もともと高橋時生は「もうやめよう」と思っていた。藤木真実が場をかき乱すのを見るくらいなら、さっさと解散した方がマシだとさえ感じていた。ところが、西谷勇太が口を開くと、急に面白そうな展開になりそうで、少し興味が湧いてきた。
さっきまで深沢陸の目にあった気遣いは、早川遥のそっけない口調に触れて徐々に消えていき、いつもの近寄りがたい雰囲気に戻った。
西坂弘也は特に気にしていなかった。彼にとっては、誰とテニスをしても同じことだ。
練習相手がコートを下りると、西坂弘也が自分の方へ歩いてくるのを見て、早川遥はなぜか少し緊張した。西坂弘也にはどこか圧を感じてしまう。きっと、みほの騒動がまだ完全に片付いていないせいだろう。
正直、さっき試合を続けると返事したことを少し後悔していた。
しかし、西坂弘也は真剣な顔で、彼女のフォームを見て眉をひそめた。
「そのフォーム、腰を痛めやすいよ。」
そう言いながら、手で軽く彼女の姿勢を直してみせた。
早川遥は素直にうなずいた。「分かりました。」
コートの向こう側で深沢陸は無表情だったが、彼をよく知る者なら、このコントロールできない空気が彼の苦手なものだと分かるだろう。
「深沢くん、私たちも一緒にやらない?」
藤木真実が、わざとらしく親しげな声をかけてきた。
誰もが深沢陸が断ると思ったが、彼は無言でラケットを取り、コートの反対側へ。目つきは氷のように冷たい。
高橋時生は思わず口笛を吹きそうになり、吉田玲奈の手を引いて端へ退いた。「これは面白いことになりそうだな。」
早川遥は西坂弘也には少し距離を感じていたが、深沢陸にはむしろ気楽だった。だが今回は初めて彼と敵側に立つ。少し複雑な気持ちがあった。
それでも、彼女の視線はすでに藤木真実にロックオンされていた。
西坂弘也は、二人の間に漂う妙な空気など気にも留めず、さっさとサーブを打った。
しばらくは互角の戦いで、どちらも相手にボールを返す隙を与えなかった。
吉田玲奈は水筒を抱え、興味津々で高橋時生にもたれながら聞いた。「ねえ、どっちが勝つと思う?」
高橋時生は苦笑した。質問が絶妙だ。彼らが別のチームになった時点で、「勝っても負けても微妙」な試合になっている。
「それは分からないな。」
一方、西谷勇太はもう女の練習相手の方に声をかけに行っていた。
高橋時生がそちらをちらりと見ると、吉田玲奈がふとつぶやいた。「スタイルなら、早川さんの方がずっといいのに。」
確かにその通りだ。高橋時生は、初めて早川遥と伊藤裕久を見かけた時のことを思い出す。あの時、彼女の男を見る目は大丈夫かと本気で思ったものだ。伊藤裕久なんて、男として論外だった。今はすべてが元に戻ったが。
彼は吉田玲奈を見下ろして言った。「玲奈も、男選びはしっかりしろよ。じゃないと、俺が心配になる。」
吉田玲奈の笑みは一瞬固まったが、すぐに彼の意図を察した。
この関係も、もう終わりが近いと分かっている。
彼女は彼の首に腕を回し、キスをしてその寂しさを隠した。
そうだ、高橋時生みたいな男が、一人の女のために立ち止まるわけがない。
コートでは、早川遥がついにチャンスをつかみ、強烈なショットを相手側へ打ち込んだ。落ちた場所はちょうど藤木真実のところだった。
藤木真実は悲鳴を上げて尻もちをつき、信じられないという目でにらみつけた。「本気で私に打ったの?」
早川遥は西坂弘也とハイタッチして勝利の瞬間を喜んでいたが、その声を聞いてネット越しに振り返り、無邪気な調子で返した。
「ごめんなさいね、佐藤さん。わざとじゃないですよ。コートではボールに目なんてありませんから。」
その口調が、まるで藤木真実の普段のわがままそのもの。高橋時生はそれを聞いて、思わず爽快な気分になった。
「やっと彼女をやりこめる人が現れたな。」
実のところ、高橋時生は藤木真実の小細工など気にも留めていなかったが、彼女がしつこくまとわりつくのにはさすがにうんざりしていた。
深沢陸と一緒にいると、彼女も子供の頃から彼に付きまとっていたせいで、彼まで巻き込まれてしまうのだ。
今日は彼女がコケる姿を見られるなら、むしろお金を払ってもいいくらいだ。
早川遥は藤木真実が反論する前に、さっさとサーブを続けた。
彼女は心の中で、もし深沢陸がここで藤木真実をかばうようなことをしたら、すぐにでも彼と距離を置くつもりだった。恩は返せても、「あざとさ」には耐えられない。
藤木真実も、その気配に気づき、ひどく腹を立てながら自分でボールを拾って、ルールも無視して彼女に打ち返してきた。だが、一度やられた早川遥が同じ手に引っかかるはずもない。
軽やかにかわしながら、にっこり笑って言った。
「藤木さん、今度は狙いが外れましたね。」
そう言った途端、彼女は表情を引き締め、再びサーブを打った。
試合が進むうちに、深沢陸と西坂弘也はむしろ出番がなくなり、早川遥による藤木真実への「ワンサイドゲーム」となっていった。
藤木真実は負けが込んでますます取り乱し、早川遥はほどほどのところで切り上げ、汗をぬぐいながら声をかけた。
「佐藤さんも疲れたでしょうし、ここまでにしましょう。遊びなんですから、無理しなくていいですよ。」
彼女は汗びっしょりになり、シャワーを浴びて帰ろうと考えていた。
吉田玲奈は面白いものを見たとばかりに、早川遥の腕を取った。
「一緒に更衣室に行こうよ?」
「時生が、このあとご飯行こうって。」
「私はいいや。夜は授業があるから。」
「えっ?もう社会人なのに、授業も受けてるの?」
「社会人になっても、学ぶことはたくさんあるから。」
より良い仕事のために、いくつも語学のクラスに通い、資格の勉強もしている。自分がスタートラインが低いことをよく分かっている分、努力だけが唯一の武器だと思っている。
それすら怠れば、もし見放された時に泣く場所すら分からなくなるから。