「彼女の血液型は?」
幸田知弘の声は張り詰め、反論を許さない響きだった。
「RHマイナス、極めて稀少な血液型です。」医師が素早く答える。「大量出血のため、すぐに輸血をしなければ命に関わります。」
「俺がそうだ。」知弘は一切迷わず、袖をまくり上げる。「俺の血を使え。」
「分かりました、こちらへ。」
医師が案内しようとしたそのとき、廊下の向こうから急ぎ足の音が響いた。
ICUの方から、看護師が駆け込んできた。
「杏子さん!急いで!直樹くんの容体が非常に危険で、至急輸血が必要です!」
杏子の胸が一瞬で凍りつく。「直樹……」
「彼も同じくRHマイナスです!」看護師の声は絶望に満ちていた。「在庫が……全然足りません!」
杏子ははっと顔を上げ、知弘をじっと見つめた。
彼の血だけが、二人を救える――でも、今彼が向かうのは愛理の元だった。
「知弘さん!」杏子は恐怖と懇願で声を歪めながら叫んだ。「直樹はあなたの息子よ!たった一人の子供なの!まだ幼いの、耐えられないわ!お願い……お願いだから先に直樹を助けて!ほんの少し、少しだけでいいの!」
彼女は必死で彼の腕を掴もうとした。
知弘は一瞬だけ足を止め、冷たい目で杏子を一瞥すると、そのまま歩みを進める。
「知弘!」杏子はその場に崩れ落ち、冷たい床にひざまずき、両手で彼のズボンの裾を必死に掴んだ。
「あの子は私たちの唯一の息子なのよ!私はもう……もう子供を産めない!何も残っていないの、直樹しかいないのよ!お願い、お願い、助けて……!」
「じゃあ、愛理はどうする?」知弘の声には何の感情もなかった。ただ冷ややかに彼女を見下ろすだけだった。
「仁香の妹が、自分の息子より大事なのか?」
杏子は乱れた髪で顔を上げ、真っ赤な目に絶望と懇願をにじませる。
知弘の目には一瞬だけ揺らぎが浮かんだが、すぐに氷のような冷たさに変わる。
彼は杏子の手を容赦なく蹴飛ばし、「彼女の命の方が大事だ。」と冷たく言い放った。
「やめて――!!」杏子の悲痛な叫びが廊下に響く。
そのとき、廊下の端から小林が厳しい表情で駆け寄ってきた。
彼は知弘の前で立ち止まり、封印された書類を差し出す。「社長、親子鑑定の結果が出ました。」
知弘はそれを乱暴に奪い、肝心の一行を目で追う――
「幸田知弘は幸田直樹の生物学的な父として排除されます。」
知弘の全身から、怒りが爆発する。周囲の空気が凍りつき、まるで地獄の底から現れた鬼のようだった。
杏子はその気迫に一瞬すくみ上がり、すぐに何かを察すると、証明書を奪うように手を伸ばした。
「そんなはず……そんなはずない!」彼女は冷たい文字を睨みつけ、震える体で首を振り続ける。「直樹はあなたの子よ!間違いないわ!この結果は……」
「よくやったな、杏子。」知弘の怒号が雷鳴のように響く。彼は杏子の髪を乱暴に掴み、顔を上げさせた。「俺にこんな恥をかかせるとは!」
「直樹はあなたの子よ……ああっ!」
皮膚が引き裂かれるような痛みが走る。
「前からお前と江藤修一の関係が怪しいとは思っていた。」知弘は恨みを込めて吐き捨てる。「やっぱりな。お前は一度も俺を失望させたことがない!」
杏子はとうに心も体も限界だと思っていたが、この瞬間、胸が鈍い刃物で抉られるような痛みを感じる。
「私の全てを疑ってもいい。でも、直樹のことだけは……あなたへの、この哀れで滑稽な想いだけは……この鑑定は嘘よ!」
「小林の仕事を疑うのか?」知弘は冷ややかに笑う。
その瞬間、杏子はふっと愛理の歪んだ笑顔がよぎる。
「愛理よ!彼女が証明書をすり替えたのよ!」と叫ぶ。「あの女が目覚めた途端、私への勝利宣言をしにきたのは、最初から仕組まれていたのね!」
「ふん。」知弘の冷笑は氷のようだった。「杏子、お前は本当にどうしようもない女だな。坂倉家まで悪者にする気か?」
「一度でいい、私を信じて……」
「俺が一番の過ちだったのは――」知弘の声は怒りと悔恨で震えていた。「お前に情けをかけて、あの子を産ませたことだ!」
彼は杏子を力任せに床に叩きつけ、ピカピカの革靴で彼女の指を容赦なく踏みつける。骨がきしむ音が響いた。「その子はもう、死ぬのを待つしかないな!」
知弘は迷いなく踵を返し、拳を固く握りしめながら採血室へ向かった。
さっきまであの子のために迷いがあった自分が、今はただ馬鹿らしかった。
「知弘――!!!」杏子の絶叫が廊下に響き渡る。
彼は一度も振り返らなかった。
杏子は呆然とその背中が消えるのを見つめ、絶望に飲み込まれそうになる。
彼女は勢いよく顔を上げ、隣で焦る看護師にしがみつくように叫ぶ。
「私の血を使って!私も……RHマイナスなの!」
「無理です、親子同士では直接の輸血はできません。」
杏子の心はその瞬間、凍りついた。どうしよう、私の子を助けて……!
その時、看護師の声が杏子を現実に引き戻す。
「杏子さん、急いで来てください!輸血してくれる人が現れました!」
その言葉を聞いた瞬間、杏子の胸に希望が一筋の光となって差し込んだ。