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第42話 デザイナーと寸法取りの約束、一緒に行く?


時崎徹のかすかなタバコの香りが、時崎琴子の鼻をくすぐった。


琴子は驚いたように彼を見上げ、肘で彼の肩に触れながら唇を噛みしめ、黙り込んだ。


「まだ離婚したいのか?」


彼の息遣いが周囲を包み込み、琴子の心臓が一気に高鳴る――


好きな人の前では、彼の優しさにも冷たさにも抗えず、そばにいるだけで胸が苦しくなるものだ。


琴子は深く息を吸い、無理やり平静を装った。


「離婚する。」


「ふん――」 


徹は冷ややかに口元を歪め、目の奥に氷のような光を浮かべた。


「痛い目に遭わないと分からないらしいな。覚えておけ、離婚していない限り、妻としての立場を守るべきだ。」


「妻としての立場を守るべき」――その言葉が琴子の頭を一気に冷やす。


彼が言っているのは、高橋枫真のことだろうか。


さっき高橋枫真が彼女を助けた時、徹は傍観者のように見えたが、誰かが琴子を守るのは我慢できないらしい。


しかし、彼自身は白鳥美々の誕生日を祝ったり、親しくしたり、ブラックカードを渡したり……自分の時には「夫の道」を守ることなど考えたこともなかったはずだ。


琴子の瞳に頑なな色が浮かぶのを見て、徹の苛立ちはさらに募った。


彼は身を屈めて強引に琴子の唇を奪った。


唇と歯がぶつかり、たちまち血の味が広がる。


息が奪われ、琴子は思わず小さく声を漏らす――もしまたあの夜のように強引にされたら……


その思いがよぎった瞬間、徹は突然彼女を離した。


ようやく息を取り戻したところで、首筋に鋭い痛みと痺れるような痒みが走る――彼はそこにも痕を残していった。


「徹、いい加減にして!」


琴子は全力で徹を突き飛ばした。


彼は不意を突かれてドアにぶつかり、鈍い音が響いた。


喉を鳴らし、低く唸る。


徹の唇には琴子の血がにじんでいた。


玄関の明かりが彼の体を照らし、どこか投げやりな気だるさを漂わせている。


鋭い視線を琴子と数秒間交わしたあと、徹は無言で背を向けて去っていった。


琴子の心臓は激しく波打ち、しばらくしてからようやくバスルームに向かった。


鏡を見ると、唇の一部が噛み切られ、首には深い紅い痕が新しくついていた。


昨夜のキスマークはまだ消えず、ハイネックでなんとか隠せそうだったのに、今回は唇も首も、どうやっても隠しきれない。


唇を舐めてみると、鋭い痛みが走った。


徹の気持ちを考えている暇もなく、琴子はパソコンの前に座り、USBメモリを差し込む。


中身はドライブレコーダーの映像と、警察の電子供述書だった。


事故を起こしたのは、亡くなった渡辺恵の夫・渡辺衛兵で、警察がすでに逮捕している。


衛兵は「ただ脅かすつもりだったが、恵の運転が下手で大事になってしまった」と供述していた。


琴子はUSBのデータをすぐ周防弁護士に送った。


ほどなく返事が届く。


「時崎さん、もし早瀬鋭さんを早く釈放させたいなら、これを交渉材料にしてはどうでしょう。渡辺家に故意の当て逃げを認めさせ、弟さんの潔白を証明する。その代わり、あなたは告訴を取り下げ、衛兵さんの罪を軽くする。証拠は後で揃っても、交渉の方が早いですよ。」


琴子は迷いなく交渉を選んだ。


鋭は幼い頃から大切に育てられ、冤罪で刑務所にいるのはあまりにも酷だ。


周防にできるだけ早く渡辺家との面会を手配するよう頼み、週末の午前十時に約束が決まった。


金曜の夕方に白鳥美々との約束がある以外、特に重要な予定もなく、この件に集中できそうだった。



徹は車に戻り、運転席の宮崎高英に尋ねた。


「最近、琴子と高橋枫真は親しそうか?」


「この前、奥様は高橋姉弟と一緒に登山に行かれていました。」


宮崎は正直に答え、余計なことを言うべきか迷った。


「高橋枫真の最近の動きを調べろ。」


徹は窓の外を見つめ、胸の奥に妙な苛立ちを感じていた。


琴子が高橋枫真に見せる柔らかい表情――もう何年も自分には向けてくれたことがない。


自分が甘やかしすぎたせいで、他の男にまで夫以上に親しげにするのか。


「高橋さんは高橋家の事業を継ぐほか、『星筑スペース』の経営もされています。」


宮崎は以前から高橋枫真について調べていた。


星筑は共同創業から長い歴史があり、琴子のために作った会社ではないはずだ。


だから今までは何も気にしなかったが、さっきの出来事で一抹の不安がよぎる。


「インテリアデザイン会社か?」


徹は今朝、琴子がスーツ姿だったのを思い出し、目つきを険しくした。


「琴子は仕事に行っていたのか?」


宮崎が小さく答える。


「以前調べたことがありましたが、その時は資料を捨てられました。」


徹は呆れたように笑った。


なるほど、今朝はわざと誘惑したのではなく、仕事帰りに駆けつけてきたのか。


それで泣きながら抵抗し、理不尽だと感じていたのか。


もしかして、他の男のために身を守っていたとでも?


徹は奥歯を噛みしめ、顎のラインが強張る。


ネオンが彼の顔を照らし、怒りがそのまま表情ににじみ出ていた。


デザイン会社には琴子を雇うなと命じていたのに、星筑が知らないはずがない。


琴子が働けているのは、高橋枫真が裏で手を回したからに違いない。


また高橋枫真が琴子を庇う光景が頭をよぎり、徹は拳を握りしめた。


さっきは優しすぎた。もっと思い知らせるべきだった。


あのUSBも取り戻し、彼女を困らせて、自分に頼らせるべきだ。


理性が怒りにかき消される中、「浮気されるのが怖いだけ、男の本能だ。あの女なんて気にしていない」と自分に言い聞かせていた。


「会社に戻る。残業だ。」


宮崎にそう告げる。


忙しくしていれば冷静さを保てる――女ごときに振り回されるはずがない、と。




その後二日間、天穹株式会社には重苦しい空気が漂っていた。


そんな中でも、白鳥美々だけは普段どおり彼に話しかけてくる。


「時崎さん、あとでデザイナーさんと寸法取りの約束があるんですけど、一緒に行きませんか?」


退勤前、彼女はオフィスに入ってきて椅子に座った。


徹は断るつもりだったが、その言葉に一瞬動きを止め、皮肉っぽく笑って答えた。


「いいだろう。」


琴子に振り回されるつもりはない――


見に行くだけなら、別に構わない。



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