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第69話 裏切者

知弘の目が鋭く光った。「それは罠にはめられたんだ。」


「罠?お前ほどの奴がそんな簡単に引っかかるか?筋肉ばっかりで頭はスカスカか?それとも坂倉家のあの姉妹に搾り取られて、体も頭もボロボロになったのか?」


未来の毒舌は止まらなかった。次から次へと容赦なく浴びせかける。


知弘の顔は暗く険しかった。彼は幸田グループの社長であり、幸田家の跡取りだ。こんなふうに面と向かって罵倒されたことなどなかった。


「未来」と杏子が慌てて彼女の袖を引いた。「今回は知弘のせいじゃなかったの、誤解だった。私は大丈夫。」


杏子は、未来が知弘を怒らせてしまわないかと心配していた。


「まだ彼の肩を持つのか?杏子、あんな男に命懸けで骨髄まで提供する価値があるの?結局、あいつは恩知らずの裏切り者じゃないか!」


「もう終わったことよ……」


「終わったって、あんたの人生でしょ!」


知弘が目を細めた。「未来、幸田家の養女って立場に甘えて、俺が手を出さないとでも思ってるのか?」


「やれるもんならやってみなさいよ!誰が怖いっての!」未来は喉を張って言い返した。「今すぐおばあさまに全部言いつけてやる!杏子に何をしたか、一つ残らず暴露してやる!」


未来は杏子のことが心配だった。


彼女は一真のことが好きだが、せいぜい心が傷つくだけで、一真は手を出すような男じゃなかった。


でも杏子は…?心も体もズタズタにされてしまった。


知弘は皮肉を返した。「いいだろう。おばあさまにも知ってもらえばいい。自分がどんな女を育てたか――一真のベッドに這い上がり、幸田家のルールを破って、挙句に逃げ出すような奴だってな!」


未来は一瞬、言葉を失った。


彼女は負けん気が強く、好き嫌いがはっきりしている。でも一真の件だけは、言い訳できなかった。


「私だって望んでしたわけじゃない!私も嵌められたの!私だって被害者よ!」


その時、扉の方から一真の冷たい声が響いた。「証拠は?誰が信じる?」


一真の姿を見て、未来は悔しそうに唇を噛んだ。


一真は冷ややかな表情で「こっちへ来い。くだらない騒ぎを起こすな」と言った。


未来は動かなかった。


「早く。」


未来は堪えきれずに叫んだ。「私はあんたの所有物じゃない!なんでそんなに偉そうに命令されなきゃいけないのよ!」


「なんでだって?」一真は眉を上げた。「俺の方が強いからだ。」


未来は悔しさに歯ぎしりした。


技術だけなら道場で一真と互角だったが、男と女では力の差が歴然だった。一真の身体は筋骨隆々で、片手で自分を持ち上げるほど。力で本気になられたら、どんな技も無力だった。


「女に手を挙げて何が男よ!」未来は怒鳴った。「幸田家の男は女相手にしか威張れないの?」


「俺が言ってるのは勝負の話だ。それ以外でお前に触ったことあるか?」


未来は知弘を指さした。「じゃあ、こいつは?」


「知弘はお前に手を出してないだろ。」


未来は言葉に詰まった。


話をすり替えるのが上手すぎる!


「もういいの、未来。今回は本当に誤解だったのよ」杏子が未来の手を握った。「私は大丈夫。ただ長風呂して寝ちゃって、ワインもこぼして……知弘は私が自殺でもするんじゃないかと勘違いしただけ。」


「真夜中に救急病院まで連れ込んで……こんな大騒ぎ?」


未来は納得いかない様子だったが、「今回だけは仕方ないとしても、昔のことが帳消しになるわけじゃないから!」


「彼は自分が悪いとは思ってない。いつも私が悪者。」


点滴がちょうど終わった。杏子はこれ以上関わりたくなかった。


「帰ろう」と言った。


知弘は杏子を冷たく一瞥して、そのまま背を向けて歩き去った。


一真は未来の手首をぐっと掴み、無理やり自分のそばに引き寄せた。


病院を出たとき、一台の車が急ブレーキをかけて止まった。「杏子!」


貴彦が車から飛び出し、真っすぐ杏子の元へ。「大丈夫か?どこか怪我は?血は?痛いところは?僕が揉んでやるから!」


その必死な様子と「揉む」という言葉に、思わず杏子は微笑んだ。


「何笑ってるんだよ!」貴彦はますます焦った。「頼むから何か言ってくれよ、心配で気が狂いそうだったんだ!」


「本当に大丈夫。怪我なんて一つもないわ」と杏子は言いながら、彼の前で軽やかにくるりと回ってみせた。「ほら、元気でしょ?」


「よかった……!」貴彦はようやく胸をなでおろした。「本当に心配したんだ。もし何かあったら、一生自分を許せない。杏子、自分のこともっと大事にしてくれ!」


杏子の目に、ふいに涙があふれた。


こんなふうに心から心配してくれる人が、どれだけ久しぶりだろう。


その温かさが、心の奥深くまでしみわたる。どんな苦しみや絶望にも耐えてきた彼女だが、こんな優しさには勝てなかった。


「あれ、杏子、どうして泣くの?」貴彦は慌てふためき、「泣くなよ、女の子の涙は宝石なんだから、そんな簡単に流しちゃダメだ!」


そう言われるほど、杏子の涙は止まらなくなった。


貴彦は必死に涙を拭ってやるが、拭いても拭いても止まらない。「杏子、覚えておいて。涙は、本当に価値のある相手のためにだけ流すもんだ。」


「……ありがとう」杏子の声は泣き声に詰まった。


その様子を見ていた知弘の顔は、鬼のように険しくなった。


彼は杏子をぐいっと自分の後ろに引き寄せ、鋭い視線で貴彦を睨みつけた。「貴彦、お前は本当にしつこいな!」


「杏子が自分の口で言ったんだ。俺とお前、どっちを選ぶか――彼女は俺を選んだ!だから、俺も彼女だけを選ぶ!杏子は俺のものだ!」


「俺を無視するつもりか?」


貴彦が何か言い返そうとした時、杏子がすっと彼の隣に立ち、知弘をまっすぐ見つめた。


「そうよ、私は貴彦を選ぶ!」杏子ははっきり言った。「知弘、あなたは権力も地位も手に入れたかもしれない。でも、人の心までは支配できない!」


知弘は愕然と杏子を見つめた。まさか彼女がこんなにもはっきりと貴彦の側に立つとは――。


その様子を面白がる未来は、堂々と拍手をしながら叫んだ。「いいぞ!津川様、最高!その度胸、気に入った!知弘をぶっ飛ばして、杏子の騎士になってくれ!」


知弘の目は、まるで人を殺すほどの勢いで未来に向けられた。


一真はすかさず未来の口を押さえた――これ以上火に油を注がれてはたまらない。


杏子は顎を少し上げた。「あの契約書、家に帰ったらちゃんと読み直すわ。知弘、私はもう決めたの。」


この結婚は、もう終わり。


知弘から離れるために。ボロボロの心を守るために。


そして――お腹に密かに宿った新しい命のために。


この子を産んで、幸田家とはきっぱり縁を切る。世界でただ一人、自分だけの大切な宝物として。

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