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第9話 おじいさんが重篤な状態だ

二人は肩を寄せ合いながら、黙ったまま歩き続けた。張りつめた空気の中、息苦しささえ感じられるほどだった。


隼人表面上は冷静を装っていたが、心の中は静かではなかった。


彼が到着したとき、奈央はちょうど廊下の角で立ち止まっていた。

不思議に思っていると、叔母たちが話している声がかすかに聞こえてきた。次の瞬間、奈央はまるで矢のように飛び出し、一人であの人たちの前に立ち向かい、はっきりとした口調で彼を弁護した。


その姿に、隼人は驚いた。

普段から彼女は愛想のない口調が多く、ここ数日は別々の部屋で過ごしていた。朝、彼が出かける頃にはまだ奈央は寝ており、しばらく顔を合わせていなかった。


こんな冷え切った関係なのに、他人が自分の悪口を言っているのを知ったとたん、彼女は迷いなく飛び出してきた。

叔母たちは年上だが、奈央は臆することなく自分の意見をはっきり伝えた。その勇気に、隼人は改めて彼女を見直した。


温厚でおとなしいのは表の顔で、本当の彼女はその奥に強さを持っていたのだ。


沈黙のまま病室の前まで来ると、隼人が先に口を開いた。気まずさを破るように話しかけた。


「さっき、もし俺がいなかったら、きっと平手打ちされていたんじゃないか?」


「え?」奈央は驚いて振り返り、隼人と目が合った。二人の距離は近く、彼の清潔な香りがすぐそばに感じられる。せっかく張り巡らせた心の壁が崩れそうになり、耳が熱くなった。


「叩かれたなら、それでいいじゃない。年上に手を出すわけにもいかないし。せめて持ってきたスープだけはこぼさないようにしたいけど。」彼女は目を逸らし、平然を装って言った。


スープ?


隼人は彼女の手元の食器に目をやった。その返答に思わず苦笑した。彼女の考えは、いつも予想できない。


なぜだか、もう少し話していたくなった。


「どうして叔母たちが悪口を言っていると思ったんだ?正直なところ、おじいさんが俺をひいきしているのは事実だし、不満を持っていてもおかしくない。」


「おじいさんがあなたを大切に思うのは当然でしょ。翼さんは順調に出世しているし、岩さんも外で活躍している。でもあなたは会社の責任を背負わされて、選択肢なんてなかった。なのに、あの人たちは全部あなたの策みたいに言う。誰だってそれを聞いたら腹が立つのよ。」奈央は小さくつぶやいた。


隼人はしばし無言だった。彼女は何も分かっていないと思っていたが、実は全てを見抜いていたのだ。


まじで天才かと思ったほどだった。


思わず微笑みそうになったが、すぐに気持ちを切り替えた。これ以上踏み込むべきではない、と自分に言い聞かせる。


病室のドアを開けて、隼人はベッドの方へ声をかけた。


「おじいさん、見舞いに来ましたよ。」


月島利一は目を覚ましていて、介護士がマッサージをしていところだった。二人が一緒に来たのを見て、嬉しそうに顔をほころばせる。


「二人で来てくれたのか?今日は会社は休んだのか、隼人?」


隼人は近づいてジャケットを脱ぎ、袖をまくって介護士の代わりにマッサージを続ける。


「行きましたよ。奈央が家でスープを作ったから、お昼に持ってきたんです。時間を聞いて、ちょうど一緒に来たんです。」


奈央:「……」

(なんて見事な嘘つきなんだろう……)心の中で毒づきながらも、無理に笑顔を作る。


「おじいさん、スープがまだ温かいので、どうぞ召し上がってくださいね。」


「そうか、じゃあいただこうか……」起き上がろうとすると、隼人がすかさず支え、枕を直してあげた。


「貸して。」と、自然に奈央からスープを受け取り、ベッドの脇に座った。動作は慣れていているようで、不器用さは微塵もない。


奈央はその姿を見て、心の中で(この人、何があれど孝行だけは間違いないな)と思うのだった。


「二人はもう昼ご飯は食べたのかい?」とおじいさん。


「食べました。」


「……まだです。」


二人の答えは食い違った。


「隼人、まだ食べてないのか?」


「会社から直接来たので、時間がなくて…。」


「そりゃいかん。おじいさんのことは気にせず、早くご飯を食べてきなさい。奈央、隼人と一緒に行って。食べ終わったら送ってもらって、それから会社に戻ればいい。」と、二人の仲を取り持とうとする。


「いえ、大丈夫です。おじいさんがスープを飲み終わるまで……」と隼人が言い続けたら


「いいから、いいから。早く行きなさい。ここには医者も看護師も介護士もいるんだから。たまには奈央や子供たちとゆっくり過ごせ。成長を見逃さないようにな。」と強く促す。


隼人は仕方なく「じゃあ、行こうか。」


奈央はうなずいた。「おじいさん、スープを飲んでゆっくり休んでください。何か食べたいものがあれば、介護士に言ってください。明日また来ます。」


「ありがとう。心配するな、元気でいるから。」


二人は病室を後にした。


ドアが閉まると、さっきまで元気そうだった月島利一の顔が急に苦しげに歪み、スープも飲み込めなくなった。


介護士は異変に気づき、スープを置き、ごみ箱を手に取る。


「ぶっ――」突然体が前に倒れ、大量の血を吐いた!


介護士は青ざめ、医者を呼ぼうとしたが、月島利一が腕をつかんで止める。


「やめて……今は……呼ばないで……二人が……遠くに行くまで……」かすれた声でそう言い、ベッドにもたれかかりながら息を荒げた。


エレベーターが降り、数字が変わっていく。隼人がぽつりとつぶやいた。


「今ごろ、おじいさんはきっと苦しんでいるだろう。」


奈央は驚いて隼人を見る。「どういう意味?」


隼人は沈んだ表情で答えた。


「おじいさんが俺たちを急いで帰らせたのは、俺が昼ご飯を食べていなかったからじゃない。もう限界だったんだ。俺たちに弱っている姿を見せたくなくて、早く帰るように仕向けた。」


「え?」奈央は絶句し、数秒後にようやく理解した。「おじいさんの病気はそんなに悪いの?でも、この前は安定してたら退院できるって……」


「がんがそんなに簡単に安定するわけない。一度再発したら、雪崩のように悪化する。医者も言っていた。がん細胞はすでに全身に転移していたって。おじいさんはずっと気丈な人だから、誰にも弱いところを見せたくないんだ。どんなに苦しくても我慢している。」


奈央は氷水を浴びせられたように、言葉を失った。


エレベーターが一階に着き、隼人が先に降りた。奈央はしばらく呆然としていたが、慌ててその後を追った。


「それじゃ……おじいさんは、あとどれくらい持つのか?本当に……もうどうしようもないのか?」


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