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第八話 売られた過去


佐藤奈々の箸が宙で止まり、数滴のスープがテーブルクロスに染みを作る。


山本玲は眉をひそめ、小野鈴をじっと見つめた。まさか自分の耳が間違っているのでは、と確かめるように——処女膜再生手術? そんな言葉が鈴の口から出てくるなんて。


「鈴、」玲の声は低く、詰問するような響きを帯びていた。


「私たちに隠してること、あるの?」


奈々が我に返り、「カン!」と音を立てて箸を茶碗の縁に打ちつけた。


「健太に無理やり言わせられたの? あいつ、頭おかしいんじゃない?」


小野鈴は首を振る。長い髪がサラリと頬を隠し、顔色は青白い。


「彼とは関係ないの。」小さく息を吸い込み、全身の力を振り絞るように、かすれた声で言った。「でも……彼が最初じゃない。」


空気が一瞬で凍りつく。


奈々と玲の視線が鈴に釘付けになり、驚きが無言のまま広がった。


湯気の立つ食卓も、押し寄せる寒気を払うことはできない。


「詳しく話して。」玲がようやく口を開き、真剣な口調で言った。


奈々の脳裏を、大学時代の思い出が駆け巡る。四年間、ほとんど一緒に過ごしてきた。


唯一離れていたのは、鈴がパリに留学していた数年間だけ。


「ちょっと待って、」喉が詰まる。「パリで?」


鈴はかすかにうなずいた。


玲の心が沈み込む。


鈴はこれまで一度もその話をしなかった。玲は最悪の想像をしてしまう。


「騙されたの?」


「違うの。」


鈴はもう一度息を吸い、数秒の沈黙が重く流れる。その一瞬が永遠のように感じられた。

やがて顔を上げ、虚ろな目でテーブルの一点を見つめながら、擦れた声で言った。


「自分で……売ったの。」


奈々が息を呑み、玲は無意識にテーブルクロスを握りしめる。


鈴が封じ込めてきた過去が、パンドラの箱をこじ開けたように溢れ出す。


——あの夜に、また引き戻される。

パリの晩秋、冷たい風がナイフのように吹き抜ける。

鈴は街灯の届かない影にうずくまり、涙はもう枯れ果てて、ただただ深い虚無だけが残っていた。


母親が節約して苦労して集めてくれた学費と生活費は、愛想のいい日本人ブローカーにすべて持ち逃げされた。警察に行っても、何の音沙汰もない。


日本に電話する勇気もなかった。母の声を聞いた瞬間、きっと自分が壊れてしまうと思ったから。


世界のすべてが凍りつくような寒さの中で膝を抱えていた時、一台の車が静かに近づいて止まった。


磨き上げられた黒い革靴が、鈴のかすんだ視界に映る。


背の高い男が街灯を背に立ち、彫りの深い顔立ちと底の見えない瞳をしていた。


彼は上質なハンカチを差し出してきた。


「泣くな。」低く、冷たい声だ。


異国の地で聞く馴染みの言葉に、あるいは極限の絶望が警戒心を消したのか、鈴は溺れる者のように、自分の身に起きたこと——騙し取られた二年分の学費と生活費、家族に言えず追い詰められていること——を途切れ途切れに話した。


黒澤征はしゃがみ込み、ハンカチは使わず、指先で鈴の頬を拭った。その指は乾いていて温かいが、どこか無機質な強さで鈴の顎を持ち上げ、無理やり街灯の光へと顔を向けさせた。


彼の視線は鈴の顔を品定めするように冷たく、鋭かった。


「俺についてこい。卒業まで面倒を見る。別れる時には金もやる。」


瞬時に、屈辱と恥ずかしさが鈴を包み込んだ。


でも、それ以上に現実は冷たかった——手持ちのお金はゼロ、頼れる人もいない、学業も絶望的。絶望の冷たさが、すべての迷いを消し去った。


あの凍えるパリの夜、見知らぬ男の冷たいまなざしの中で、鈴は自分の震える声を聞いた。


「……はい。」


こうして、冷たい取引が始まった。

鈴はパリで黒澤征に囲われるように、二年間を過ごした。


卒業後、約束通りの金を手にし、振り返ることなく逃げ去った。

あの二年間と男の名前を、記憶の奥底に封じ込め、もう二度と会うことはないと思っていた——


……


レストランには静寂が満ちていた。


鈴の語りは、錆びた鈍い刃物のように、空気を切り裂いていく。奈々と玲はしばらく黙ったまま、重すぎる事実を必死に受け止めていた。


「もういいよ。」やっと奈々が口を開き、少し声を震わせながら、テーブル越しに鈴の冷たい手首をしっかりと握った。「全部、もう終わったことだよ。」


どうして相談してくれなかったのか、隠していたことへの怒りなどはなく、ただ鈴への思いやりだけが胸を満たしていた。


玲は黙ってジュースを注ぎ、鈴の空になったグラスを満たした。


「手術のことは、心配しないで。」玲はいつもの落ち着いた口調に戻った。


「私と奈々が一緒に行くから。」

「そうそう、こんなこと大したことないよ!」奈々もすぐに続き、力強く言い切った。「健太に言わなかったのは正解だよ。」


健太は責任感は強いが、どこか男尊女卑の考えが根強い。このことは、きっと受け入れられないだろう。


鈴の一番の味方として、玲と奈々の気持ちは決まっていた。


玲は静かに息を吐き、気持ちを落ち着かせるように言う。


「それで……あの男とは、もう連絡取ってないよね? 彼も日本にはいないだろうし、これから——」


「また会ったの。」


鈴が力なく言葉を遮る。


奈々と玲の表情が凍りついた。


鈴の指がグラスを強く握り、関節が白くなる。


無理に笑みを作ろうとしたが、泣くよりも辛そうな表情だった。


そして数日間の出来事——健太の会社の大事なパーティーでの再会、昨夜の銀座のクラブ「左岸」での出来事——を細かく語り始めた。


玲と奈々の驚きは募るばかりだった。


「彼って、黒澤凛の叔父さんなの!?」奈々は思わず声を上げ、目を丸くした。


「……健太の会社、黒澤重工と組むしかないの?」玲の眉はますます険しくなり、不安でいっぱいの表情を隠せない。


鈴は額に手をあて、冷たい指先で支えながら言った。「今、あの人が何を考えているのか、本当に分からない……」頭の中は混乱し、もつれた綿のようだった。


「彼って、もう三十過ぎだよね? まだ結婚してないの? 恋人もいないの?」奈々は必死に考えをまとめる。


鈴は首を横に振る。


昨夜「左岸」の個室で、彼が耳元で囁いたあの熱い吐息——「今は誰もいない」。


一緒にいろと言いながら、すぐに「冗談だ」と言い直す。何が本当で何が嘘か、全く分からない。


「今は、焦らず様子を見るしかないよ。」玲はしばらく考え込み、慰めるように続けた。


「でも、あの人の前では絶対に取り乱しちゃダメ。昨日も言ってたけど、もし鈴が動揺してたら、健太に気付かれるのは時間の問題だよ。」


鈴の唇はきつく結ばれている。


「じゃあ、」玲はきっぱりと決断し、鈴の肩にそっと手を置いた。「体調が戻ったら、私と奈々で一緒に手術に行こう。」少し間を置いて、目を鋭くした。「その間に、私が黒澤征について詳しく調べてみる。知っておくべきことは全部知って、みんなで対策を考えよう。怖がらなくていいから。」


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