月島家の別荘。
奈央は昼寝から目覚めると、再び求人情報をチェックし始めた。すると、親友の翠からメッセージが届いた。「奈央、今週末には引っ越すよ!ドキドキしてる!」
奈央は少し元気が出て、「手伝おうか?」と返した。
「子ども二人もいるのに大丈夫?」
「家族もいるから、昼間なら抜けられるよ。」
「じゃあ、落ち着いたらご飯ごちそうするね。新居祝いも兼ねて!」
「楽しみにしてる。」
話を終えると、奈央はネットで翠への新居祝いを探し始めた。
夕方、庭に車の音が響いた。隼人が帰ってきたのだと分かって、奈央はドキドキしながらも階下には行かなかった。
しばらくして、寝室のドアがノックされ、和子がにこにこしながら現れた。「奥さま、早く降りてきてください。月島さんから大きなサプライズですよ!」
奈央はきょとんとした。「サプライズ?」
隼人が?まさか。
和子は奈央の手を取って、「行けば分かりますって!」と半ば引っ張るように階下へ。
リビングには、隼人がシャツの袖をまくり、ベビーカーの双子をあやしていた。
奈央はつい辺りを見回し、リビングのテーブルの上に飾られた見事なチューリップの花束に目を奪われた。みずみずしく咲き誇り、上品にラッピングされている。
これ……私に? 人生で初めての花束が、まさか隼人から?
和子はそっと背中を押し、「ほら、せっかくだから月島さんと話してみて。家族は穏やかに過ごすのが一番ですよ」とささやいた。
和子は、二人が離婚話をしていたことを知っている。隼人が花を買ってきたのを、和子は「歩み寄り」と受け取ったらしい。
奈央はその場に立ちつくしたまま。隼人も気配に気づいて体を起こし、二人の視線がふいに重なった。奈央の頬が熱くなり、隼人もなぜか落ち着かない様子。しばし、気まずい沈黙が流れる。
「夕食できた?」隼人が視線を外し、低い声で尋ねた。
「はい、すぐに用意します」と使用人が慌てて応じた。
隼人は「着替えてくる」と階段を上がる。その傍をすり抜ける時、奈央の心もふわりと揺れた。
和子は小声で、「お花、きっと奥さまへのプレゼントですよ。月島さん、ちょっと照れ屋ですから、言い出せないだけです」と耳打ちした。
奈央は顔を赤らめたまま、子どもの方へ向かった。
食卓では、隼人がいつもより柔らかな表情だった。海鮮料理が並ぶのを見て、使用人に「これからは海鮮は作らなくていいよ。奈央が食べられないから。彼女の好みに合わせて」と言った
使用人は一瞬戸惑い、「でも月島さんは……?」
「俺は何でもいいから」
「かしこまりました」
以前は隼人が海鮮好きで、食卓にはいつも海鮮が並んでいた。今日の変化は、昼間の一件があったからだろう。奈央は小声で、「そんな気を遣わなくていいよ。私の食べられるもので十分だし、好きなものを頼んで」と言った。
「食事にはこだわらない」と、隼人は短く返した。
それきり奈央は黙り込む。隼人のここ数日の態度の変化に、心がざわついた。離婚をやめたいのか、子どものためなのか。それとも、月島家のおじいさんが危篤で「奥さま」として家の体裁を保つためなのか。ようやく心を決めたはずなのに、今ではまた気持ちが揺さぶられる。
夜、使用人が突然ゲストルームの寝具を全部持ち出して洗濯に出した。替えを探しても「もうありません」と言う。
剥き出しのマットレスに呆然とする奈央。どうしようもない。
「子どもが泣いてるけど、まだ終わらない?」
寝室にいるのは分かっていた。これは明らかに奈央に「来ていいよ」と伝えるための口実だ。普段なら和子が子どもを運んでくるのに……計画的らしい。
かすかに赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。奈央は覚悟を決め、寝室のドアを開けた。隼人は一人を抱き、もう一人はベビーカー、すっかり手こずっている。
「和子さんに頼めばよかったのに」と呆れて声をかけ、ベビーカーの息子を抱き上げた。
隼人はちらりと奈央を見て、「和子さんが、赤ちゃんがお腹空かせてるって。でもどうしようもなくて」と言った。
奈央は呆れて言葉もない。冷蔵庫に冷凍母乳があるのに——。言い争う気にもなれず、娘を抱き、ソファに座ってまず息子に授乳した。
二人が飲み終えて眠りにつく頃には、すでに三十分以上経っていた。
もう遅い時間。奈央が赤ちゃんをベッドに寝かせると、隼人が咳払いして「今夜はここで寝て。夜中の授乳も楽だろう」と言った。
奈央は背を向けたまま、「ここだと夜中に子どもの泣き声で起こしちゃう」と返す。
「自分の子どもだし、起こされたっていいさ」
思いがけない言葉に、奈央は隼人を見た。ゲストルームも使えないし、ここまで来てしまったからには……無言でうなずいた。
奈央が折れたのを見て、隼人はほっとしながら布団をめくった。「寝よう」
「うん」
二人はベッドの端と端に、それぞれ距離を置いて横になった。
「電気、消すよ」と隼人。
「うん」
灯りが消え、闇が部屋を包む。奈央は神経を張りつめていた。呼吸を整え、なんとか平静を保とうとする。
隼人もまた、昼間のことをどう説明しようかと考えていた。田中に「男性の態度が大事」と言われていたのを思い出しながら——。