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第3話

「何故貴方がここにいるでしょうか?」


 私に気がついた彼は、御者席から私の座っている座席へと入ってくる。私は彼の顔を見て、開口一番に声を上げた。


「ディーに触れるのは、この先も僕一人だからさ」


 目の前には婚約者のニコラス様。

 ニコニコとそう言ってのける彼に私は頭を抱えそうになる一方で、愛称で呼んでくれるニコラス様に安心する。どうやら手を握っていたのも、お姫様抱っこをしていたのも、ニコラス様だったらしい。


「だからと言ってあんな危ない事を……」

「意外と鍛えてるから大丈夫さ。 君のお祖父様にも了承を得ているから心配しないでよ」

「お祖父様まで……?」


 頭の中で、グッドサインをしているお祖父様が思い浮かぶ。お祖父様、少々お茶目なところがあるのよね……。お祖父様のお墨付きなら問題ないのかもしれないけれど、嬉々として許可を出していそうだわ。


「公爵様にはお伝えしているのですか?」

「もちろん、言ってあるよ。母上からは『愛よねぇ〜! 思う存分ぶちのめしてきなさい!』って言われているし、兄上からは『骨は拾ってやろう』と言われているから問題ないさ」

「義兄様……骨は拾わないでくださいませ……そこは止めてくださいませ……」

 きっと公爵様は二人に押されて、認めざるを得なかったのでしょう……落ち着いたら謝罪へ行かなくては。

 それよりも、今私はニコラス様に聞きたい事がある。


「あとお聞きしたい事がありまして。屋敷にいる時、使用人が『異母妹とニコラス様の顔合わせがあった』と小耳を挟んだのですが」


 私の言葉を聞いた途端、先程まで美しい笑みだったニコラス様の表情が変わる。

 顔から一切の感情が消え失せ、不快感をあらわにしていた。今までお会いして、こんな表情は初めて見る。いつも微笑んでいた方だったから――。

「ああ、あの女か。自己紹介後にすぐベタベタ触れてきてさ。吐き気がしたね。貼り付けた笑みが崩れて眉間に皺が寄りそうになったよ……それを嬉しそうに愛人は見ているし、あの男もニコニコしてこっちを見ているし……全く忌々しい。あの三人は表情を読む力すらなさそうだな」


 こんなに嫌悪を露わにしているニコラス様を初めて見るわ。

 やはり三人は貴族としての体裁すら整っていないのね。

 私はその時ふと異母妹の言葉を思い出した。

 気分を悪くさせるかもしれないけれど、一応この事も聞いてみようかしら……?


 悩んでいると普段のような優しい笑みを見せるニコラス様。

「ディー、もし何か聞きたい事があるなら、教えて?」


 そう言った彼に、私は恐る恐る訊ねる。

 きっと心配性の彼のことだ。私が頭を悩ませていたら、ずっと気を遣ってくれるだろうから。

「あ、あの……異母妹が『ニコラス様、私の事を好きって言ってくださったの』と言っていたのですが……?」

「……ああ、あれか」


 私の言葉を聞いて、ニコラス様の声色が更に低くなった。

 その時の事を思い出しているのか……瞳の奥には憤怒の炎が宿っているようにも見える。


「あれは向こうが『私の事好きですか?』と聞いてきたから、『まあ……(肥溜めよりは)、まあかな』って言っておいた。今となれば肥溜めの方が役に立つよね。何の役にも立たないじゃないか、あの三人は」


 私はニコラス様の言葉に顔が引き攣りつつも、頷いた。

 元々お腹の中で色々と溜めている人なんだろうな、と思っていたけれど……ここまで毒舌な方だとは気がつかなかったわ。まあ、でも私もニコラス様の言葉に賛同している時点で、私もこの方と同じなのでしょう。

 ニコラス様は私の表情が少し変化したことに気がついたらしい。申し訳なさそうな顔で訊ねてくる。


「ごめんね、ディー。こんな話を聞かせて。幻滅したかい?」

「いいえ、毒舌っぷりに驚きはしましたが……私もニコラス様と大体同じように考えておりましたわ。それに……貴方様の素を見せてくださったのかと思うと……嬉しくて……」


 言いながら頬が赤らんでしまう。私だって、ニコラス様の事を慕っているのだから。

 私の言葉にニコラス様は少し目を見開いている。そして私の言葉の意味を理解したニコラス様は、今までにないほどの美しい笑みで私を魅了した。


「そう思ってくれるなんて、嬉しいよ!」


 その言葉と同時に私は温かい何かに包まれる。目の前にはニコラス様の服が……あ、私……抱きしめられている……?

 「駄目ですよ」と声をかけようとして、私は思い直した。今は馬車の中。誰が見ているわけでもないのよね。

 それに……この温もりが私の心を安心させてくれるから。


 ――我儘かもしれないけれど、もう少しこのままでいたいわ。


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