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2043/07/27 (月) 14:31
横浜ダンジョン三階層 本道
藤堂家の人間として、日頃から武の修練を積み上げているアカネだが、ダンジョンでの魔物との戦い、その経験は無い。ましてや、難度が高い横浜ダンジョンでの探索を、経験が少ない者が行くべきではない。
そんなわけでアカネたち三人は、午前一〇時頃に、横浜ダンジョン前に集合。まず手始めに、一階層のオーガ討伐から開始。アカネの実力を確かめながら——三階層まで、危なげなくやってきた。
ナナミンから見てもアンナから見ても、ダンジョン攻略する者として、藤堂 茜は及第に達している——どころか、単純な戦闘能力に限れば、B級のナナミンはもちろん、EX級のアンナすら凌駕していることに感嘆し、二人揃って似たようなことを考えていた——アカネちゃん、強すぎ、と。
さて、ダンジョン攻略黎明期とも呼べる五年前、発足されたばかりの探索者ギルドが、最初に取り組んだのは、全てのダンジョン内に二種類の道を設定することであった。拠点間を結ぶ本道と、それ以外の支道である。
さて、本道の存在意義とはなにか——
「——生存率を高めるためです!」
「うん、大正解♪ さすが竜胆学園の学生さん、しっかり勉強してるのね」
「実際、本道の存在はありがたいよね」
「ええ、私もそう思うわ」
ダンジョン攻略には危険がつきものである。魔物とは、ただ単に強大なだけではない、群れをなして襲ってくるだけでもない。知性の高い魔物などは、地形を罠にすることもあれば、数を生かした人海戦術も仕掛けてくる。いざとなれば、退却しなければいけない局面に追い込まれることもあるだろう。
そんなとき、逃げる方向だけでも明確であれば、助かる可能性は高まる。他の誰かがいれば、助けを求めることもできる。
人が行き交う本道の存在は、ダンジョンを攻略する者の一助になるのである。
実際、本道が設定されているダンジョンの場合、そこを通って拠点に向かう者は多く、魔導バスや魔導タクシーはもちろん、徒歩で拠点間を移動する巡回依頼も存在するため、どのダンジョンでも、本道での人の往来は盛んである。
また、探索者ギルド、傭兵ギルド双方の合意のもと、定まったルールもある。
「ねぇねぇ、ナナミン、明日の何時に集合だったかしら?昨日、カナちゃんから階層更新の支援要請受けて、慌ててこっちに来たから、いまいちわかってなくて——」
「明日の十二時半集合、十三時出発って聞いてるよ。というか、アンナにまで声かけるとか……カナさま、本気だね——」
ダンジョンの階層主を打倒したその後に待つのは、次の階層への挑戦である。ただし、すぐに挑戦することは絶対にない。階層内の拠点と次の階層に繋がる部屋まで、きちんと道を舗装してから挑戦する決まりになっているからだ。それは何故か。
次の階層に進む、つまり、階層更新する際に待ち受けるのは、明らかに強さを増した魔物たちである。この五年間、このことに例外はなく、階層の更新をすると必ず、魔物の強さが増している。
過去、功名心に駆られた者たちが、階層主を倒してすぐに次の階層へと向かい、取り返しのつかない事態——全滅したことが何度もあったことから、このルールが設けられた。
想定以上の危険に見舞われた際の逃走ルートの確保は、ダンジョン攻略には不可欠。
死ねばそこで終わるのがダンジョン攻略。フィクションで描かれるような、死んでもやり直せる生温いお遊戯とは、明確に異なる。
ダンジョン内に道を作るだけの技術力を有していながら道を作らない、それを許されるのはフィクションだけ、創作の世界だけである。
命綱をつけずにバンジージャンプをさせる、そんな自殺行為を、現実を確かに生きている自分以外の誰かに強要するなど、傲慢極まる愚行でしかないのだから。
「あ、あの……」
「ん?どうしたの、アカネちゃ……ああ、なるほど、どうしてB級の私とシークレット・ナインのアンナがタメ口なのかが気になるのね♪」
慌てふためくよう胸元で両手をパタパタさせるアカネと、イタズラ顔でニヤリと笑うナナミン、それを見たアンナが言葉を口にする。
「ふふ、ナナミンとは同じ大学、同じ声楽科だったの。その年の春、オーストリアからやってきたばかりで友人もいない私が、一人寂しく学食でランチをいただいているときに声をかけてくれたのが、ナナミン。それからの付き合いということになるわね」
