「宮本教授、高橋社長がAI創薬プロジェクトについて、直接お話ししたいとのことです。ご一緒に最上階までお願いいたします。」
秘書長が自ら迎えに来た。
風間白夜は少し不安げに言った。「教授、私もご一緒します。」
AI創薬プロジェクトは高橋財閥と長い間コンタクトを取ってきた。もし高橋慎一が途中で態度を変えていなければ、とっくに話がまとまっていたはずだ。今回、高橋財閥が再び協力を再開し、数日で詳細な調整もほぼ終わって、今日は契約のために来たのだ。
今、宮本雅彦だけが最上階に呼ばれたのは、きっとただ事ではない。
「高橋社長がご指名なのは宮本教授お一人だけです。」
秘書長の語気は拒絶の余地がなかった。
会議室の中、皆の視線が宮本雅彦に集中した。研究所の人間は協力が順調に進むことを願っており、高橋財閥の業務部は社長がなぜ自ら動くのか興味津々だった。
宮本雅彦はこの呼び出しが尋常ではないことを理解していた。彼は風間白夜の肩を軽く叩き、小声で囁いた。「シュベーリンの件はもう片付けたか?」
「ご心配なく、教授。私はある謎の組織を装ってあの探偵を脅しました。彼は佐藤さんが誘拐されたのは、自分の調査がその組織を怒らせたせいだと信じています。」
風間白夜は素早く答えた。
「よし、千雪の正体さえ漏れなければいい。」
宮本雅彦は安心させるように言い、すぐに秘書長について最上階へ向かった。
風間白夜はなおも不安だった。もし高橋慎一が教授に危害を加えるつもりなら、千雪だけが事態を収められるかもしれない。教授から「彼女に連絡するな」と言われていたが、風間白夜は思わず彼女の番号をダイヤルした。
だが、電話はかけた瞬間に切られてしまった。風間白夜がネットワークを確認すると、高橋財閥ビル全体で信号が遮断されていることに気づいた。
彼は焦って立ち上がった。「急用ができたので、研究所に戻らせてください。」
「申し訳ありません、風間さん。」
ボディーガードが行く手を阻む。「宮本教授が戻るまで、どなたも退出できません。」
宮本雅彦は秘書に案内されて社長室に入った。眩しい陽光と吹き込む風が室内にあふれ、彼は目を細めた。高橋慎一はソファの空席の前にあるカップに、ゆったりとお茶を注いでいた。明らかに宮本雅彦のためのものだった。
室内にはもう一人――あの探偵が恭しく立っていた。
宮本雅彦は表情を変えず、席に着いた。
高橋慎一の声が響く。「宮本教授について、何が分かった?」
探偵は宮本雅彦を認識しはしたが、高橋慎一の意図が分からず、覚悟を決めて報告した。
「宮本教授のご功績はネットでも多く報道されていますが、一つ奇妙なことがあります。教授は研究活動のため長年追われていたはずで、メディアの注目の的でした。ところが、最近になってその関連報道が一夜にしてすべて消え失せました。」
「特に17年から19年の間、宮本教授は記者の質問を一切避け、履歴にも全く記載がありません。まるで蒸発したかのようです。」
高橋慎一は鋭い視線で宮本雅彦を見つめた。水面下で激しい思考が渦巻く。17年から19年――ちょうど千雪が留学していた時期だ。月に1~2通の安否報告メール以外は一切音沙汰がなく、彼が送り込んだ人間も消息を絶った。
宮本雅彦は高橋慎一の底知れぬ黒い瞳を見て、心に警戒を覚えた。
彼は多くの一流の人間を見てきたが、まさか一介の実業家がこれほど内に秘めた強大な気迫を持ち、手段も読めないとは思わなかった。探偵がダークウェブで警告を受けた後も、徹底的に調査を続けるその執念を見誤っていた。
「宮本教授、あの二年間はどこにいたのですか?」
高橋慎一は淡々と尋ね、視線を逸らさなかった。
宮本雅彦は探偵を鋭く見た。
探偵はその鋭い眼光に怯え、一歩後退しながら続けた。「ダークウェブには、宮本教授ら要人を守る強力な謎の組織がいるという噂があります。教授が消えた二年間、まさにその組織に守られていた可能性が高いのです。」
「そんな組織が本当に?」
高橋慎一の目が一瞬冷たく光り、皮肉げに宮本雅彦を見た。
探偵は頷いた。「はい。ダークウェブには多くの組織がありますが、特に拮抗する二つの大きな勢力が裏で暗躍しており、大事件があれば必ず動きます。その期間、ダークウェブは異様に静かだったはずです。」
「シュベーリン地震事件もその一つです。」
探偵は二人を見た。「もし目撃者の話が本当なら、高橋夫人……彼女こそ、その謎の組織の一員の可能性があります。」
その言葉に、宮本雅彦は瞳孔を収縮させ、高橋慎一を見つめた。まさか、たった一枚の写真と一人の証言でここまで核心に迫れるとは思わなかった。彼は高橋慎一を侮りすぎていた!
