霧の中で鐘が鳴った。
清らかな教会の鐘の音とは似ても似つかない、どこか澱んだ音だ。きっと軽く石を当てただけでも、その音が濁っていることは想像に難くない、そんな鈍い響きだった。
太陽はもはや地の底に姿を隠し、湿気を充満させるために立ちこめたかのような厚い雲が星々を退ける。濃紺と灰色の空の下、王都アルセリオはかつての栄華を失い、亡霊と成り果てていた。
──王都が亡霊になるものかと笑った者もかつてはいたが、今はその声もない。
王都すらも亡霊になる。それをまざまざと突きつけられ、人々は言葉を失い、嘔吐する者すらいた。その結果、今やここに、輝かんばかりの生気を放つ存在はなにもない。
死が蠢いていた。
苦悶し、嘆き、尽きて果て、腐敗した体が、霧に取り巻かれると同じくしてその肉を跳ねさせる。やがて腹底に溜まっていたガスが喉を揺らし、まるでうめき声を上げながら起き上がると──血肉の歓喜を求めて都を這いずった。
その中を一人の少女が歩く。足首まで隠した黒のメイド服に凛とした目線、規律正しい所作。あたたかな太陽の下で彼女を見かけたのであれば、間違いなく厳しい戒律のもと躾られた良家の子女であり、現在は行儀見習いで労働に身をやつしているとも思えたかもしれない。
しかし衿を彩る銀の徽章が、少女をまるで兵士のように印象づけていた。
その傍らには紳士が立つ。
美しく整えられた貴族の装束に身を包み、沈黙のまま彼女の隣に立つ男。蓄えられた口ひげは一切の揺らぎも見せず、威厳を示して整えられ──正気を疑うその眼差しは、見る者の胸に奇妙な畏怖を刻んだ。
不意に、風が走る。
周囲を蠢く死人達の頭部と首は、ぬるりと切り離されていた。
「お見事です、ご主人様」
少女が静かに讃える中、紳士はいつの間に抜き放っていたのか、腐った血の付着した剣を握っていた。
汚れた剣を受け取り、少女は刀身を磨き上げる。
──死人達の首が転がる深夜にしては、些か神々しすぎる所作だった。
すべての血曇りを拭き取り、少女は紳士の提げた鞘へと剣を納めて顔を上げる。
「ええ、そうですね。ご主人様のお望み通り、エルマはたとえ死んでも、あなた様のお傍を離れません」
まるで機会音声のように感情のない言葉が少女──エルマの唇から落ちた。
返事はない。鼻で笑うことも、一瞥することすらなく、紳士は霧の中を歩きだした。
エルマは視線を落とし、それに従う。
夜明けはまだ遠い。陽が昇る前に、少なくともこの近隣の掃除をし終えなければ主人の命令を果たせないことを理解し、エルマは闇の奥で蠢く者を睨みつけた。