「で、私たちが大学二年の時、つまり、五年前に渋谷事変が起きたでしょ?都内の大学だったもんだから、当然のように休校、再開は未定。アンナはアンナでシークレット・ナインになってるし、あの時はホントビックリしたよね!そのあと、アイドル活動も一応は再開できたんだけど……ライブとか握手会とかに度々来てくれてたファンの人たちが亡くなったこととか知っちゃってね。アンナにお願いして、こっそり、ちゃんとした適正検査を受けさせてもらったら……なんとレアタレント持ちだったの」
「え?でも、たしか——」
疑問符が浮かんだのだろう、アカネが首を傾げ、その姿を見たナナミンが答える。
「あ、知ってた?そう、配信とか公式ブログとかで汎用タレントの『隠密機動』って公表してるんだけど、実は嘘というか誤魔化したというか……」
「私の『アスクレピオス』みたいに、悪い人に知られると良くない希少なタレント持ちの場合、汎用タレントとして公表してる人、結構いるんだ。私の場合は状況が状況だったから。いろんな人に私の異能のことを知られちゃってて、お口チャックしてもらうのは難しかったから。シークレット・ナインができた経緯のひとつが、実は私だったりするんだ」
「え、と……この話って、私が聞いてもよかったんですか?」
当然の疑問である。もし、アカネがこのことを——特にナナミンのレアタレントのことを——何かしらの方法で拡散した場合、危険なことになり得るのだから。秘密を知る者は少ない方がいい、というのは、今も昔も変わらぬ真理なのだから。
そんなアカネの疑問に対して、ナナミンとアンナの回答は——
「——ふっふっふ、知ってはいけない秘密を聞いちゃったね、アカネちゃん」
「え、えっ!?」
「アカネさんを、このまま帰すわけにはいきませんね。どうする、ナナミン」
「かくなる上は——仲間に引き込むしかあるまい!ってなわけで、アカネちゃん、私たちとパーティ組んでもらえる?」
「……え?」
「将来有望な学生さんを囲っておくのは、どんな世界でもあることですからね」
「ま、そういうこと!それに——」
アカネの全身を改めて眺めていくナナミン、その様子を見たアンナもアカネの全身を眺めて、ナナミンが言いたいことを悟る。
「——大和撫子って、アカネさんのような方のことをいうんでしょ、ナナミン」
「その通りよ、アンナ!私と一緒に探索配信でトップ狙っちゃおうよ、アカネちゃん!」
ナナミンやアンナとパーティを組むことを打診され、ナナミンちゃんねるにて配信活動まで誘われたアカネ、その心境は——
(う、嘘……そんな、私が……ホントに?ホントのホントに……
アカネ、大興奮である。普段の、凛としながらもお淑やかな雰囲気など、そこには見当たらない。当然、表には出さない。鉄壁のポーカーフェイスである。
さて、思い出してほしい。
あの日、藤堂 源慈が、自分の孫が横浜ダンジョン三階層の階層主と一騎討ちをしていると知らされた時、もうひとりの孫は何をしていたのか——居間にある六〇インチのモニターで、ナナミンの配信を観ていた。
彼女の祖父と弟はその女性配信者のことを知っていた。孫が、姉が、いつも居間でその配信者の探索配信を観ていたから。
例えば、何故、アカネは、配信や公式ブログでしか入手できない——ナナミンは汎用タレント『隠密機動』持ちである——という、いささかマニアックな情報を知っていたのか。
藤堂 茜は、人気Gtuberである探索配信者ナナミンの——アイドル時代からの——大ファン、通称ナナ民、筋金入りのナナミンオタクだったのだ。
藤堂家は、日本有数の武の大家として、その界隈の人々から一目置かれる名家である。幼い頃から武に生きる者としての心得を、アカネも叩き込まれてきた。
だが、どんな家の生まれだろうと、年頃の女子であれば、心の内に何かしらの憧れを抱くのは当然のこと。
アカネの憧れの対象は、画面の向こう側で、キラキラと眩いばかりに自分を表現しながら誰かを幸せにしている、アイドルという存在。その中でも彼女——草壁 七海は、アカネにとって最も憧れる存在、最推しである。
ある意味、世界中で最も信頼できる将来有望なルーキーを、ナナミンとアンナは囲い込んだわけである。更に言うと、アカネを引き込むことで、剣聖と阿修羅も半自動的に陣営に加わる、あくまで副次的なものではあるが。
藤堂 茜という存在は、結果的に、多大な影響を及ぼすということである。
ちなみに、ナナミンとアンナは、副次的なことは何も考えず、アカネのことを、人としても攻略者としても気に入ったからパーティに誘っている。
そこに邪心の類は一欠片も存在しない。
心なしか歩様の軽いアカネを連れて、ナナミンとアンナが、帰路に就く。