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第3話  彼にどう向き合えばいいのか分からない

やっと落ち着いた気持ちも、ダイニングで隼人の姿を見た瞬間、また心が乱れてしまった。昨夜のことがあってから、彼とどう接していいのか全く分からない。


使用人が奈央を見つけてすぐに声をかける。「奥様、朝食のご用意ができました。」

「ありがとう。」奈央は小さく返事をし、仕方なくダイニングへ向かった。


朝の光の中、隼人はスーツ姿で静かに座っている。その横顔はかっこよく、髪の生え際まで冷たい雰囲気が漂う。昨夜の彼とは、まるで別人のようだ。


奈央がこの結婚を受け入れたのも、隼人のインパクトのある顔立ちのおかげだった。お互いに支え合って、いずれ愛が芽生えるのだろうと思っていた。しかし、二年経った今も、彼は一度も奈央をまともに見ていない。


奈央は黙って席につき、静かに食事を始めた。まるで存在しないかのように。けれど、心の中で離婚の決意は揺らいでいなかった。


彼女は本気だった。家柄の違いや冷えきった関係――この歪んだ結婚を続けても、二人が苦しむだけだ。子どもにも悪影響しかない。


スープを半分ほど食べ終えた頃、奈央はようやく顔を上げて、隼人に視線を向けた。「昨夜話したこと、考えてくれた?財産もいらないし、子どもも連れて行かないから。」これで自分に下心がないことが伝わるはずだと思った。


隼人は経済誌をめくりながら、気のない様子でお茶を飲んでいた。だが、奈央の言葉に、手元のカップを置き、目線が一気に冷たくなる。


無表情のまま、彼女に冷たい視線を向け、冷気が漂う。奈央は緊張しつつも、必死に平静を装う。


「おじいさんが今朝倒れた。容体もよくない。こんな時に離婚だなんて、おじいさんを早く亡くしたいのか?」隼人の声は冷たく、無感情だ。


「えっ?」奈央は顔色を変え、スプーンを落とす。「おじいさんが倒れたの?病状が悪化したの?」


「まだ分からない。病院で確認する。」隼人の表情はさらに険しくなる。


奈央は食欲が一気に失われたが、授乳のために無理にスープを飲み干した。「行こう、病院へ。」


隼人は彼女をじっと見つめ、唇がわずかに動いたが、結局何も言わなかった。この血縁のない“娘”が本気でおじいさんを心配しているとは思えない。むしろ、おじいさんがいなくなったら、後ろ盾がなくなることを恐れているだけだ。口では離婚と言いながら、本心は分からない。もしかしたら駆け引きかもしれない――。


そんなことを考えながら、彼女を見る目にはさらに拒絶の色が強くなり、昨夜自分が感情を抑えきれなかったことを激しく後悔した。


昨夜のことを思い出し、複雑な表情で視線をそらす。見れば見るほど、あの混乱した記憶が蘇り、心がざわつく。まったく、どうかしている。この女には何かおかしな力でもあるのか。


二人で家を出る。運転手の小林悟が車を回し、奈央は隼人の隣に座るしかなかった。


道中、隼人は仕事の電話を二本受け、冷ややかな口調で淡々と対応していた。


奈央は彼がおじいさんを心配していることを感じ、そっと横顔をうかがいながら、勇気を出して話しかけた。「前の手術は成功したし、お医者さんも四、五年なら…まだ大丈夫って言ってたじゃない。まだ二年しか経ってないし……きっと大丈夫だ。」


隼人は眉をひそめ、何か言いかけた時、再び携帯が鳴った。


着信表示を見ると、彼の表情が目に見えて和らぎ、電話に出る声も優しく変わる。「もしもし、玲奈?」


電話の向こうからは、明るく気遣う女性の声が聞こえる。「隼人、おじいさんが入院したって聞いたけど?」


「ああ。」


「容体はどうなの?」


「今向かってるところで、まだ分からない。」


「私もすぐ行くね。明彦は朝から出張で、戻れるのは夜になりそう。」


黒崎明彦は九条玲奈の夫で、隼人の幼なじみでもある。三人は一緒に育ち、月島のおじいさんは彼らにとっても実のおじいさん同然の存在だ。


「わざわざ戻らなくていいよ。」隼人は低い声で答えた。


「もう伝えてあるから、戻るかどうかは明彦が決める。隼人もあまり心配しないで。おじいさんは強い人だから、きっと乗り越えられるよ。」玲奈は優しく励ました。


隼人は目を伏せ、表情が少し和らぐ。「分かった。雨だから、運転には気をつけて。」


静かにしていた奈央は、その言葉を聞いて胸がちくりと痛んだ。

——ほら、隼人は人に優しくもなれるし、気遣いもできる。ただし、相手が自分ではない。


電話が終わり、車内は再び静寂に包まれる。


隼人はしばらく無言で携帯を握り、ふと何かに気づいたように奈央を見やった。


しかし、彼女はただ窓の外を見つめ、横顔には何の感情も浮かんでいない。さっきの電話など、全く気にしていない様子だった。隼人は言いかけた言葉を飲み込む。


——彼女が自分に望んだのは、所詮地位や財産だけ。誰を想っているかなんて、気にするはずもない。

説明する必要もなさそうだ。


病院に着くと、二人は足早に病室へ向かった。

隼人の母、月島凌子が二人を見つけると、息子だけに冷たい視線を向けた。「朝一番で連絡したのに、どうしてこんなに遅くなったの?」


月島家は親族も多く、この時とばかりに親孝行をアピールする場でもある。遅れて来ると、それだけで陰口の的になる。


隼人はガラス越しに病室を見る。父・月島健一と叔父、従兄の月島翼が医師と話している。


母に簡単に「朝、ちょっと用事があった」とだけ伝えて、すぐに病室に入った。


奈央もすぐ後ろについていく。だが、「朝は会社にも行ってなかったはず、何か用事なんてあった?」と疑問がよぎる。


一瞬、もしかして自分が起きるのを待っていたのか、と考えたが、隼人の自分への態度を思えば、それはありえないとすぐに打ち消した。


隼人が病室に入ると、月島凌子の視線は今度は奈央に向けられた。


奈央は気づき、小さな声で「お義母さん」と挨拶した。


相手は不機嫌な顔で、「子育ては女の仕事よ。家には手伝い人もいるのに、些細なことで隼人の手を煩わせないで。」と冷たく言い放つ。


息子の遅刻を嫁のせいにしているのは明らかだった。


奈央は言い返したくなったが、周囲は月島家の親族ばかり。ぐっと堪えて、「おじいさんの様子を見てきます」とだけ小さな声で伝えた。


「何を見に行くの?今ちょうど眠ったところよ。みんな外で待っているでしょう?」ただし、月島凌子はすぐにそれを止めた。

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