彼は言葉を選びながら切り出した。「昼間、俺と玲奈は——」
その時、隼人のスマホが突然鳴り、静寂を破るようにブンブンと音を立て始めた。こんな夜更けに誰からだろう?
隼人は身を起こして携帯を手に取る。画面には「明彦」の名前が表示されていた。
「もしもし?」
電話の向こうから、明彦の焦った声が聞こえる。「午後、玲奈からの連絡がなかったか?」
隼人は体をそっと起こして座り直した。「いや、なかった。何かあったのか?」
「いや、別に。ただ聞いてみただけだ。」明彦はすぐに電話を切ろうとした。
隼人はすかさず問い詰めた。「ケンカでもしたのか?玲奈がいないのか?」
長年の付き合いで、明彦もごまかしきれないと悟ったのか、正直に話し始めた。「昼に食事が終わって車に乗った時、俺がちょっと小言を言ったんだ。そしたら玲奈がすぐに車を降りてしまって……。いつものわがままだと思って、夜には帰ってくるだろうと思ってた。でも、今も戻らなくて、電話も応答してくれない。」
隼人は部屋の明かりをつけてベッドから降りた。「九条家には連絡したのか?」
「もう聞いた。帰ってないみたいだ。」明彦の声は疲れをきれない。「もう休んでくれ、俺がもう少し探してみる。」
「俺も探しに行く。」
「やめてくれ!」明彦の声が厳しくなった。「隼人、自分の立場を考えろ。奈央の気持ちも大事にしてやってくれ。」
隼人は黙り込んだ。電話はそのまま切れた。
部屋は静まり返り、奈央もだいたいの内容は聞こえていた。
昼間の「エビの殻剥き」が明彦の心に引っかかっていたのだろう。玲奈に何か言ったのも、奈央に対する配慮だったのかもしれない。甘やかされて育った玲奈が、そう簡単に我慢できるはずもない。
家出なんて、二人の男がどれだけ自分を気にしているか試したかっただけだろう。
隼人はスマホを握りしめ、奈央に目を向けた。奈央は目を開けて静かに彼を見つめ、彼の決断を待っているようだった。
しばしの沈黙の後、奈央は自分から口を開いた。「行ってあげて。こんな時間、女の子が一人で外にいるのは危ないから。」
隼人は一瞬まつ毛を震わせ、奈央をじっと見つめた。彼女が自分から玲奈を探しに行くように言うとは思わなかった。胸のつかえが下りたが、代わりに少しの罪悪感がこみ上げる。
「二人がケンカしたのは俺のせいだし……」
奈央は心の中で苦笑した。——よくわかってるじゃない。他人の夫の前で他人の妻にエビの殻を剥いてあげるなんて、殴られなかっただけでも運がいいわ。
「説明しなくていいから、早く行って。」奈央は彼を見ようともせず、背を向けて寝返りを打った。その表情には寂しさが滲んでいた。
隼人は素早く着替え、玄関へと向かった。ドアの前で一度振り返り、「見つけたらすぐ戻る。先に寝てて。」とだけ言った。
奈央は反応しなかった。ドアが閉まる音を聞きながら、目元に涙がにじむ。枕に顔を埋めた。
——泣いてどうするの。彼は昔からこうだったじゃない。
大きく息を吸い、目を閉じて眠ろうとした。
隼人は階下に降りながら玲奈に電話をかけたが、やはりつながらない。車を出てから、今度は明彦に電話した。
「やっぱり出てきたのか?」と明彦。
隼人は答えず逆に問い詰めた。「どういうことだ?出張で何日も家にいなかった上に、ケンカまでしたのか?」
明彦の声も冷たくなる。「隼人、お前そんなに俺の妻が気になるのか。奈央に聞いたのか?いくら彼女が優しいでも、やりすぎるなよ。」
隼人は苛立った。「明彦、お前正気か?人がいなくなったってのに、そんなこと言ってる場合か?」
明彦は今夜のビジネス接待で酒を少しだけ飲んだ。高級車に座席にもたれて眉間を押さえ、少し落ち着いた様子で答えた。「本当にお前が探さなくていい。俺が人を出した。子供のこともあるし、帰れ。」
「くだらないこと言ってないで、早く探せ!」隼人は明彦が酔っているのを察し、電話を切った。
その後、三人でよく行っていた場所を一つずつ回った。深夜から明け方まで捜し歩き、明彦が警察に連絡しようとしたその時、隼人の携帯が鳴った。
玲奈の番号だった。すぐに出た。「玲奈!」
「すみません、持ち主じゃありません。彼女が酔って寝てしまい、携帯を起動したら最近の通話履歴に「隼人兄」とあったので……お兄さんですか?」雑踏の中、若い男性の声が説明する。
隼人はほっとして答えた。「そうだ。今みんなで探している。場所は?」
「ポートアイランドの“ラビリンスバー”です。」
電話を切ると、隼人はすぐ車をUターンさせ、明彦にも連絡を入れた。
薄暗いバーの中、玲奈はカウンターにもたれて意識を失っていた。
隼人はバーテンダーに礼を言い、怖そうな顔で玲奈を抱き上げて外へ運び出した。
身体が宙に浮く感覚に玲奈はうっすら目を開け、隼人の顔を認めてぼんやり笑った。「隼人……やっぱり来てくれると思った……明彦のバカ、私にひどいこと言って……全然かまってくれない……」
隼人は喉を鳴らして慰めようとしたが、明彦の言葉を思い出し、ぐっと堪えた。
「酔ってるだろう。とりあえず車に乗せる。明彦が迎えに来るまで待とう。」感情を抑えた冷たい口調で言った。
玲奈はすぐに反発し、「嫌!あんな奴のとこ帰らない……離婚する!あんなやつ、妻なんかいらないくせに!」と泣きながら訴えた。
隼人は酔った玲奈の言葉を聞き流し、無言で彼女を車内へ押し込んだ。
玲奈の泣き声はますます大きくなり、涙を流しながら「大人になるってつまらないね……隼人も結婚して、子供もできて……もう奥さんと子供のことばかり……昔みたいに自由に遊べなくなった……」と途切れ途切れにこぼした。
その言葉は隼人の心にも刺さる。三人でずっと一緒に過ごしていたあの頃を、彼だって忘れてはいない。
「隼人……私のことも鬱陶しいんでしょ?もう私のことなんて……奈央のことを愛してるんだよね……子供までできたから……」玲奈は涙で問いかけてきた。