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第二十話 俺が直接、確かめる


小野鈴は足早に病院の地下駐車場へ向かっていた。胸の内は焦りでいっぱいだ。


広い地下駐車場。黒澤征は具体的な場所を伝えていない。エレベーターを降りてから、鈴は周囲をキョロキョロと見渡した。


その時、強烈なハイビームが彼女を照らした。光の先には見覚えのあるベントレー・ベンテイガが停まっている。鈴は慌てて駆け寄った。


車のそばに着くと、息を整える間もなく後部座席のドアを開けた。


黒澤が目だけで合図を送り、鈴は黙ってうなずき席に座った。ドアを閉める音だけが響く。


車内は広々としているはずなのに、黒澤と二人きりになると、圧迫感が消えることはなかった。


鈴はきちんと背筋を伸ばし、両手を膝の上に揃えてうつむいている。まるで裁きを待つ罪人のようだった。


「よく分かってるな。ちゃんと後ろに座るなんて、俺の習慣を忘れてないみたいだな。」


黒澤の声が響く。彼は鈴のこめかみの髪を指先で弄びながら、じっと彼女を見つめた。


「その格好は、好きじゃないな。」


鈴が着ているのは病院の患者服だ。本来はパジャマ代わりで、黒澤に「五分で来い」と言われ、着替える暇もなかった。


「ごめんなさい」と鈴は素直に謝った。


その様子を見て、黒澤は低く笑う。笑い終えると、彼は鈴の首筋を軽く叩いた。


「こっちに来い。」


鈴は躊躇したが、渋々黒澤の隣へ身を寄せた。


「それだけ?」


黒澤の声は一見穏やかだったが、そこには明らかな威圧感が滲んでいた。


逃げられない――そう悟った鈴は深呼吸し、何度も繰り返してきたように、黒澤の膝の上に跨り、腕を首に回した。


彼のあざけるような視線を見たくなくて、思わず目を閉じかける。だがすぐに、黒澤の厳しい声が飛んだ。


「目を閉じるな。こっちを見ろ。」


その低く重い声は、鈴の胸を締め付け、指先まで震えさせた。


仕方なく、鈴は黒澤と目を合わせる。


黒澤は鈴の頬を撫で、震えるまつげを眺める。「緊張してるのか?」


鈴は小さくうなずいた。


彼の指が鈴の唇をなぞる。


「高橋健太とこういうことはしなかったのか? 二年付き合ってたのに、前より下手になってないか?」


黒澤の意地悪な言葉に、鈴の頬は一気に熱くなった。思わず反論しかける。


「私と彼は……」


「俺が車の中でお前にどうしたか、覚えてるだろ?」


黒澤が遮り、もう一方の手で鈴の腰を軽く叩いた。


突然のその動きに、鈴は大きく身を震わせる。黒澤は満足げに、さらに一度「パチン」と音が響くほど強く叩いた。静かな車内にその音がやけに大きく響く。


封じ込めていた記憶と、黒澤のわざとらしい言葉が重なり、鈴の目元には涙が浮かんだ。


黒澤は泣きそうな鈴のまぶたにキスを落とし、「ちょっと触っただけで泣くなんて、甘いな。ただの戯れだろ、痛くもしてないのに」とささやく。


彼は耳元に息を吹きかけ、低い声で三つの言葉を囁いた。


鈴は唇をかみしめ、頭がぼんやりしていく。黒澤の言葉が心に突き刺さり、うまく声が出せなかった。


「いいよ、俺が直接確かめる。」


黒澤の両手が鈴の腰に回る――


鈴は黒澤とのやりとりで、ずっと劣勢だった。


意識が遠のいていく中、過去の記憶と今の現実が交錯し、現実感が薄れていった。


黒澤は時折、鈴を困らせるような質問をぶつけてきたが、もうほとんど耳に入らなかった。


どれくらい時間が経ったのか分からない。気付けば、鈴の手の中に何かが握らされていた。プラスチックの包装――


ぼんやりと視線を落とすと、自分が黒澤に後部座席で押さえつけられていることに気づく。


