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第15話

桜庭凛子は開口一番、伊藤達也の母親がスイス銀行に持つ口座を指摘し、続いてスカイグループの花沢副社長の名もさらりと出した。

手際よく、伊藤達也との無駄なやり取りを一切せず。

伊藤達也は不意を突かれた。

午後からずっと不安だったが、桜庭凛子に責任を押し付けるのは無理だと感じていた。


しかし、自身の行動に隙はないと確信していた。


桜庭は疑うことはできても、証拠がなければどうしようもないはずだ。


彼はもともと、理不尽な言いがかりをつける準備まで整えていた。


「達也、本当にお前なのか?」佐藤健は我に返ると、信じられないという表情で伊藤達也を睨んだ。


伊藤達也は彼が一手に育てた部下だった。


データがハッキングされた後、佐藤は誰もかも疑ったが、伊藤だけは疑わなかった。


今思い返せば、社長室からデータを持ってきたのは、まさしく伊藤本人ではなかったか?


「課長、違います!俺じゃない!」伊藤達也はきっぱり否定し、桜庭凛子を指さして鋭く叫んだ。


「お前自身のミスを、今さら俺のせいにするな!」


「でっち上げかどうか、あなたもわかっているはずです」


「桜庭さん、今回は本当にすまなかった。少し時間をくれ、必ずけじめをつける!」佐藤健は一歩前に出た。


桜庭と接する時間は短かったが、ベテランの彼には、彼女が確かな人物だとわかっていた。


確たる証拠がなければ、彼女が公の場でここまでするだろうか?


しかし、自分が育てた部下だ。まだ30歳にもなっていない。


佐藤はどうにかして、助けようとした。


「申し訳ありませんが…」桜庭凛子は首を振った。


その時、営業一課のドアの外で騒ぎが起こった。


佐藤がまだ口を開く前に、ガラスドアが開き、制服姿の経済犯罪捜査官たちが入ってきた。


「警察を呼んだのか!?」伊藤達也の声は裏返り、怒りと恐怖で震えていた。


「桜庭凛子!ここまでやるつもりだったのか!?」


「伊藤達也さんですか?」先頭の捜査官が警察手帳を見せた。


「商業賄賂と不正競争の事件について、事情聴取のために同行願います」


「課長!助けてください!」伊藤達也は恐怖で震え、佐藤健の腕を必死に掴んだ。


経済犯罪捜査官が来た時点で、佐藤はもう助からないと悟った。


悔しさに歯を食いしばり、彼は伊藤の頬を強く叩いた。


「こんなに歩合給をもらってて、何が足りないんだ!」


伊藤達也は頬を押さえ、目を赤くして歪んだ表情で叫んだ。


「何が足りない?そんなこと聞けるか!お前が俺を雑用係に押しとどめていなければ、とっくに出世してたんだ!家族を養わなきゃならねえ!子供3人全員を海外留学させたい!金が足りないんだよ!大金が!」


桜庭凛子は捜査官のリーダーと簡単に話を済ませ、社長室に提出するために事前に書いておいた事件報告書を持って戻ろうとした。


その時、経済犯罪捜査官が手錠を出し、伊藤達也にかけようとした。


桜庭がドアのそばまで来た瞬間――伊藤達也が突然、傍らの捜査官を突き飛ばし、山本彩のデスク上のトロフィーを掴むと、桜庭凛子の後頭部めがけて全力で振り下ろした!


「うわっ!」


「桜庭さん!!」


叫び声が上がった。


桜庭は後ろから風を感じ、本能的に身をかがめた。


「ガラッ!」という大きな音。


ガラスドアが粉々に砕けた。


本来なら安全ガラスなので、飛び散ることはないはずだった。


しかし、桜庭の不運は、このドアが以前から不具合を抱えていたことだった。


営業一課は華麒麟プロジェクトに集中しており、修理の依頼が出ていなかった。


ガラス全体が枠から外れ、そのまま桜庭の上に倒れ込んだ!


「桜庭さん!」


周囲の人々が駆け寄った。


捜査官たちも伊藤達也を地面に押さえつけた。


小早川城が到着した時、まさにこの光景を目にした。


彼は全ての体裁を忘れ、大股で駆け寄った。


「大変だ!血が…!」


一番近くにいた山本彩が叫んだ。


桜庭の全身にはガラスの破片が突き刺さり、特に両手の甲には深くガラスが食い込み、血が止まらず流れていた。


「大丈夫…です」


桜庭は痛みで眼前が暗くなるのを感じた。


「山本さん、お願いします…」


「桜庭凛子!」


小早川城の焦燥した声が彼女を遮った。


桜庭が驚いて顔を上げると、小早川は既に半跪きになり、彼女の血まみれの手を握っていた。


「このクソ女!小早川の威光を借りてるだけじゃねえか!あいつがいなきゃお前なんてゴミ同然だ!覚えてろ!俺が出所したら真っ先に殺してやる!」


伊藤達也は地面に押さえつけられたまま、なおも叫び続けていた。


小早川城はデータ漏洩事件の経緯をほぼ理解した。


彼は伊藤を刃物のような眼光で一瞥し、桜庭を抱き上げようとした。


桜庭は彼の意図を理解し、一瞬呆然とした。


ここ数年、社内では彼女と小早川の関係は暗黙の了解となっていた。


しかし、小早川は人前では常に距離を置いていた。


「Oh my God, what happened here?」


驚きながらも美しい女性の声が響いた。


桜庭はハッと我に返り、小早川の背後にいる女性を見た。


金髪碧眼、雪のような肌。ネットで見たことがある顔だ。


アリス・キャンベル――小早川城の婚約者。


「社長!」桜庭はすぐに身を引いた。


「ちょっと手を切っただけです。自分で処置します!」


そう言うと、山本彩の腕をつかんで無理やり立ち上がった。


小早川の腕の中は空っぽになった。


桜庭の左手からは粘り気のある血の粒が、ぽたぽたと彼の眼前に落ちていた。


「山本さん、病院まで…」


「わかった!車はすぐ下に停めてある!今すぐ連れてく!」


山本彩は泣きそうになりながら答えた。


桜庭は礼を言うと、まるで逃げるように営業一課を後にした。


会社から1キロも離れていない場所に病院があった。


山本は猛スピードで車を走らせたが、信号に阻まれ、10分かかってようやく到着した。


桜庭は道中ずっと無言で、顔は恐怖で青ざめていた。


彼女の頭にはただ一つの思いがよぎった。


こんなに出血して、どうか子供に影響がありませんように。


救急外来に着くと、看護師はガラスの深さを見て麻酔が必要だと言った。


桜庭は山本を一旦外にやり、看護師に首を振った。


「麻酔は結構です」


「でも、とても痛いですよ?」


「大丈夫、我慢できます」


消毒、ガラス片の除去、縫合。


痛みによって時間が無限に引き伸ばされたように感じた。


桜庭はただ静かに涙を流し、一度も声を上げなかった。


(そうか…午後、小早川が自分で車を出したのは、婚約者を迎えに行くためだったんだ)


(車の中の私のものを全部片付けておいて正解だった)


(アリスさんは、写真や動画よりずっと美しいな)


(小早川のくそ野郎、いい目をしてやがる)


彼女は痛みに耐えながら、心の中でそう呟いた。

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