮いている。しかも、その何かは、上下左右に細かく震えるように動いていた。


「アレは、まさか……紙風船か?」

「ええ、正解です」


 それは、カイトからしてみれば、ただの手慰み。一日の始まりに家族へ挨拶をするような、そんな感覚で嗜み、愉しんでいるだけの、ただのお遊び。だが、それは――


「あんなことが可能なのか……実は、特殊な材質の紙風船とかでは――」

「ただの紙風船ですね。柔らかい和紙でできてる、あの紙風船ですよ」


 他人からしてみれば、カイトがしている事は、神業という言葉すら霞んでしまうような、そんな領域の技である。

 例えば、カイトの一振りが、紙風船が割れないように優しくゆっくりと振られているとしたら、カナが、あそこまで驚くことはない。

 違うのだ。カイトの一振りは間違いなく――オーガヒーローの肉を斬り裂いた時のような――斬徹の一振りだからこそ、自分が実際に見ているものが信じられない、そんな心境となったカナがそこにいる。

 戦車の装甲かそれ以上の硬さですら斬り裂く一振りが、紙風船を断てぬ訳がない。そんなことは誰にだってわかる。しかし、何も変わらず、そこに紙風船が浮かんでいる。それ故の驚きということだ。

 そしてもうひとつ、驚くべきことがある。


「本当に凄まじい……いや、理屈はわかるが、実際にやれと言われて出来るかは――」

「やってみます?紙風船は余ってますし――」


 そう、理屈自体は簡単なのだ。しかし、それを実践するとなった途端、異次元の難度となって阻んでくることだろう。

 結論から言うと、紙風船の位置がほぼ変わらずに宙に浮いている、その理屈の正体は――揚力である。

 わかりやすい例を挙げるならば、サッカーのロングフィードやゴルフのバックスピンショットだろうか。ボールの下方を擦るように蹴る、もしくは、擦るように打つことで、強烈なバックスピンをかけて、滞空時間と飛距離を伸ばすことに繋がる。


 今、カイトがしていることである。


 より正確に述べるならば、紙風船の端を刀の腹で擦ることによって、紙風船を動かすことなく、その位置で回転させて宙に浮かせている――それを、一秒の間に四度、寸分の狂いなくこなすことで、紙風船が宙に縫い付けられたように浮かんで見える、そんな異常な光景を生み出す。


 控えめに言って、神業である。


「カイト!ご飯だよー!」

「んぁっ!?うん、食べる……ふわぁ……」

「……もしかして、カイトくんは――」

「ええ、カイトはなんです」


 カナは、開いた口を塞ぐことをできないでいた。あの凄まじい光景を、朝が苦手な人間が作り出していただなんて、誰が思うのだろうか。


「カナしゃん、おはようございまふ……」

「う、うん、カイトくん、おはよう……よく眠れたかな?」

「はい、とっても……ふわぁ……」


(か、可愛い、可愛すぎる……)


 花宮 加奈、二十六歳。色んな意味で、刺激的な日々が始まったようである。



 中華料理『山清楼』――探索者クラン『クリムゾン・オーダー』が経営する中華料理屋。横浜ダンジョン攻略組の拠点である。

 五階建てのビルの三階までが山清楼、四、五階がクリムゾン・オーダーの管轄となる。

 屋上のペントハウスは、クリムゾン・オーダーの幹部や賓客の宿泊用として使われている。



 2043/07/26 (日) 09:41

 横浜市内 某所


 ナナミンに連れられて、横浜市の一角、雑居ビル立ち並ぶそこに――退廃的な空気と無骨な雰囲気がないまぜになったような独特な場所にやってきたカイトとアカネ。とあるビルの地下へ向かい、ナナミンの友人でもある、ひとりの女性と、カイトとアカネは出会うことになる。


「――あっ、すっごい……ねぇ、こんなに大きいなんて思ってなかったの……私、上手く、できるかな?」

「……ほぇ?」

「あ、あれ、おかしいな……男の子にはこれが一番効くんだけど……あ、痛っ!?」

「通報するよ?」

「や、やだなぁ、ナナミン、冗談さ冗談♪」

「え、と……この方が?」

「うん、残念だけど――」

「えー、なになにー、アタシのこと、この子たちになんて紹介したのさ、ナ・ナ・ミ・ン♪ねえねえ、教えて教えて〜♪」


 人気アイドルグループのセンターまで務めたことのある美女がしてはいけない表情が、今の感情を雄弁に示す――ウザっ、と。

 ナナミン史上最強クラスのしかめっ面を引き出すこの女性は、ナナミンが使用する二丁拳銃の製作者。魔石という名の未知を導き、新たな未知を編み出す技術を有する技術者――魔導師と呼ばれる者の一人。


 彼女の名は――西条 ルミア。嫌でも認めざるを得ないほどの天才魔導師である。



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