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第6話 彼女は家政婦以下


彼女は、もし市場の動向について遅れをとっているからと断られるなら仕方ない、と覚悟していた。

しかし、表向きの理由では納得できない。

履歴書には全て記載してあるのに、それを気にするならなぜ面接に呼んだのか。


「会社の採用規則でして。ご結婚されていて、まだお子さんがいらっしゃらない方は、入社してすぐに妊娠・出産された場合、産休や育休で会社が人手不足になりますので……」

面接官は席を立ち、アシスタントに退室を促した。琴子は運が悪かったと思うことにして、資料をまとめて部屋を出た。


しかし、二社目も三社目も、ろくに話もできずに断られてしまう。

四社目、五社目に至っては、受付で「すでに採用枠が埋まっています」と言われ、面接すら受けられなかった。

やる気に満ちていた心も、一瞬でしぼんでしまった。


夕方、琴子は咲のマンションへ戻った。ドアを開けると、食事の香りが漂い、咲がチョコレートケーキを手に踊るようにやってきた。

「琴子、就職祝いよ!将来有名なデザイナーになって、あの時後悔させてやろうね!」


琴子は靴を脱ぐ手が止まり、気まずそうな表情を浮かべた。咲はすぐに異変に気づき、ケーキを置いて駆け寄る。


「どうしたの?」

「ケーキ、無駄になっちゃった。採用されなかったの」


琴子は無理に笑った。


「そんなはずないよ!面接までいけたら採用率は高いし、名門卒で賞も取ったのに、経験がなくてもポテンシャルは十分でしょ?あんな会社、見る目ないよ!」

咲はそう言い、琴子をダイニングに連れて行った。


「運が悪かっただけかも。来週月曜にあと二社面接があるし、焦らずに探すよ」そう言いながらも、白鳥美々は自分と同い年で部長なのに、自分は職すら決まらないことが頭をよぎり、落ち込まずにはいられなかった。


「で、来週の面接はどこ?」

咲は目を輝かせてケーキを取りに立ち上がった。


「尚品デザインと星築スペース。どちらも有名な会社だよ」


今日、立て続けに断られたせいで琴子は期待を持てずにいたが、それでも一縷の望みを捨てきれなかった。

咲はそんな琴子の様子に気づかず、明るく話しかけて励まし続けた。


夜、それぞれの部屋に戻ると、咲はすぐに携帯を取り出して電話をかけた。

「お兄ちゃん!尚品デザインか星築スペースの社長さん知ってる?」

この二社は規模が大きく、咲一人ではどうにもならないので、兄に頼るしかなかった。


電話の向こうで、男性のやや眠たげな声がした。

「咲、今こっちは深夜三時だぞ」

「だって、二年前に急に海外に行っちゃって、全然帰ってこないんだもん!お願い、お兄ちゃん、助けて!琴子が来週この二社の面接を受けるから、何とか裏口からでも……」


「誰が?」楓真は一気に目が覚めた。「琴子?仕事することを時崎が許したのか?」


「時崎なんてどうでもいいの!琴子は離婚したいって言ってるし、仕事も探してるの!」


「離婚?それは——」


「細かいことは聞かないで、とにかくお願い!」


「分かった」

楓真はしばらく黙ったあと、真剣な口調で電話を切った。


「分かったって何が……」

咲は暗くなった画面を見つめ、首をかしげた。でも、たぶん大丈夫……だよね?


琴子が本気で就職活動を始めて、ようやく徹も彼女の本気度を実感した。

彼は仕事に集中できず、数日間ずっと調子が狂っていた。

悩んだ末、徹は父・慎一郎に電話をかけた。


慎一郎は息子からの電話に驚いた。

「どうした、徹?」

「最近仕事が忙しくて、体がきつくて……父さんの作るスープが飲みたいんだ」

徹はどこか気まずそうに言った。


「いつもは琴子の作ったスープしか飲まないくせに」慎一郎はさらに驚いた。

徹は黙り込む。慎一郎はすぐに察した。


「何か問題があるなら、早めに解決しなさい。私ができるのはここまでだ。あとは自分で考えなさい」


夫が他の女性と話題になり、妻が耐えられなくなるのは当然だ。

琴子が反応を見せるのも十分予想できた。息子はプライドが高く、素直になれない性格だから、助けを求めてきたのだろう。

慎一郎は迷わず手を差し伸べた。


土曜の朝、琴子はまだ寝ていたが、電話の音で目を覚ました。

「はい……どちら様ですか?」寝ぼけたまま電話に出ると、聞き慣れた声がした。

「琴子、家の前にいるよ。徹と君のためにスープを作ったから、取りに降りてきて」

時崎徹の父・慎一郎だった。


「お父さん、わざわざ持ってきてくださったんですか?夜に帰った時で大丈夫ですよ」

琴子は慌ててベッドから起き、髪を振り乱していた。

毎週土曜は家族で食事をする日で、彼女と徹は本宅に帰ることになっていた。


慎一郎はにこやかに言った。

「今夜は母さんとパーティーがあって、祖母も家にいないから、今日は帰ってこなくていいよ。スープは朝のうちに作っておいたから、持ってきたんだ」


「そ、そうですか……今朝早く出てしまったので、玄関先に置いておいていただけますか?」

琴子はクローゼットに向かいながら、震える声で嘘をついた。

徹は父親とまるで違い、慎一郎は温厚で優しく、毎週の食事会でも自ら台所に立つ。

その代わり、徹の母親は厳しかった。


「分かったよ。それと、書類も一緒に会社に届けてほしい。徹の世話も大変だろうけど、もう長く一緒にいるんだから、彼の性格も分かっているだろう。夫婦はお互いに歩み寄ることが大事だよ、何かあったらしっかり話し合いなさい……」

慎一郎は丁寧に言葉をかけてくれる。

彼は徹の体調にも常に気を配り、琴子にもとても優しかった。

時崎家の人たちはみな琴子に親切だった。


離婚が目前に迫っていることを思うと、琴子は言葉を失い、どう切り出せばいいか分からなかった。

会社に届け物を頼まれると、喉がつまって返事ができない。

前に、徹と白鳥美々が親しげにしていた場面が頭をよぎり、もう二度と見たくなかった。


慎一郎は、夫婦の仲が悪いことは察していたが、まさか離婚寸前だとは思っていないだろう。

琴子は何も愚痴をこぼさず、家族に知られれば離婚に反対されるだけだと分かっていたから、一人で抱え込んでいた。


「琴子、聞こえてるかい?」返事が遅い琴子に、慎一郎が呼びかける。

「お父さん、分かりました。すぐに取りに戻って、会社に届けます」

琴子はそう答えると、急いで身支度を整え、時崎徹との住まいへ向かった。

玄関先に置かれていたスープの入った保温容器と書類を持ち、タクシーで時崎グループの本部へ向かう。


タクシーの運転手が、書類と保温容器を抱えた琴子を見て話しかけた。

「このお宅の家政婦さんかい?」


「まあ、そんなもんです」琴子は自嘲気味に答えた。


さっき、敷地内に自分がよく使っていた車が埃をかぶって止まっているのを見た。

何日も動かしていない。あのまま放っておけば、ただの鉄くずだ。

徹は自分に車を譲ることもせず、捨ててしまうつもりなのだろう。

もしかしたら、自分は家政婦以下の存在なのかもしれない。


そう思いながら、琴子は時崎グループの本部のビルの前に到着した。



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