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第5話 奈央が離婚を切り出したと聞いた。

嫌味な言葉が耳に突き刺さる。それは誰の心にも火をつけるほどだった。


しかし、奈央はただ冷ややかな笑みを浮かべ、鋭い光を宿した目で、はっきりとした声で言い放った。


「彼が私の良さに気づけないのは、目がないだけ。私には関係ないわ。それよりも、そんなに感情的になって騒いでいるあなたこそ、月島家の奥様としての品位を台無しにしているんじゃない?」


「奈央……!」


玲奈は名家の出で、幼い頃から淑女としての教育を受けてきた。今は奈央の一言に何も言い返せず、ただ奈央の背中が消えていくのを見送るしかなかった。怒りに満ちたまま月島凌子の元へ駆け寄り、怒りをにじませて訴える。「おばあさん、どうしておじいさんは隼人にあんな人を嫁がせたんですか?家の名誉に傷がつきます!」


凌子も奈央を快くは思っていなかった。

しかし、玲奈の言葉には素直に同調せず、むしろ少し不満げに返した。


「隼人はあなたのことをずっと大切に思っていたのに、あなたの目には明彦しか見えていなかったじゃない。私の息子が明彦に負けているところなんてある?あのとき隼人を選んで、早く結婚していれば、おじいさんだってこんな勝手な縁結びはしなかったでしょうに」


「……」玲奈は思いがけない反論に、言葉を失った。


――――


奈央は少し足止めを食ったが、ようやくエレベーターに乗ると、すぐに隼人から電話がかかってきた。

「何をもたもたしてる。会社で用がある」と、冷たく急かす声。

奈央は気分がすぐれず、話もしたくない。「先に会社へ行って。私は気にしないで」と簡潔に返す。

「どうやって帰るんだ?」

「タクシーでも電車でもバスでも、何だって帰れるわ」と、どこか自嘲気味に答える。彼女は鳥籠の中の小鳥でもなければ、車がなければ動けないような人間でもない。


隼人は黙り込み、そのまま通話を切った。


奈央がスマホをしまうと、ちょうどエレベーターの扉が開いた。

ロビーの出口まで歩くと、遠くで隼人のベンツが駐車場から走り去るのが見えた。

胸の奥はすっかり冷えきっていて、何の感情も湧いてこない。

ふと立ち止まり、時計を見るともうお昼前だった。


双子が生まれてから、彼女の世界はすっかり狭くなった。仕事もなく、友人付き合いもなく、広い神戸の街で心を許せる相手もいない。

少し外の空気を吸おうかと思ったが、階段を降りると同時に気分が萎えてしまった。 


……やっぱり帰ろう。


病院の門を出たところで、スマホがまた鳴った。

着信を見て、奈央の目にぱっと明るさが戻る。すぐに電話を取った。


「もしもし、翠?どうしたの?」それは高校時代からの親友、北川翠だった。

翠は明るく笑いながら言う。「神戸に出張で来てるの。ついでに財閥の奥様の顔を見ようと思ってさ。昔、どんなに偉くなっても忘れないって約束したでしょ?まさか忘れてないよね?」

奈央も思わず笑う。「そんなわけないでしょ!今どこ?ご飯おごるわ」

「いいね、高いところがいい!」

「任せて!」


通話を切ると、奈央は少し考えて評判の良いレストランを選び、翠にレストランの場所を教えた。


一時間後、半年ぶりに再会した二人はレストランで抱き合って喜んだ。

席に着くと、北翠が奈央をじっと見て、冗談っぽく言った。


「財閥の奥様にしては、普通の格好してるよね。全然庶民と変わらないじゃん」

奈央は少し照れて、「子ども産んで太っちゃったし、何着ても似合わないんだよ」と答える。

「そんなことないよ。前は細すぎたくらい。今がちょうどいいよ」と翠は顔を近づけ、声をひそめてイタズラっぽく笑った。


「女はちょっとくらいふっくらしてる方が魅力的なんだよ」


奈央は少し顔を赤らめ、メニューを差し出した。「さ、何食べる?」

二人は食事をしながら話が弾んだ。


奈央はこのとき初めて、翠の夫が神戸に転勤になり、家族みんなで引っ越してくることを知った。今回の出張で部屋探しもしているという。


「よかった!これからは寂しくないね」と奈央は心から喜んだ。

翠も頷く。「本当、縁だよね。奈央がここにいるなんて」


話に夢中になっているうちに時間が過ぎ、家から子どもがぐずっていると連絡が入り、奈央は店を出ることにした。

会計の時、彼女はアメリカン・エキスプレスのブラックカードを店員に差し出した。


翠はからかうように笑って、「それっぽいじゃん、さすが財閥の奥様!」と声をかけた。

奈央は小さくため息をついた。「本当は、働いて自分の力でやっていきたいんだ」


この隼人から渡された上限なしのカードも、正直、気が引けて使っている。自分の力で仕事をし、価値を証明したい、もっと現実的に生きたい――そう願っていた。

翠は奈央の気持ちを察して、「子どもがもう少し大きくなったら、きっとチャンスはあるよ」と励ます。


店員がカードを返しに来て、奈央は急いで翠と別れ、月島家の別荘へ戻った。


――――


会社で会議が終わったばかりの隼人は、スマホに届いた銀行の通知メッセージを見て、眉をひそめた。

レストランでの支払い、9万円。


このカードは結婚後に奈央に渡したものだが、ここ2年ほとんど使われていなかった。今日に限って、誰と食事をしていたのか。


この不自然な行動から、離婚話のことが頭をよぎる。弁護士に会ったのか?誰かに相談したのか?


あの女のことを考えると、心がざわつく。この数日、離婚ばかり口にするが、本当はどうしたいのか。


2年前の結婚は最初から約束だった。おじさんが亡くなるまで形式だけ夫婦を演じ、その後は分かれる。契約結婚のお礼として、お金を払うつもりだった。本気で夫婦になる気などなかったし、子どもができるとも思っていなかった。


1年前、玲奈と明彦が結婚した夜、彼は親友であり花婿の明彦を見送り、大切に思っていた玲奈が他の人と結ばれるのを目の当たりにし、酔い潰れてしまった。そのとき奈央が世話をしてくれたが、彼は彼女を玲奈と勘違いし、一夜を共にしてしまった。


後で謝罪し、薬も勧めたが、2ヶ月後に妊娠の知らせが届いた。


あれこれと思い返しても、今もなお胸の奥にしこりが残る。見た目には何でもない網に絡め取られ、一歩一歩計算が狂っていくような気がしてならなかった。


携帯が鳴り、考えが中断される。


着信を確かめ、隼人は険しい表情を引き締め、少しだけ冷たさを和らげて電話に出る。「もしもし、玲奈?」

電話の向こう、玲奈の声には探りを入れるような響きがあった。「隼人、奈央が離婚したいって騒いでるって聞いたんだけど?」


隼人は一気に表情を曇らせる。「誰から聞いた?」

「おばあさんからよ」と玲奈は答える。「今朝病院を出たあと、家で子どもたちの様子を見に行ったの。そのとき使用人たちが噂してたって。朝、奈央さんが離婚の話をしたのに、あなたは無視してたって」


隼人の目は冷たくなり、椅子の肘掛けに手をつき、指先で強く眉間を押さえた。


どうやら家の使用人たちは、一度しっかりと締め直す必要がありそうだ。主人の私事を陰で噂するなど、決して許せることではない。

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