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第2話

 私が決意してから数日後の、月明かりが綺麗な夜の事。

 部屋の窓に何かがコン、と当たるような音が聞こえた。


 私は静かに窓の鍵を開けて周囲を見回す。すると、近くに一通の封筒が置かれていた。


 窓を閉めた私は、封筒を開けて文面を確認する。

 そこには、見覚えのある……お祖父様の字が並んでいた。私を気遣う言葉と、反撃のための手立てがそこには書かれている。


 今回連絡を取ったのは、母方のお祖父様だ。

 最近は連絡を取れておらず、お祖父様の字が懐かしく感じる。だからだろうか……私の目からは涙が溢れていた。

 しばらくして涙が止まった私は、窓から見える空を見つめた。

 そこにはほぼ丸い形の月がぼんやりと浮かんでいる。まるで私を応援してくれているようだ。


 決行は明日の夜。


 私は明日の夜から、反撃の狼煙を上げるのだ。



 翌日。


 使用人が扉をノックする音が聞こえた。

 食事を扉の前に置く合図である。私はベッドへと潜り込み、わざと咳をしながら、扉の奥にいる使用人へと声をかけた。


「今日、夜の水桶は持ってこなくて良いわ。体調が悪いの。明日までそっとしておいてくれる? 食事のお盆は元気になったら下げるから」


 そう告げると、扉の前にいた使用人は「分かりました」と言って下がる。その言葉に笑いが篭っていたから、きっといい気味だ、とも思っているのかしら。


 しばらくすると、廊下をドスドスと……はしたなく歩く音が聞こえる。

 眉間に皺を寄せているとその音は扉の前で止まり、甲高い声が扉の外から聞こえた。


「異母姉様! 体調を崩したのですって?!」


 まるで私の体調不良が嬉しいかのように楽しげに話す異母妹。


「じゃあ、明後日までは使用人を来させないようにしておくわ! ゆっくり休んでね、異母姉様。あ、そうそう。今日はニコラス様もうちに来るのよ! 異母姉様の代わりに私がお相手するわ。ニコラス様、私の事を好きって言ってくださったの! ニコラス様を取ってしまってごめんなさいねぇ、異母姉様」


 私の返事を聞く事なく、決定事項のように言いたい事を言って去っていく異母妹。耳障りな音がなくなった事に胸を撫で下ろした私は、ふとニコラス様の事を思い出した。


 私の婚約者であるニコラス様。


 公爵家の次男で、私の幼馴染でもある一個上のお兄様。


 私たちの代には王族がいないため、婿入りする婚約者としては一番の優良物件だなんて言われていたわ。最初聞いた時、ニコラス様を物件に例えるのもどうかと思ったけどね。

 侯爵家で一人娘の家はいくつかあったけれど、その中でも我が家を公爵様は選んでくれて……本当に嬉しかったのを覚えている。


 あのニコラス様が、まさか私の異母妹に……?


 いや、そんなはずはないと私は思った。


 私とニコラス様の婚約は早々に決定したので、幼い頃から共に過ごしてきている。

 長年彼と寄り添ってきて、私は彼の優しさを、真面目さを、一番よく知っているのだ。妹の言葉など、きっと私を陥れるための嘘に違いない。


 そう言い聞かせようとしても、胸の奥には拭いきれない不安がよぎった。


 ……だめね、今の私は悪い方向へと思考が偏ってしまっている。


 異母妹の言葉も、愛人の息がかかっている使用人たちの言葉も、ニコラス様を外から見た姿にしかすぎない。ならば、ニコラス様から話を聞くまで決めつけてはならないはずよ。


 ……でも、落ち着いたら問い詰めてもいいわよね?


 そして決行の夜。


 私は屋根裏部屋に置いてあったロープを念の為ベッドの下へと置いておく。ここは二階だ。もしかしたら、ロープを使って降りるのかもしれない、そう思った私は一応準備をしておいた。

 途中誰かが来るかもしれないと焦った。しかし私の体調が悪いと聞いたからか、異母妹が喚いたあとは誰もここには来ることがなかったのは幸いだった。


 月が空の天辺まで登った頃、窓に何かが当たる音がした。見ると、そこにはローブで顔を隠した男性らしき人たちがいる。

 私が窓を開けると、一人の男性が手を差し出してきた。私はその男性に手を差し伸べると、手をグッと掴まれ窓の外に引っ張られた。


 もう一人の男性が、人差し指を口に当てる。私は無言で頷くと、彼は私に背を見せる。付いてこい、という意味だろうか?


 隣の男性に視線を送ると、彼は首を縦に振った。私は足音を立てないように、屋根の上を歩く。


 そして屋根の端にたどり着いた時、私の体が持ち上がった。私と手を握っていた男性が、お姫様抱っこで私を抱えたのだ!

 何が起きているか分からないまま、彼は私を抱っこしたまま屋根から降りる。私が混乱しているうちに、いつの間にか外に出ていたらしく、気がつけば動く馬車の中で、一人座っていた。


 屋敷が遠ざかっていく。


 少し胸が痛んだけれど、私はまたバラデュール侯爵家の者としてここに戻って来るのだ。その時までに色々と壊されていないといいな、と思う。


 ゆらゆらと心地よい揺れに、私の緊張の糸はプチン、と切れたらしい。いつの間にか眠っていた。


 ふと目が覚める。

 馬車の中は薄暗い。


 窓に付いているカーテンを上げて外を見ると、丁度目の前に日の出が見えた。優雅に昇ってくる陽に私は目を奪われる。その光は私の苦境を照らすような、美しい光だ。


 私はしばらく陽が昇るのを見続ける。陽が全て顔を出すと、私はカーテンを下ろす。

 今回脱出に協力してくださった方々……多分お祖父様の部下の誰かなのだろうけれど、助けてくれたお礼は伝えたい。そう思って御者席に繋がる小窓へと近づき、手を掛けた時――。


 御者席には二人座っていた。

 その左側に座っていた男性のローブがふわりと風で揺れ……端正な顔が現れる。


 非常に美しく、凛々しく、整った顔。

 見覚えのある顔に私は固まった。


 私が小窓の縁に手を掛けたまま呆然としていると、私がこちらを見ていることに気がついた彼は花が咲いたように顔をほころばせた。


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