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第35話 彼のまなざしはあまりにもよそよそしかった


「あなたのせいよ!わざと私を陥れたんでしょ!」


佐藤双葉は叫びながらバッグを早川遥に投げつけようとした。だが、小林雪が素早く異変に気づき、後ろから彼女を引き止めた。


「誰か、手伝って!」


数人の男性社員が慌てて駆け寄り、佐藤双葉を押さえたが、彼女はなおも早川に飛びかかろうと必死にもがく。


「早川遥、覚えてなさい!絶対に許さないから!」


早川遥は周囲の同僚たちの奇異な視線を受けながらも、落ち着いた口調で、しかしはっきりと言った。


「噂話は賢い人なら相手にしない。自分の行いを反省せずに他人のせいにしないで。もし私がやったと本気で思うなら、警察に行ってIPでも調べたら?」


そう言って彼女は冷ややかに笑った。


「それに、グループではすでに社内フォーラムで私を中傷した犯人があなたと特定されている。私に何かするつもりなら、いつでも警察に行っていいわ。でも、私が被害を受けた名誉毀損について、こちらも正式に弁護士を通じて訴えるから。」


同僚たちは驚き、しばらく言葉を失った。佐藤双葉が普段から陰口好きなのは知っていたが、ここまでやるとは思っていなかった。

そして普段はおとなしい早川遥が、いざとなるとここまで毅然とした態度をとるとは──警察だ訴訟だと、これじゃもう誰も軽々しく手出しできない。


これこそが早川遥の狙いだった。見せしめにしなければ、誰もがキーボード一つで他人にレッテルを貼れると思ってしまう。


佐藤双葉は完全に呆然としていた。こんなにも堂々と言い返す人間は初めてだ。「そんなに強気で、悪者だって言われるのが怖くないの?」


そのとき、鈴木蓉子がオフィスから出てきて、騒いでいる佐藤双葉を見てすぐに警備員を呼び、荷物をまとめてすぐに出て行くよう命じた。


本来なら、社員を辞めさせる場合、人事部が対応して最低限の体面は保つものだ。しかし、ここまで騒ぎになれば、佐藤双葉はもう東京で働き口を見つけるのは難しい。どの会社も、素行の悪い人間は雇わない。


去り際、佐藤双葉は早川遥を睨みつけ、彼女のデスクの前を通るとき小さな声で言い捨てた。「社長に気に入られてるからって、好き勝手できると思わないで。どうせ彼に遊ばれただけの女よ。そのうちあなたも転落する日がくるわ。そのときは、私よりもっとみじめな思いをするでしょうね。」


早川遥は、深沢陸の力を借りて出世しようなどとは思っていない。たとえ本当に「転落」する日がきたとしても、彼には関係ない。こうした無力な怒りは、彼女にとっては見慣れたものだった。


「行くよ、会議。」早川遥は資料を手に取り、きっぱりと佐藤双葉に背を向けた。


小林雪が彼女に追いつき、親指を立てて言った。「今の、めちゃくちゃカッコよかった!惚れ直しちゃうよ、ホント!」


「吉田楽々が今夜帰ってくるから、会議終わったら空港に迎えに行こう。」


小林雪の目が輝いた。「食の女神が帰ってくる!絶対にご馳走してもらわなきゃ──もう二週間もサラダばっかりで、草食動物になりそうだった。」


会議後、二人は会社の駐車場へ向かった。車に乗る前、早川遥が念入りに車の周りを確認し、小林雪も一緒にチェックした。「特に問題はなさそう。ほんと、アンタもついてないよね。ダメ男元カレに、意地悪な同僚、今じゃ車に乗る前に毎回チェックしなきゃいけないなんて。」


この車は後で西尾優一が届けてくれたものだ。早川遥はドアを開けながら言った。「たぶん今年は厄年なんだろうね。」


小林雪がシートベルトを締めながら話す。「そういえば、伊藤の件、まだ判決出てないんだよね。警察に面会に行った?最近、伊藤の奥さんがあちこちでコネ使って、旦那と息子を何とか出そうと必死らしいよ。」


