尾上雅子の顔は、今にも涙がこぼれそうなほど険しく曇っていた。
どんな女性でも、突然、他人に結婚生活の裏に隠された醜い真実を暴かれたら、平静ではいられないだろう。
長年守り続けてきた表向きの平穏が一瞬で壊れ、まるで鋭い刃物で心臓を突き刺されたような痛みだった。
だが、早川遥には自身と尾上の夫が無関係だと説明する権利がある。
写真はどれもあまりに鮮明だった——車内でのキス、尾上の夫の手が佐藤双葉の服の中に伸びている様子…… それだけで、すべてが明白だった。
「何が目的なの?」
雅子は感情を必死に押し殺して尋ねた。夫の浮気相手を処理した経験はあったが、遥のように直接乗り込んでくる相手は初めてだった。
遥は口元に薄く微笑みを浮かべる。
「目には目を、歯には歯を。それだけです。このUSBに写真は全部入ってます。ご自由にお使いください。今のご主人の資産なら、離婚の交渉材料にして財産の半分を取るのも難しくないでしょう。」
USBを押し出す遥を、雅子は冷ややかに見つめた。「私がいつ離婚するって言ったの?」
遥は業界内で噂を耳にしていた。
尾上家は離婚寸前で、雅子が夫に暴力を振るわれ、しばらく外出できなかったことも周知の事実だった。
今、これだけの証拠があれば、雅子が夫の口座を調べるだけで、佐藤双葉に贈られた車やバッグ、宝石の出所はすぐに分かるはずだ。
遥は何も言わずに微笑み、雅子の胸中にさらなる不快感を残した。
「あなたのこと、甘く見ていたわ」
雅子は深く息を吸い、気持ちを落ち着かせると、「あなた、藤木さんと何かあったの?」
「ええ。彼女がやったことを、私のせいにしたんです。そのまま飲み込むつもりはありません。」
「私があなたの思い通りに動くとは限らないでしょ?」雅子はじっと遥を見つめた。
遥は肩をすくめる。「尾上さんじゃなくても、田中さんや山本さん……誰かしら我慢の限界でしょう。」
雅子は佐藤双葉の大胆さに呆れた。「この写真、あなたが撮ったの?」
「同じ部署ですから、毎日顔を合わせます。たまたま見かけて、念のため証拠を押さえただけです。いつ使う日が来るか分かりませんから。」遥は淡々と答えた。
雅子は目を閉じ、深く息を吐く。
「もう帰って。」
遥は立ち上がり、この顧客とはこれきりだと理解しつつも、損はないと感じていた。
数歩歩いたところで、背後から雅子のかすれた声が聞こえた。
「もしあなたなら、どうする?」
「女性を相手にしても意味がありません。問題の根は男の方にあります。藤木さんがいなくても、また誰か現れる。お金を取った方が、女を攻撃するよりずっと賢いですよ。」
雅子は乾いた苦笑を漏らした。その声には、歳月を感じさせる疲れが滲んでいた。
「あなた、若いのにしっかりしてるわね。私があなたくらいの年齢の頃は、愛さえあれば何でも乗り越えられると思ってた……バカみたいでしょう?」
「尾上さん」
遥は少し間を置き、言葉を選んだ。
「愛のために勇気を持つのは、誇れることだと思います。私は現実的なだけです。この世界で私は何も頼るものがありません。誰かにすべてを預けてしまったら、何も残らない。人を深く愛する勇気もないし、誰かに全身全霊で愛される重みも背負えません。だから、ある意味で尾上さんを羨ましいと感じます。少なくとも、あなたは全力で愛したことがある。」
雅子は黙ったまま、肩を小さく震わせていた。しばらくは一人にしておいた方が良さそうだった。
遥は目的を果たし、簡単な仕事だけ済ませて帰ろうと考えた。
休憩スペースを出たところで、思いがけず高橋時生が見知らぬ女性を抱いてフロントにいるのを見かけた。
アミも男性客の対応はするが、エリアは別だ。彼はどうやら新しい恋人を連れてきたようだ。
遥はその女性をちらりと見たが、見覚えがなく、確かに“新顔”らしい。妙なことに、高橋時生は彼女をしょっちゅう替えるのに、悪い噂が全く立たない。
高橋時生も遥に気づき、にやりと笑った。「こんなところで会うなんて、偶然だね。」
彼は腕の中の女性を離し、フロントに「この方にVIPダイヤモンドカードを出してあげて」と指示した。
遥は驚いた。このカードはアミの中でも最上級で、年会費も高額、さらに豪華な特典まで付く。自分にはとても手が出せないものだ。
隣の女性の表情が一瞬で変わり、不満そうに時生を見上げた。
時生はその頬を優しくつまみ、「誤解しないで。彼女は友人の女の子だから」と言った。
フロントのスタッフは笑顔で手続きに入った。
遥は呆れて、「高橋さん、そこまでしていただかなくても……」と言った。
「アミは姉の店だから、気にしないで」
時生は気軽に答え、鳴り続ける電話に出た。「急かすなよ、今行くから」
電話を切ると、遥に「SPAが終わったら、上に来てよ。俺たち、上にいるから」と言った。
そう言うと、隣の女性の肩を軽く叩き、「待ってるよ」と軽い調子で言った。誰が聞いても、その親しげな雰囲気は明らかだった。
女性の機嫌は一気によくなり、遥への警戒も消えて、今度は親しげに腕を絡めてきた。
「お名前は?」
「早川遥です。」
「私は吉田玲奈。」
遥は初対面の人に腕を組まれるのは苦手だが、玲奈は全く気にする様子もなく、えくぼを浮かべて明るく笑った。
「よく来るの?」
「いいえ、今日は仕事でお客さんに会いに来ただけです。」
時生の特別な計らいで、二人はVIPルームに通された。
玲奈はとても人懐っこく、遥がどんな反応でも気にせず、話し続けていた。
遥の頭の中には、時生に「上に来て」と言われたことが引っかかっていた。
深沢陸も一緒なのだろうか?この偶然の遭遇が多すぎる気がする——
「えっ、その首どうしたの?」玲奈は遥の首筋のあざをじっと見て、驚きと興味の入り混じった目を向けてきた。
遥は「ストーカーに首を掴まれて、警察に相談しました」と説明した。
玲奈は息を呑み、「今の世の中、本当に物騒だよね。女の子は気をつけなきゃ。あ、ところでお仕事は?」
遥が三原ホテルで働いていると知ると、玲奈は目を丸くした。「三原ホテルの方だったんだ。てっきりモデルさんかと思っちゃった。」
遥は微笑むだけで、それ以上は何も言わなかった。
玲奈も空気を読んで、それ以上は時生との関係について深く詮索しなかった。遥は目を閉じて、マッサージの心地よさに身を任せる。施術が終わると、玲奈に強引に誘われて上階へ向かった。
そこで初めて、アミの上が高級スポーツジムになっていることを知る。
中に入ると、ちょうど更衣室から深沢陸と時生が出てくるところだった。二人の目線が空中で交差した。