「シンディ、お前の新しい継母と異母妹だ」
そう言って父から愛人を紹介されたのは、私の母であるバラデュール侯爵夫人が亡くなって数日後の事だ。
我が王国では宗教上、「三十日間は亡くなった魂のために祈る」と決められており、静かに故人を偲ぶ期間とされていた。
その期間が明ける前に後妻を迎えるなど、教会の教えに反している。再婚は“慶事”として扱われ、三十日の祈りの後でなければならないとされているのに。
そもそも、亡くなって一週間後には教会で故人に祈りを捧げるミサが行われるのだから……呼ぶのはその後じゃないかしら。
まだそれすら終わっていないにもかかわらず、後妻を入れるなんて……。
満面の笑みをたたえている二人の女性。目尻は釣り上がり、私を見下しあざ笑っていた。既に父の視線も私ではなく、隣にいる二人へと注がれている。
本当に不思議に思う。
父にはあの下品な笑みが見えていないのだろうか……きっと見えていないのよね。「やっと二人を屋敷に呼べた」と言わんばかりの満足そうな表情を浮かべているもの。
ひとつため息をつきたくなるが、貴族としての矜持がそれを許さない。
「よろしくお願いいたします」
まあ、これから一緒に暮らすのだ。良好な関係を保てるのならそれで良い。
私は二人へ頭を下げる。けれども、相手はニヤニヤと笑みをたたえるだけで、私に何を言う事もなかった。
そこから私の生活は一変した。
侯爵家にいた使用人の大部分は入れ替えられ、愛人の言う事を聞く使用人たちが屋敷を闊歩するようになる。彼らは異母妹に媚を売りたいがために、愛人や異母妹の命令を忠実に実行し始めた。
私の部屋のクローゼットにあるドレスは二着を残して全て持ち去られ、装飾品も全て愛人と異母妹が取っていく。
それどころか――。
「お前は今まで良い部屋で贅沢に暮らしてきたのだ。異母妹に譲りなさい」
と父に言われて、私は屋根裏部屋に押し込まれてしまう。
幸いだったのは、母に忠誠を誓っていた執事長と侍女長以外にも数人屋敷に残っていた事だろうか。
彼らが私のために、埃っぽい屋根裏部屋を内緒で掃除をしてくれた。だが、数日後それを知った愛人によって彼らも辞めさせられてしまったのだ。
執事長も侍女長も、今は上に立つ人がいないから続けられているが……辞めさせられるのも時間の問題だ。
だから私は二人にいくつか指示を出した。
その後からは愛人の意向を汲む使用人しか訪れなくなった。
食事は固くなったパンと野菜の切れ端しか入っていない……使用人でも食べる事のないようなスープが一日一度。
しかもそれを返すのは自分で行わなければならず、使った物を下げに行けば遠巻きに陰口を叩かれていた。
「あら、侯爵令嬢がお盆下げですって?」
「あの方の婚約者様が見たら、失望なさるのではないかしら?」
婚約者、という言葉を耳にして私は少し肩が跳ねる。その様子を見た使用人たちは、面白がってどんどん私を貶していく。
「侯爵様は公爵家に直訴して、婚約者をクロイ様にすげ替えようとしているそうよ。クロイ様が侯爵家を引き継ぐのも時間の問題ね!」
「あ……そう言えば、クロイ様が『ニコラス様、格好良かったわ』と仰っていたわ」
「あら、もうクロイ様と顔を合わせているの?」
悪口を言い合っていた二人の話が気になったのか、通りかかった使用人が声をかけた。
「ええ。先に公爵令息様とクロイ様を会わせて、入れ替えを承認させようとしているそうよ」
「確かに、公爵令息様がクロイ様の味方につけば、上手くいきそうよねぇ〜!」
「私も見ていたけど、お二人の出会いの感触は良さそうだったわ!」
「そうよねぇ! クロイ様、可愛らしいですものね!」
ケタケタと笑う使用人たち。眉間に皺がよってしまう私。
その表情の変化が面白いのか、私が降りるたびに使用人はどこからか仕入れた話を披露するようになった。
それだけではない。
特にお風呂。汚れたタオルに水バケツのみ。
流石にミサに行く時はお風呂に入れたけれど、愛人の指示なのか……使用人は私の体を痛いくらいゴシゴシと洗う。そして髪を引っ張ったり、コルセットを強く締めたりして、何も言わない私で憂さ晴らしをしているようだった。
以前より少しみすぼらしくなった私を見て、父は鼻で笑う。
そんな馬鹿にするような父を見て私は悲しげな表情を浮かべたが、父の笑みはさらに深まるばかりだった。
ミサから帰宅した私は、蔑む表情で私を見る三人の前を俯き加減で通り過ぎた。
私の震える背中を後ろで見ている三人の、下品な高笑いが廊下に響き渡る。私が屈辱に打ちひしがれている事が、愉快で仕方がないのだろう。
屋根裏部屋に向かう途中、愛人の手が伸びている使用人たちの横を通る。すると彼らも、私をくすくすと見下すように笑っている。
「あら、あのお嬢様、もう見る影もないわね」
「本当よね〜。侯爵家から除籍されるのも、時間の問題かしら?」
「あはははは! 平民になったらどうなるのかしらねぇ?」
「見ものよねぇ〜」
途中からは私をこき下ろす声が耳に入ってくる。
ここで何かを言えば、あの者たちの思う壺だ。目から溢れそうになる涙を堪え、嘲笑に耐えながら、私は足早に屋根裏部屋を目指した。
屋根裏部屋へと入ると、私はベッドへと飛び込む。
感情が落ち着かないのだ。
ある意味、予想通りの展開であったのだが……実際に受けてみると、悲しみではなく怒りが込み上げてくる。
頭の中では三人のせせら笑いや、使用人たちの蔑んだ視線が渦巻く。
そうね。
もう少し、使用人が節度を弁えてくれたら。
もう少し、父が私の母と向き合おうとしていたら。
もう少し、愛人と異母妹が自分の立場を理解しようとしていたら。
それであれば私も……。
そこまで考えて、私はベッドから立ち上がる。
いいえ、「もしも」を語る時間はもう終わりだ。考えたところで、何かが変わるわけではないのだから。
常識を弁えずに愛人と異母妹を連れてきた時点で、家族としての最後の情すらも砕け散っている。
……私は、もう何もできない子どもではない事を、あの男に教えてあげませんと、ねぇ。
私は絵本のように、王子様が迎えに来るまで待つ事はしないの。自分の足で歩くのよ!