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第23話 更衣室での駆け引き


早川遥が初めて深沢陸のスポーツウェア姿を見たのはこの時だった。彼は眼鏡を外し、額には汗止めのヘッドバンド。まるで大学生のように若々しい。

そのギャップに、遥は思わず立ち尽くしてしまった。


高橋時生はすでにこちらに気づき、吉田玲奈に手を振る。二人はすぐに寄り添い合う。

「玲奈、着替えに行く?」高橋は額に軽くキスをする。

「うん、ちょっと待ってて!」玲奈は遥に手を振り、足早に更衣室へ向かった。


遥と陸の目が合い、遥は気まずそうに視線を逸らす。

だが、陸はじっと彼女を見つめている。その目には、どこか不機嫌そうな色が浮かんでいた。

「まあまあ、そんなに見つめてたら、穴が開いちゃうよ」

高橋が茶化して場を和ませ、遥に声をかける。

「遥も着替える?」


タイミングよく、スタッフが新品のテニスウェアを差し出した。

玲奈は手慣れた様子で高橋の専用ラウンジへ。

遥はその場で少し戸惑いながらウェアを受け取る。

「こちらへどうぞ」スタッフが丁寧に別のラウンジの扉を開けてくれた。


部屋は驚くほど広く、まるでスイートルームのようだ。

すりガラスで仕切られたバスルーム、大きなベッド、バルコニーからは東京のランドマークが見える。

遥がクローゼットを開けると、男性用のスーツとシャツが掛かっていた。

そっと顔を近づけると、見覚えのある清々しい香り──陸のものだ。

ほっとして、ウェアを持ってバスルームへ入る。

だが、肝心のテニスウェアのデザインが……何とも言い難い。


ピンクのショートスカートにタイトなトップス、まるでチアガールのような可愛らしさ。

中学生以来、ピンクなんて着ていない。それに、サイズも合っていない。

少し動くとトップスがずり上がり、胸元がきつくて苦しい。

これでテニスなんて無理だし、まるで妙な誘惑をしているみたいじゃないか。

後ろ姿を鏡で見ようとしたその時、不意に息を呑む──

いつの間にか陸が部屋に入っていて、ベッドに座り、無言でこちらを見ていた。


遥は胸を押さえ、不満そうに言う。「ちょっと、驚かせないでよ」

彼女が必死に距離を取ろうとする様子が、妙に生き生きとして見える。

陸は口元をわずかに上げた。

「サイズが合うか見てただけ。ちゃんとドアも開いてたし」

彼が開いたままのドアを指す。

確かに音はしなかったし、すりガラス越しに問い詰めるのも気が引ける。

「心の中で俺のこと悪く言ってるだろ?」陸がズバリと言い当てる。

「そんなことないよ」遥は反論するが、

「どうかな」陸は容赦なく言い返す。

遥は思わず目を見開く。


陸はベッドに手をつき、どこか余裕のある仕草で遥を眺める。

「でも……その格好、なかなか悪くない」

ピンクは肌が白くないと似合わないが、遥の肌は透き通るように美しい。

他の人に見せるのは気が進まない。

遥は内心、こんなことを平然と言うなんて、二人の関係を考えれば別にどうでもいい、と思った。

問題は、高橋たちがまだ外で待っていること。

もし陸がその気になったら、困るのは自分だ。

「サイズ合わないし、ピンクは好きじゃない」遥は咳払いして言う。

彼女のクローゼットはいつもモノトーンで、アクセサリーも上品なパールが多い。

顔立ちは派手ではなくとも、見飽きることのない端正さだ。

陸は、つい見入ってしまう自分に気づく。


彼が少し身を乗り出し、「こっちへおいで」と声をかける。

遥がベッドのそばに行くと、陸は彼女を抱き寄せ、顎を肩に乗せた。


「今日は仕事じゃなかったの?」

「顧客に会いに来たの。美容サロンは奥様たちに話を聞いてもらうのに最適な場所だから」

「それで高橋と鉢合わせか」


陸は、同じ香水を身にまとった遥の香りを嗅ぎ、なぜか心が和らぐ。


遥は彼のぬくもりと息遣いを感じ、逃げようとしたが、陸にベッドへ押し倒される。

「スタッフに、サイズの合うのを持って来させる」

遥がうなずいた瞬間、陸はわざとらしく「俺が脱がせてやろうか?」と囁く。

遥が気づいた時には、もう遅かった。陸の手が服の中に伸びてくる。


「何してるんだよ!」高橋の声がドアの外から響いた。

二人の動きが止まる。

陸は喉を鳴らし、ぼそっと悪態をついて、遥の服を直してやる。「待ってろ」

そう言ってドアに向かう。


遥は思わず陸の服の裾をつかんだ。

陸が見下ろすと、遥の白くて細い手が彼の服を握っている。

「そのまま出て行ったら……またからかわれるよ」

陸は自信たっぷりに「逆に自信なくすんじゃないか」と言ってのけた。

遥は唖然とする。まさかこんなことを言うなんて。

高橋がまたドアを叩く。「陸、終わった?」

「うるさい、あっち行け」陸がぶっきらぼうに返す。

「へいへい、わかりましたよ!」

高橋は笑いながら去っていった。茶々を入れられ、二人とも気持ちが切り替わる。


スタッフがすぐに、ぴったりサイズの普通のテニスウェアを持ってきた。


遥はそれを持って浴室へ向かい、パチンと部屋の電気を消した。

暗闇の中、陸が「今さら隠しても遅いんじゃない?」と呟く。

「着替えるだけだし、見てもしょうがないでしょ」遥はぶつぶつ言いながら、素早く着替え、髪をまとめて出てきた。


「簪、持ってこなかったのか?」と陸がふいに尋ねる。

遥は気軽に答える。「高そうだったし、使う場面もないし。約束したでしょ」

──関係が終わったらお互い干渉しない、という決まりのことだ。


陸はそれ以上何も言わず、遥が鏡の前で髪をきゅっとまとめるのを見つめていた。

ふいに、彼の手が彼女の背中に滑る。

遥は思わず身をよじる。

陸は楽しそうに「くすぐったい?」と聞く。

「ちょっとだけ」遥は負けず嫌いに背筋を伸ばす。

「もういいよ、行こう」

陸がドアを開ける。

「顧客の件、うまくいった?」

「まあ……残ってた問題は片付いたかな」


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