幸田家の祖母が直樹の心臓病を知ったとき、居ても立ってもいられず、高橋家にすぐ連絡をとり、五千万円もの大金を振り込んだ。それはすべて直樹の治療費として使うようにとの意図だった。
だが、この命を救うための金は、すべて理恵の手元に収まり、直樹の医療には一円も使われなかった。
「理恵……」明は手をもみながら、どこか迷いのある声で言った。「せめて……杏子に二千万円くらい渡したらどうだ?直樹は俺の孫だし……」
「何?情が移ったの?」理恵は冷ややかに横目で彼を見た。
「いや、ただ……もし幸田家が後でこの金の行方を調べるようなことがあったら、俺たちじゃ責任を負いきれないんじゃないかと思って……」
理恵は鼻で笑い、余裕の表情を浮かべた。
「心配しなくていいわよ。私が飲み込む以上、万全の準備はしてある。幸田家の祖母はもう年で、毎日念仏、家こもって世間のことには関心がない。それに、知弘は杏子親子のことなんて眼中にないし、誰がこの五千万を気にするっていうの?」
明は深いため息をついた。「でも……どうしても子供が苦しむのを見ていられない……」
やはり、血のつながりには逆らえないのだ。
だが高橋家では、理恵が家計を完全に握っていた。もともと高橋グループの財務担当だった彼女は、明と結婚してからはさらに会社も家も金の流れをすべて手中に収めていた。明でさえ、彼女には頭が上がらない。
理恵が強硬な態度を崩さないのを見て、明は黙るしかなかった。
幸田家の別邸——
リビングにはわずかに消毒液の匂いが漂っている。知弘は病院から帰宅したばかりで、険しい表情を浮かべていた。
彼は、うなだれて立つ小林を鋭い目で睨みつける。「親子鑑定はお前が全て担当したはずだ。それなのに、なぜこんなにも結果が食い違っている?」
「社長、私……どこでミスがあったのか、本当に分かりません。ご本人と坊ちゃんの髪のサンプルは自分の手で検査機関に届けましたし、報告書も期日通りに受け取りました。その間、特に変わったことは……」
知弘は突然、テーブルの上のカップを手に取り、小林の足元に投げつけて叩き割った。「もう少しで、こんなデタラメな報告に騙されて直樹を見殺しにするとこだった!」
「申し訳ありません!すべて私の責任です!」
「すでに調査を始めている。背後で糸を引いている奴が誰なのか、絶対に見つけ出して、地獄を見せてやる!」
「社長、どうかご信じください!私は決して裏切りません!」小林の声は震えていた。
彼は知弘が直接引き上げた人なので、裏切るはずもない。
二階の廊下の陰で、愛理は息をひそめて階下のやりとりを聞いていた。胸の奥が冷たく沈む。
まさか、知弘がこんなに早く鑑定の異常に気づくとは……。
状況がだんだん把握できない感覚に、愛理は焦りを感じた。
早く証拠を消さなければ。絶対に自分に辿り着かせるわけにはいかない——
小林が退出したのを見計らい、愛理は表情を整えて階段を下り、何事もなかったかのように声をかけた。
「知弘、おかえりなさい。」
知弘はソファに沈み込み、額に深いしわを寄せて、上着のボタンを苛立たしげに外す。
愛理は彼の背後に回り、そっと肩に手を置いた。「疲れたでしょ?マッサージしてあげる。」
「ああ……」知弘は目を閉じたが、眉間の緊張は解けない。頭の中には、血だまりに倒れる杏子の青ざめた顔が浮かんで離れない。
あの女がしたことは絶対に許せないはずなのに、なぜいまだに彼女のことを思い出すのか。
——いや、まだ足りない。もっと苦しめてやらなければ。
そう自分を戒める。
その時、温もりのある手がそっと胸元から腰に滑り落ち、指先が確かめるように下腹部へと伸びていく——
「愛理。」知弘は目を見開き、彼女の手首をしっかりと掴んだ。
愛理は顔を上げ、無垢そうな瞳で見つめる。「ただ……脚もみでもして、疲れを取ってあげようと思っただけ……」
彼が何か言う前に、愛理はじゅうたんの上に膝をつき、彼の両脚の間に座り込んだ。細い指でふくらはぎを軽く叩き、身をかがめる。
その姿勢で、少し開いた襟元から白い肌がのぞく。
マッサージをしながら、愛理はわざと小さく揺れ、時折ちらりと下腹部に視線を投げてから、はにかんだような、しかしどこか挑発的な微笑みを浮かべて見上げた。
——自分の最大の武器は、仁香そっくりのこの顔。
男なんて、所詮欲望に負ける生き物なのだから。