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第10話 あなたはもう子供を産めない

親子鑑定の報告書は、まるで毒を塗った刃のように愛理の心をかき乱していた。

この一枚があれば、杏子を完全に追い詰め、二度と立ち上がれないようにできる。


知弘は、もう自分のものも同然。幸田家の奥様の座は、すでに自分のために用意されている。


愛理は心の中の計算を瞬時に隠し、従順で柔らかな表情を作って知弘を見上げた。

「知弘さん……」


知弘の視線が彼女の顔にしばらく止まり、どこか探るような眼差しでゆっくりと口を開いた。

「愛理…」


「はい、私です。」

愛理の心の奥に、密かな優越感がよぎる。彼はようやく、彼女を仁香の影ではなく、一人の存在として認識し始めたのだ。

この顔は知弘を惑わせるための道具だが、同時に彼女は姉の影から抜け出し、唯一無二の存在になりたかった。


知弘は手を伸ばし、ひんやりとした指先で愛理の頬の輪郭をなぞった。

「本当にそっくりだ……君を仁香として見ればいいのか?」


「知弘さん……」愛理は控えめで怯えたように、かすかに呼びかけた。


「俺のことは知弘と呼べ。」

低く、抗えない命令のような声だった。

「これからは、そう呼ぶことを許す。」


愛理はそのまま彼の胸元に身を寄せ、頬を高級なスーツの生地に押し付け、羽のように軽い声で囁いた。

「うん、知弘。私はずっとあなたのそばにいる、永遠に。」


◆ ◆ ◆


冷たい手術台、まぶしい光。


杏子の意識は麻酔の余韻に漂いながら、遠い夢の中へと落ちていった。


時が巻き戻り、緑があふれる山の頂へ。風が葦の原を揺らし、サラサラと音を立てる。


彼女は膝を抱えて座っている。背後には、鋭い目つきの少年がじっと彼女を見つめていた。


それはまだ幼い知弘だった。


彼は小石を拾い、彼女のそばの草むらへ投げた。虫たちが驚いて飛び立つ。


「おーい!」

彼は大きな声で呼んだ。「君、名前は?」


杏子は振り向きもせずに、「教えたくない」と返す。


「でも、君と友達になりたいんだ。」

少年の声はまっすぐで、どこか強引だった。


ついに杏子は振り返り、髪先に光を受けて微笑んだ。

「だったら、私のことは“妖精さん”って呼んで。」


知弘は一瞬きょとんとしたが、すぐに明るく笑い出した。

「ハハハ、ちょっと変だけど……君なら似合うよ!」


その日は、特別に陽射しが明るかった。


彼は彼女と一緒にコオロギを捕まえ、蝶々を追いかけ、柔らかな草で不器用に指輪を編んだ。


それは笑い声と無邪気さで満ちた、何の曇りもない時間だった。


「ほら、つけて。」

知弘は草の指輪を彼女の細い指にはめ、強気で真剣な口調で言う。

「これからは、僕のお嫁さんになってもらうよ、妖精さん。絶対に外しちゃだめ!」


「たった一本の草で私をもらうつもり?」

彼女は指を揺らしながら、いたずらっぽく笑った。


「大人になったら、一番大きくて一番輝くダイヤの指輪にしてあげる!」

少年は胸を張り、まっすぐな瞳で約束した。


二人の澄んだ笑い声が山の斜面に響きわたる。

けれど、時は流れ、その約束を交わした少年の面影はもうどこにもない。


◆ ◆ ◆


二日後、杏子のまぶたが重くゆっくりと開いた。


鼻を刺す消毒液の匂い。


意識は沈んだ船のようにゆっくりと浮かび上がり、激しい痛みが彼女を一気に現実へ引き戻す。


とっさに体を起こそうとした瞬間、腹部に裂けるような痛みが走る。それでも杏子は必死だった。

「直樹……直樹は……」


その時、扉の方から冷笑を含んだ女の声が響いた。

「たかが一人の子供に、よくそこまで執着できるわね。あんな子で知弘の心がつなぎ止められるとでも?」


杏子は声の方を振り向き、瞳が大きく見開かれる。

「坂倉愛理……」


仁香とうり二つのその顔を見るたび、杏子の胸には嫌悪と不快感が這い寄る。この女がまともな相手でないことは、すでに明らかだった。


「もちろん、あなたの様子を見に来たのよ。」


愛理はハイヒールを鳴らしながら優雅に近づき、唇の端に冷たい笑みを浮かべていた。


「ついでに、いい知らせを持ってきたわ。もうすぐ幸田家の奥様の座は私のもの。姉の代わりに、知弘が愛する唯一の人になるの。」


「あなたなんかに?」


杏子は声を枯らし、憎しみを込めて言い返す。

「その盗んだ顔で?」


「そうよ。」

愛理はあっさりとうなずき、さらに意地悪く微笑んだ。

「それに、私はちゃんと知弘の本当の子供を産めるわ。あなたはせいぜいその子と一緒に生きていくしかないわね。もしかしたら、知弘の気分次第では、その子さえも捨てられるかもしれないわ。」


「ふざけないで!」

杏子は怒りに震え、体が勝手に震え出す。


「本当に知らないの?」

愛理は身をかがめ、杏子の青白い顔に顔を近づけて、はっきりと言い放つ。

「あなたは卵巣を摘出されたの。もう二度と子供を産むことはできないわ。卵を産まない鶏なんて、男が誰も欲しがるわけがないでしょ?」


杏子は雷に打たれたように呆然とし、無意識に平らなお腹を押さえる。そこには、どうしようもない空虚な痛みが広がっていた。


子供を産む能力を完全に失った?


その事実が氷水のように全身を貫き、血の気が引いていく。


愛理は杏子の絶望を見て、ついに声を上げて笑い出した。その笑いは、がらんとした病室に響き渡り、耳に刺さるようだった。

「杏子、勝つのは私よ!直樹の存在も絶対に許さない。あなたも、その子も、消えてもらうわ!」


「直樹に手を出したら許さない!」

杏子は目を見開き、ベッドから飛びかかろうとするが、激痛に体を釘付けにされて動けない。


愛理はゆっくりと体を起こし、見下ろすように冷たい目で杏子を見つめる。

「知弘の本当の息子は、あの子じゃない。わかった?」


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