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第64話 誘う

ちょうどそのとき、知弘の声が玄関から聞こえてきた。「何をしているんだ?」

彼が部屋に入ってくると、三人の女性が睨み合っている場面に出くわして驚いた。


「知弘!」仁香は彼を見つけると、まるで頼りになる存在を見つけたかのように、今にも泣き出しそうな顔で駆け寄った。「やっと帰ってきてくれたのね……」


知弘は彼女の隣に行き、優しく背中を叩いて安心させると、鋭い視線を杏子に向けた。

「何を見てるんだ?」杏子は肩をすくめた。「私は何もしていないわ。」


知弘は次に愛理を見た。その眉間には深いしわが寄っていた。

仁香がいなかった間、確かに彼は愛理を傍に置いていた。

だが今となっては、もう価値がない。


知弘の冷たい一瞥に、愛理は心底凍りついた。彼の瞳にはもうかつての情は一切残っていなかった。

仁香が戻ってきた今、自分は無慈悲に捨てられるのだろうか?


「坂倉家に戻るように言ったはずだが?」知弘の口調は不機嫌そうだった。「なぜまた来た?」


仁香が慌てて弁解した。「私が呼んだの。戻ってきてから、まだ家族に会っていなくて、気になって。」

「言ってくれれば、俺が手配したのに。」


「あなたは仕事で忙しいから、こんな小さなことで邪魔したくなかったの。」

「君のことは、小さなことなんてない。」知弘は淡々と答えた。


この様子を見て、愛理は嫉妬で気が狂いそうだった。

どうして仁香だけが、これほどまでに知弘に愛されるのか。

自分の何がいけないのか!


「私が愛理を送っていくわ。」仁香は優しく言った。「ご飯を作ってあるから、後で食べてね。」


そう言いながら、親しげに愛理の手を取った。「行きましょう。」

愛理は仁香の真意を測りかねたが、姉妹の仲睦まじい様子を装うしかなかった。


二人は一緒に外へ向かった。


「姉さん」と愛理は声をひそめて言った。「杏子があなたの最大の敵よ。絶対に油断しないで。私にできることがあれば、何でも言って!私たちは本当の姉妹、一心同体だもの!」


「ええ、本当の姉妹よ。」仁香はその言葉を特に強調して、「私が一番信じているのは、もちろんあなた。」

「姉さんのためなら、何も惜しくないわ。」


「いいのよ。」仁香は微笑んだ。「これからはちゃんと知弘の側にいるから、両親のことはあなたにお願いするわ。」


「当然よ。あなたが幸田さんを支えてくれるだけで、坂倉家も鼻が高いし、両親もあなたを誇りに思ってるわ。」愛理は嫉妬を必死で押し殺し、笑顔を作った。


仁香はますますこの妹の底知れぬ思惑を感じた。

「そうだわ。」仁香は立ち止まり、バッグから小さな瓶を取り出した。「あなたにプレゼントがあるの。」

「プレゼント?」


愛理はその香水の瓶を見た途端、顔色がさっと青ざめ、思わず叫びそうになった。

それは、あの夜仁香に手をかけたときに使った香水と同じものだった!


「この香り、あなた好きだったわよね。前に一本あげたけど、そろそろ無くなったんじゃない?」仁香は香水を差し出した。「新しいのをどうぞ。」


「姉さん、これ……」愛理の声は震えていた。

「受け取って、たいしたものじゃないから。」


愛理の心は嵐のように乱れていたが、平静を装って受け取るしかなかった。「あ、ありがとう……姉さん。」

「どういたしまして。」


車に乗り込むと、愛理はその香水をぎゅっと握りしめ、指先が白くなるほどだった。

仁香はこれで何を伝えたいのか?


まさか……あの夜の犯人が自分だと、すでに気づいているのか?

それとも、偶然なのか?


愛理の手は震えが止まらず、今すぐ窓を開けてこの香水を投げ捨てたい衝動に駆られたが、できなかった。

もし仁香に香水のことを尋ねられ、無くしたと答えたら、さらに疑われるだろう。


仕方なく、彼女はそれを強く握りしめた。

香水の瓶はピンク色のガラス製で、巧みかつ重みがあり、使わなくてもドレッサーの上に置けば素敵な飾りになる。

仁香は車が遠ざかるのを見送った。


杏子を相手にするのは長期戦になる。なにしろ彼女は幸田家の夫人という立場があり、直樹も産んでいる。

だが、愛理には――

速攻で決めるしかない!


その香水の瓶の底には、修一の助言で極小型のチップを仕込んであった。

周囲の音声を録音し続けることができるのだ。


決定的な証拠は、これに託すしかない!その時が来たら、自分の手で愛理を刑務所に送ってやる!

今はまだ動きを悟られてはいけない……もし愛理がまた暴走して自分を傷つけたら困る。

今は、もっと大事なことがある――


深夜、書斎。

知弘はちょうど国際ビデオ会議を終えたところだった。そこへ、仁香がミルクを一杯持って入ってきた。


「知弘、お疲れさま。」彼女は優しく声をかけた。「ミルクをどうぞ。寝る前に飲むとよく眠れるわ。」

知弘は受け取って口元に運んだが、動きを止めた。


仁香はいつもこんなふうに細やかで、彼のことを気遣い、世話を焼いてくれる。

それに比べて杏子は――


彼を怒らせることばかりして、何かと対立してくる!

「知弘?」彼が飲まないのを見て、仁香は不思議そうな顔をした。


知弘は苛立ちを隠せず、適当に飲んでグラスを置いた。

疲れたように眉間を押さえる。


「疲れたでしょ?マッサージしてあげる。」仁香はごく自然に彼の背後へ回った。「私がいない間も、遅くまで仕事してたの?」


知弘は彼女の手を軽く叩いた。「君も疲れてるだろう。早く休みなさい。」

立ち上がろうとした知弘を、仁香が引き止めた。「待って、知弘。」

「ん?」


仁香は彼の前に立ち、そっと腰のリボンを解いて上着を脱いだ。

その下には、下着しか身につけていなかった!


知弘の目が一瞬暗くなった。「仁香、何をしてるんだ?」

彼は上着を拾って彼女に掛けようとした。


けれど仁香は受け入れなかった。「知弘、久しぶりの再会…。こんなに長く離れてたんだもの、私のこと、恋しくない?」

彼女は一歩前に出て、彼のたくましい腰にしがみついた。


「本当に、あなたが恋しかったの。」彼女の声はとろけるほど甘い。「私の願いは、あなたのそばでずっと一緒にいることだけ。私には、あなたしかいないの、知弘。」


知弘は上着を持ったまま、動きを止めた。

「あの夜、あなたはとても優しくて、情熱的だった……あの夜、私たちには子どもまでできたのよ……覚えてる?」


「覚えてない。」知弘の声は低く沈んでいた。「酔ってたから。」

仁香は期待を込めて見つめた。「今、もう一度……あの夜みたいにできるわ!」


「仁香……」

「知弘、私は自分のすべてをあなたに捧げたい。あなたに、私を独り占めしてほしい。私はあなたのものよ。」

仁香は背伸びして、彼の唇にキスしようとした。


知弘はわずかに顔をそらして避けた。

「知弘、あの子はいなくなったけど、私たちにはまた子どもができるわ。」仁香の声は誘うように響いた。「私を、ほしくないか?」


彼女はさらに近づき、知弘の手を取って自分の体へと導いた。

知弘は仁香を愛している。彼女は、彼の理性を失わせる自信があった。


それに、今夜は絶対に成功しなければならない!

そうしなければ、あの秘密がいつ暴かれるかわからないのだから――

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