手を開くと、中にはコンドームのパッケージ。


これって――


「お前がやれ。」黒澤は鈴の手首を掴んだ。


鈴は思わず手を引こうとしたが、さらに強く握りしめられる。


黒澤は鈴の薬指の指輪を指でなぞりながら、「俺の子を産みたいなら、それもいいぞ」と囁く。


その言葉と動作で、鈴は一気に現実に引き戻された。手を震わせながら包装を開け、黒澤の指示通りに動く。


あまりの緊張に手元が震え、何度も失敗した。


黒澤は鈴の手首を優しく握って手伝いながらも、からかうのを忘れなかった。


「高橋健太、大したことないんだな? 前より反応が過敏じゃないか?」


……


真夜中の病院地下駐車場は、誰一人いない。不気味なほど静まり返っている。


周囲のセンサーライトも消え、車内は闇に包まれていた。


すべてが終わった後、黒澤は車内のライトをつける。


照明の下で、鈴は隅で服を直していた。患者服はシワだらけで、見るも無残な姿だ。


闇の中ならまだ自分をごまかせたのに、今やすべてを黒澤に見られている。屈辱感が増していくばかりだった。


「また泣きそうなのか?」黒澤はティッシュを一枚取り、鈴の目元にそっと当てる。「さっきはまだ泣き足りなかったか?」


これ以上、黒澤の言葉を聞くと本当に感情が爆発しそうで、鈴は必死にこらえた。


深呼吸してなんとか平静を装い、「黒澤さん、もう遅いので病室に戻ります」と言いながら、ドアに手をかけた。


その時、黒澤が背後から声をかけてきた。「怒ってるのか?」


鈴は冷たく答える。


「怒ってません。」


「そう、怒ってないわけじゃなくて、怒る勇気がないだけだろ。」


黒澤の声色は、どこか含みを持っていた。


鈴は心の中で苦笑した。誰だってさっきのことがあれば、平気ではいられない。黒澤は昔よりも、ずっと意地悪になった。


鈴はドアを開け、車を降りようとした。


その時また、黒澤が問いかける。


「俺たちのこと、あとどれくらい隠し通せると思う?」


鈴は何も答えなかった。


「来週、本当に婚姻届を出しに行くのか?」


その言葉に、鈴はとうとう堪えきれず、冷たく「関係ありません」とだけ言い捨て、ドアを強く閉めて立ち去った。


病室に戻り、冷静になると、鈴は自分の衝動を後悔した。


ここまで我慢してきたのに、あんなふうに反抗することはなかった。黒澤の気分を害したところで、何の得もない。


それから二、三日、鈴はずっと不安だった。黒澤がまた何か仕掛けてくるのでは、と気が気でなかったが、彼は姿を見せず、病院にも変わった様子はなかった。


高橋健太の新しいプロジェクトは順調に進んでいるようで、彼はすっかり忙しくなり、病院には鈴だけが残された。


それ自体に不満はなかったが、連日の疲労が体に溜まり、少ししんどさを感じていた。


土曜の朝、鈴はバスに乗って黒澤家へ桜子の語学レッスンに向かった。


バス停から門の前まで歩き、インターホンを押して開門を待っていた時、背後からエンジン音が聞こえた。


振り返ると、あの馴染みのベントレーが目に入り、鈴の心臓が強く打った。


数十秒後、助手席から一人の女性が降り、続いて黒澤も車から出てきた。


二人は並んで立ち、黒澤は凛々しく、女性は華やかで自信に満ちていた。


その姿を見て、鈴はあの日の電話を思い出した。


じっと二人を見つめていると、女性の視線が鈴に向けられ、値踏みするように眺められた。


「征くん、この方は?」


その親しげな呼び方に、鈴は思わず手を握りしめた。


なんて親密な呼び方――



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