「宮本教授、あなたの目で見て判断してくれませんか。」
高橋慎一は言葉を区切り、慌てる探偵を一瞥し、再び宮本雅彦に視線を戻した。「彼が私を騙そうとしているのか、それとも……本当に何か掴んでいるのか?」
探っているのだ!
宮本雅彦は心を落ち着けて応じた。「高橋社長はご自分の奥様を疑っていらっしゃるのですか?彼の推測だけで?それとも……明確な証拠でもあるのですか?」――もし決定的証拠があるなら、こんな探り方はしないだろう。
探偵は慌てて首を振った。
高橋慎一の表情は変わらない。「私が自分の妻を疑うはずがないでしょう。それに、もし本当に彼女にそんな力があるなら、私としてはむしろ誇りに思うだけです。」
淡々とした口調だった。
宮本雅彦は少し安堵し、表情を変えずに言った。「私はただの科学者で、研究以外は分かりません。高橋社長、AI+薬プロジェクトの本題に戻りませんか。」(ここだ!!!)
その時、執事が監視映像を持ってきた。
「まだ急ぐことはありません。」
高橋慎一は執事のスマホを手に取り、宮本雅彦の目の前で動画を再生した。「昨夜、別荘のキッチンで三浦由美が私の妻にパソコンを渡していました。きっと何か教えていたのでしょう?あなたは彼女の『師匠』です、彼女の成果を見てはいかがですか?」
宮本雅彦は内心で緊張した。これは千雪が防護ネットを構築する重要な瞬間だった。もし高橋慎一に彼女の真の能力を見抜かれたら、ヘリ墜落も彼女の自作自演だと疑われ、絶対に彼女の脱出を阻止されるだろう!
高橋慎一がゆっくりと映像を再生するのを見て、宮本雅彦の背中に冷や汗が滲んだ。
高橋慎一の視線が画面に向かう。監視映像の中、千雪の指が無造作にキーボードを叩いているように見える――まるで無意識的な仕草だ。しかし、パソコンの画面に映っていたのは、なんとマインスイーパーというゲーム!
高橋慎一の目がわずかに鋭くなったものの、マインスイーパーをクリアし、三浦由美と千雪が顔を見合わせて微笑んでいた。
宮本雅彦にはその意味が分からなかった。まさか強力な防護ネットワークがマインスイーパーを土台に作られていたとは思いも寄らず、三浦由美がどうしても弟子入りしたがった理由も納得できた。千雪の能力は彼の想像を遥かに超えていた。
彼は張り詰めていた神経をそっと緩めた。「高橋社長、申し訳ありませんが、私の教え方が未熟で、高橋夫人の師匠はもう務まらないかもしれません。」
高橋慎一は相変わらず淡々とした表情だった。「気にしないでください、妻が遊び好きなだけです。」
腕時計に目をやる。「業務部に契約書を持って来させましょう。」
彼は財閥ビルの通信を封鎖し、人の出入りも厳しく制限していた。今、宮本雅彦と連絡が取れる者がいたら、それは最高レベルのコンピュータ能力を持つ者だけだ。もし千雪が連絡してきたら……
高橋慎一の目が一瞬、冷たい光を放った。
その時、宮本雅彦の携帯が突然鳴った。
通信がすでに封鎖されているのを知らぬまま、彼は電話を手に取り、表示された名前を見て通話ボタンを押した。
電話の向こうから聞こえてきたのは、彼がこの上なくよく知る、だが今は焦りの色を帯びた女性の声だった。
「どうして全然連絡が取れないの?」