早川遥も伊藤家のことは気にかかっていた。もし本当に逃げられたら、伊藤裕久はきっと自分を許さないだろう。


「どこで聞いたの?」


「たぶん上層部から漏れたんだろうね。給湯室で誰かが話してたよ。風向きが変われば、一番最初に知るのは役員秘書だし。」


その話を聞いて、早川遥は少し安心した。もし本気で伊藤家を助けるつもりなら、こんな噂は外に出ないはずだ。


渋滞を抜けて空港に着くと、二人は到着ロビーへ向かった。立ち止まった瞬間、記者たちが大勢押し寄せてきた──VIP出口から現れたのは、深沢陸を先頭にした一行だった。


小林雪が隣でぼそっとつぶやく。「神様は深沢社長にどんな試練を与え忘れたんだろうね?どう見ても人生の勝ち組じゃん。」


深沢グループの後継者は彼一人。兄弟姉妹もおらず、親も大企業同士の結婚で、すべてのリソースが彼に集中している。だから彼が動くだけで、記者が殺到するのも当然だ。


早川遥は人波の中にいる深沢陸を見つめた。彼の冷ややかな視線が一瞬自分に向けられたが、その目はまるで他人を見るようだった。あの夜の記憶も、今では夢のように遠い。


そのとき、肩をぽんと叩かれた。吉田楽々がサングラスを外し、東京の季節に合わないヘソ出しトップス姿で、髪も新しい色に染めていた。彼女は早川遥の頬にいきなりキスをして、「遠くからでも二人の美女はすぐ分かったよ!」


小林雪と吉田楽々はすぐにおしゃべりを始め、三人で腕を組んで出口へ向かった。吉田楽々が急に言った。「今日、深沢社長も帰国したんだよ。私の隣の席だった。さっきもこっちをちらっと見てたよ。」


小林雪は驚いた。「知り合いだったの?初耳なんだけど。」


吉田楽々は眉を上げて言う。


「私は知ってるけど、向こうは覚えてないかも。学生の時、彼は私より二学年上だったし、その後R国でイベントがあったとき、私から声かけたら、冷たく『用があるならアシスタントに連絡して』って。」


彼女は大げさに目を回す。「ああいうタイプ、金がなかったら一生彼女できないんじゃない?」


小林雪は気にせずに言う。「あの顔なら心配いらないでしょ。それより今夜何食べるか決めようよ。」


「それもそうだね!」吉田楽々は早川遥の車に乗り込み、駐車場を出た直後、空港を後にしたばかりの深沢陸の車列を見かけた。小林雪はうらやましがりながら、吉田楽々に留学中の出来事を話した。


「なにそれ?伊藤ってやつ、まだ嫌がらせしてきたの?最低!」吉田楽々の声が一気に大きくなる。


「もう捕まったから大丈夫。せっかくの再会なんだし、あいつの話はやめよう。」早川遥が慌てて話をまとめると、吉田楽々もうなずいた。「そうだね。ちょうどレストランから招待が来てるから、今夜はそこで食べよう。」


吉田楽々と一緒なら、どんなに予約困難な店でも大丈夫だし、ご馳走もしてもらえる。


市内に入るころ、早川遥のスマホが震えた。小林雪がさっと手に取る。「メッセージ来てるよ。」


早川遥は、てっきり鈴木蓉子からかと思い、「誰から?」と聞いた。


小林雪が画面を見て、目を輝かせる。「この前LINE交換した人!今どこにいるかって。」


早川遥は一瞬驚いた。「放っておいて。」


小林雪はすぐに茶化す。「絶対なんかあるでしょ!」


吉田楽々も化粧ポーチを置き、「そうそう、何かあって当然じゃない?どんな人なのか見せてよ。」


早川遥はスマホを取り返し、ふと顔を上げると、さっき空港で見かけたあの車が、今まさにレストランの前に停まっているのが見えた。

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